【エッセイ】人は見た目が……何割でしたっけ。
#習慣にしていること
「身なりに気づかう」
左から。
お寺のお念珠を2本。シルバーはトゥアレグ族のバングル、土佐青龍寺のリング、ホアシユウスケさんというデザイナーの蛇のリング、それからまた、バングルと似たデザインのトゥアレグ族のシルバーリング。写真にはないけれど、左手首に腕時計(timexばかり5つほど)。リングはその日の気分で適当につけています。リングはこれ以外にもあるので、ごちゃごちゃしない程度に着け替えたり。トゥアレグ・シルバーは御守として購入したので、つけないときはありません。
ゴールドをつけていたこともあるけれど、近年はシルバーが好み。僕は手首や指が華奢なので、なにもないと淋しい。過度には飾りたくない。でも、少しは自分の手元を演出したい。そんな気持ちで選んだいくつか。
トゥアレグ・シルバーは、昨年、県の芸術祭で賞をいただいて、その表彰式のときに「表彰状を受け取る手元を撮影されるのではないか」と思って購入したんですけど、そんな写真はありませんでした(苦笑)。
トゥアレグ族は「青の民」と呼ばれる、砂漠に暮らす遊牧民。民族衣装は鮮やかなブルーに染められたものを着て、(しょせんは部外者のロマンを込めた身勝手なイメージだろうけど)自由に暮らしているように見える。なにかのドキュメンタリーなのか、そういったもので見かけてから、ずっとその人たちと、トゥアレグ族がつくるシルバーに憧れていました。砂漠の先導者がつけるための、その目印にしたのがトゥアレグ・シルバー。砂漠の民のリーダーって、ロマンありますよね。
小学生のとき。なぜか砂漠に憧れた僕はトルコやイエメンの日本大使館に電話をかけて、観光ガイドや宿泊施設のパンフレットを取り寄せて(その節はお世話になりました)、それをずっと眺めて旅を夢に見る子供でした。
……そのころは(そのころのほうが)、ある種の奇行が目立つ子供だったんです。僕は僕の嗜好性、思考性が正しいと思っていたけれど、周囲の子供とはあんまり合っていなかった。でも、同級生が何に興味を持っていたのかは知らない。おそらく訊いてもいなかったのだと思う。
某国営放送のドキュメンタリー番組とか好きでした。いまでも見ていますけど。ちゃらちゃらとした子供向けな(当時は子供でしたが)、そういうのは好きじゃなかった。
まあいいや。なんでだろうか。自分の嗜好性には自信があるのに、子供のときを振り返ると、ただただ浮いていた自分を思い出すんですよね。なので、やっぱり封をしたくなる。過ぎてくれて良かった。大人で良かった。もう、誰に文句を言われることもない。言われたところで、「人それぞれ」で終わらせることができる。
母は着道楽の家系で育った。叔父も叔母も、そこにいる人たちは誰もが背が高く、それぞれに好きなものを身につけて写真に映っていた。手足が長い痩身の家系。母をはじめ、女性でも160未満がいない高身長家系。喫茶店を営んでいた祖父は180あったし、四季を問わずスーツを着ていた。洋服を買う、着ることを至上の喜びのように生きている人たちだった。
ラルフ・ローレンでも、ブルックス・ブラザーズでもいい。コムデギャルソンを着ている人もいたし、ヨージヤマモトを好む人もいた。それぞれに自分の方向性を持ち、その美的感覚に従って生きていた。その人たちの多くは絵の道に進むか、絵を描くことを生業のように生きている。
そういう人たちを見て育った僕は、とりわけ、着るものへのこだわりが強かった。自分で買ってくるわけではない、幼稚園のときでさえ、好きな服とそうでない服をわけ、好きにならなかった服は二度と袖を通さなかった。そのころから自分なりの好みがあったし、好きなサイズ感と色があった。
思えば、それは美的感覚に大きな影響を及ばしたであろうと思う。「かっこいいかどうか」「おしゃれかどうか」はひとつの基準になった。極端に言えば、身なりがかっこ良くない人は、それだけで僕の選択肢の外になった。かっこいい人は身なりだってかっこいい。いまだってそう思っている。美しい音楽を奏でる音楽家でも、その本人の身なりがそうでなければ、なんとなくがっかりして気持ちが離れることもある。それはどんなジャンルでも同じで、やっぱり、かっこいい人がいい。しゃきんとかっこいい、とか、女の人なら「ヘアスタイル可愛い。笑顔が可愛い」がいい。人は相応の外見が必要なもの。そういうことはいつの時代も変わらないはず。
ロックスターは、ポップスターはいつだってかっこいいし、チャーミング。どんな芸術家も、その風貌は大切なもの。
近年の僕は古着が再ブーム。欧州のミリタリーや、ハイブランド、モダンヴィンテージを標榜するブランドに、アメリカのレギュラーを混ぜる、国産ブランドを混ぜる、みたいなミックススタイル。靴はナイキかBIRKENSTOCK(どちらかに絞ってから、足元はすごく楽になりました)。ゆるっと大きなサイジングで、体にフィットしてこないもの。コートだったら、肩が落ちて、着丈は膝まで欲しい。
僕は会社勤めではないので、いわゆる、お給料やボーナスはない。収入のたびに古着屋、洋服店に買い物に行く。でも、会社勤めをしていたころだって、お給料のたびに服を探しに行っていた。バイト代が入れば、それをすべて服に使っていたころもあった。
いまでもそう。引越のたびに、衣類の多さに驚かれる。「これ全部?」みたいに。しかも若くはない男がそんなふうなのだ。なかには僕に怪訝な顔を浮かべる担当者すらいる。
「スーツと部屋着とパジャマだけで良くないですか?」と。
声にはしないが僕は思う。「僕が何にお金を使っていても、それは僕の自由だから」と。
いつだっておしゃれをしていたい。人目を気にする自分でいたい。そんなふうに生きていれば、くたびれたサラリーマンのようにはならないし、偶然知り合った人から「おしゃれですね」なんて言われて、意外な話に花が咲く。
人は外見が9割って本があるんでしたっけ。それは本当にその通りだと思う。身なりが良くない人は憧れてはもらえないから。
徒歩20秒のコンビニに行くときでも、ちゃんと着替えて行ってますよ。そこまでしなくてもいいとは思うんですが、これはもう習慣ですね(笑)。
photograph and words by billy.
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