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ストレスケアについて思うこと~その2

美心LABの美紀子です。
私のnoteにお越しくださり誠にありがとうございます。

いろいろなものごとが動き、気が付けばなんと!2か月もnoteの更新ができておりませんでした。楽しみにしてくださっている方には申し訳なく思っております。

コロナ禍においても最大限の注意を払いつつ、その時その時にできることを考えて行動に移しておりました。その成果としてステキなご縁にたくさん恵まれてきたことを嬉しく思います。詳細はまた後日。

今日はお約束通り、ストレスケアについて思うこと~その2として。
禅寺での体験をまとめてみたいと思います。

人里離れた山奥のお寺

最寄駅から車で移動すること数時間。
寺の住民以外の人間は住んでいないという山奥にひっそりとそのお寺はあります。京都の街中にあったお寺を売却して、移住されたお寺「安泰寺」。
しかも、そこは人が住むには厳しいという理由で廃村になった土地。そんなところに移築されたのですから、人口の音は何一つしません。
ある意味現代人にとっての究極の癒しの場所。

正真正銘の自給自足の生活

お寺では田んぼでお米を作り、畑でお野菜を育て、典座(てんぞ)といわれるお料理当番が火を熾すところからお料理を作ってくれます。このライフスタイルに憧れて世界中から若者が修行僧としてやってきていました。

人のあるべき暮らし方

お寺での生活は、朝3時半に起床。身支度を整えて本堂に集まります。4時から坐禅を1時間。経行(きんひん)といって歩く坐禅を挟んで、さらにまた1時間の坐禅。その後全員で朝食をとります。この間会話は一切ありません。ただ黙々と自分のするべきことに取り組みます。周りを見て、今自分が何をすべきかを悟ります。そういう世界です。

朝食後はお片づけを全員で行い、それからお掃除。お寺のありとあらゆるところを毎日お掃除します。掃除機など機械には頼りません。叩きをかけて箒で掃く履いて雑巾で拭き上げます。

その後は作務(さむ)といって、畑仕事や田んぼを耕したり、お寺の修繕をしたり。それぞれの仕事を行います。そしてお昼ごはん。その後また作務を続けて。15時くらいからお風呂タイム。男女入れ替え制で入ります。

17時くらいからお茶を飲みながら和尚様との反省会のような茶話があります。その後坐禅がある日もあれば、そのまま解散という日もありました。

現代のライフスタイルに慣れていると、本当にびっくりするような原始的な生活だな~と。最初は思いまいした。食事は一日2食。機械に頼らず全て人の手で行う。食事もすべて人の手でいちから作られたものばかり。

生きるということ、暮らすということの本質を知ることができたように思います。

有難さを初めて実感

現代のライフスタイルが如何に恵まれた有難いものであるか。それを深く知るいい機会になりました。いま当たり前にある生活は当たり前ではないのだと。おそらく祖父母の時代まではすべて人の手で行うことが当たり前であり、掃除機や炊飯器や洗濯機などは贅沢品であったはず。それなのに私たちは格段に楽になった家事でさえも疎みがちで。

そして、なぜそれが必要なのかについても考えることができました。例えば、掃除。なぜか子供のころから片付けや掃除は嫌いな方でした。楽しい時間ではなかった。だからできればやりたくないし後回し。

お寺はとてもとても古い建物です。ですが、古い建物に特有のどんよりとした感じはありません。清々しい気が流れています。それは、毎日心を込めて丁寧にお掃除をされているからだと気が付きました。トイレの隅に至るまできれいにお掃除が行き届いているのです。台所もピカピカ。ピカピカの台所で作られたご飯はどれもこれもすべて美味しいのです。

暮らす場所を整えることで気持ちも整う。丁寧な暮らしはあらゆるものを”整える”ことなのだと。

命に感謝

食事の時間はお経に始まりお経に終わります。その間私語は厳禁。もくもくと黙って食べるのですが、とにかく一口一口がとても美味しい。自分たちで作った食材が丁寧に調理されていることに加えて、食べることに集中することで味覚が研ぎ澄まされる。お野菜にしろお米にしろ私たちの血となり肉になるために命を捧げてくれている。そのことを想うと一口も無駄にしてはいけないと思うのです。そして必要以上に食することをしないことも大事だと気が付きました。現代人は大きなストレスを抱えていてそれを解消するために、たくさん食べてたくさん飲むことが習慣化されている人が多いように思います。ひさしぶりに外食をすると量が多いな~と思います。祖父母の時代までは戦中戦後で貧しい時代だったからお腹いっぱい食べることへの憧れがありそれが豊かさの基準になっていたようにも思います。白米がお腹いっぱい食べられるという理由で軍に志願した人も多かったとか。それが時代を経てお腹いっぱい食べることが常になってきた。それにより様々な病気が現れてきたようにも思います。

命に感謝して、その恵みを味わい尽くす。
しゃべりながら、考え事をしながら、テレビを見ながらの”ながら食べ”を慎むことで食べる量も自然と適量になります。そして素材の味も感じることができて調味料も減ります。健康にもダイエットにもよいのでは?さらには、いろいろなひらめきが浮かぶことも。

食べるという行為について深く考えることができました。

ひとつひとつの本質を知る

お寺での暮らしは私にとっては体験。たった2回の体験ですが、一度目では感じられなかったことが二度目で深く肚落ちしました。もちろん修行されている方には足元にも及びませんが。私の暮らし方は確実に変わりました。

禅の修行は坐禅だけではない。暮らしのひとつひとつが修行なのである。いまここ」に集中すること。例えば、「廊下をばたばたと大きな音で歩く人は意識がここにないからだ。歩くということに集中している人の足音が静かである。」和尚様から伺ったこの話が深く残っています。
マルチタスクが当たり前の世の中で忘れ去られてしまったこと。でも大切なこと。ひとつひとつを真剣に丁寧に行うことが一番効率も高いのではないか?そんなことにも気が付きました。なぜならそこに意識を100%置くことで全てに気が付くことができるので二度手間三度手間がないのです。やり残しがなくなる。
食事にしてもひとつひとつを大切に丁寧に余すことなく頂き、栄養素を全て自分のものとすることができるのではないか。ひと口ひと口を幸せを感じながら味わうことで自分にとっての適量で十分に満たされる。

ひとつひとつが持つ意味やパワーを理解し、それを最大限に活用することで最も効率的で豊かな暮らしができるのではないか。

その2のまとめ

ストレスケアとのつながりが見えにくいかもしれませんが、その3に続くとしたいと思います。

禅の修行は暮らし全般ひとつひとつである
毎瞬毎瞬いまここに集中する
丁寧に暮らすことで見えてくるものがある
いまの暮らしは当たり前ではなく感謝すること

誤解のないように申しますと、私は宗教を普及したわけではありません。中立でいたいと思っています。
また次回をお楽しみに。最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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