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短編小説「すがたとかたち」


 鏡に映る私は、昨日より細い。今朝は昨日より六百グラム痩せて、48キロ。でも、まだまだ。そう言い聞かせて、ミネラルウオーターのボトルに口をつけた。あれいつだっけ。10年くらい前に、痩せすぎたモデルの死亡が取り沙汰されたけれど、私はまだ痩せられる余地がある。身長を考えれば、あと5キロは落とせる。
 冷蔵庫を開ける。そこにあるのは、ゆで卵になる前の卵、ゆで卵になった卵、それから、スーパーにあるパックのサラダ。たんぱく質と食物繊維は必須。ミネラル。ビタミンも摂りたい。たんぱく質と言えば鶏の胸肉。
 それだけでいい。生きて、痩せていられたら、いい。でも、扉にはぎっしりと糖質オフのビール。いつもは飲まない。1キロ痩せたら、自分へのご褒美に1本だけ。そう決めている。美しくなりたい。美に取り残されるなら死んでしまうほうがいい。 
 いまは食べられるものを網膜に吸収するように睨んで、そしてそれを遮断するように、扉を閉めた。もう一度、鏡の前で自分を確認しよう。そこにいるのが醜い私でありませんように。
 あれ。私って、こんな顔だっけ。鏡のなかにいる人が自分だと思いたくなかった。そこにいるのは丸い顔の、丸い鼻。その上、赤い頬をした、相変わらずの私だった。慌てて体重計に乗る。スプリングが軋む音に萎える。どうして。六百グラム増えてる。どうして。狼狽した私は、ファンデやらアイシャドウやらアイブロウやらマスカラやチークやリップや、塗りたくったあれこれが増量に繋がったんじゃないかと、慌てて、それらを水道水で擦り落とした。
 シャツを剥ぐ。キャミソールとパンツも脱ぎ捨てて、どうにか八百グラムを減らせた。
 でも。
 こんなんじゃ、来年のハロウィンに参加できない。誘ってもらえない。スマートフォンを手にした。そこには、昨日、アニメキャラに扮して、皆で、並んで撮った、映えている私たちがいる。
 はずだった。
 これは誰なんだろう。少なくとも、その写真に私はいない。カメラロールにあるすべての写真を確認してみた。私の知ってる誰かもいない。ここには、美しい私がいない。美しい私の友達たちもいない。そもそも、この人たちは誰なんだろう。
 思わず電話をかけた。
 この電話番号は現在使われておりません。
 この電話番号は現在使われておりません。
 この電話番号は現……。
 相次ぐ。慌てて、別の誰かを探す。誰にもかからない。何が起きたのだろう。
「助けて」
 そう叫んで、私は新しいビールのプルタブを引く。ひと息に飲み干した。窓から吹き込んでくる風。ふいに出るくしゃみ。今日って。
「え、今日って。いまって」
 何月何日?
 何年の?
 冷蔵庫のマグネットに吊り下げられているカレンダーって。思わず悲鳴。かすれる声。痛む喉。たまらず咳き込んだ。
「私が私でなくなってゆく」
 そんな気がした。せめて。せめて、修復可能な私がそこにいますように。もう一度、鏡へ向かう。手にするビールの消費期限をちらり。目がかすむ。
「私。元に戻ってる」
 減量する前の、太っていて、メイクも知らない、田舎で、ポテチを食べながら、アニメを見ているだけの、だらしない高校生だった、あのころの醜い私が鏡のなかにいた。
 昨日。何の仮装をして、ハロウィンに行ったんだろう。かび臭い引き戸を開けて、そこにあるはずの衣類を探す。紺色の作業衣。灰色の作業衣。それから、訳の分からない、ユニフォーム。
 これってさ。ふいに感じるのは、吐き気。私が誰かなんて、そんなの、もう、どうだっていい。記憶している。そうだ。私は何度も、何度も、こんな夜を繰り返してきた。ひとつ、大きくため息を吐く。迫り上がる、胃の中身。ウィッグをむしり取る。戸を開けて、便器に顔を突っ込んだ。体のなかの、私を構成するすべての成分を、私そのものをそのなかに吐く。低く、かすれた唸り声。手の甲や、指に生えている、毛。その根元の、日焼けに乾燥した甲。ぐるぐる回る視界に、手のひらを向けた。しわの増えた、年寄りの手。
 私は思い出す。いや、僕は思い出す。息を吐き、もう一度、吸う。それをすべて吐き出した。ゆっくりとした足取りで、鏡の前へ迫った。
 正対して、ため息のあと、目を開く。
 そこにいるのは、僕だった。いくつになったのだろう。おばあさんなら、まだ良かったのに。
 そこにいるのは、痩せこけて、顔色の悪い、おじいさんだった。ふふふ。思わず笑った。悪夢のような現実。なんど、これを繰り返したのだろう。叫び声をあげて、僕は、部屋を飛び出した。階段を駆け降りた。そのとき。僕の右手に軽トラックが突っ込んで来るのが見えた。全身を衝撃が走る、そして、空を舞う私は、僕は、かつての夢を思い出す。
 僕の夢は、可愛い女の子になることだった。

artwork and words by billy.
#2000字のホラー
#ほろ酔い文学

p.s. 2000字のホラーとほろ酔い文学って、もう、〆切過ぎてるんですかね。クリエイターフェスももう終わったのかな。
 ハロウィンとかクリスマスとか、いつの間にか、若い人たちが騒ぐためのイベントになってしまったけれど、僕は若いときから、そういうふうにはしゃぐのが苦手でした。いまだにディズニーにも行ったことがないし、これから行きたいとも思わない。突然、スタッフと来場者が踊り出すなんて、そんなゲリラ的なテンションがなくって。それから「新成人が荒れる成人式」とかね。
 そう言えば、僕は成人式にも出席せず、友達とアダルト作品の見学に行っていました。そう思うと、やっぱり、集団や、そこに参加するのが苦手だったんですよね。それが理由で、当時、お付き合いしていた女の子に文句を言われたな(笑)。
 でも、クリスマスとか、その直前の街の風景は大好きです。今年もまた、クリスマスがやってきますね。やっぱり、今年も楽しみだな。
 オールディーズとか、ジャズでも聴きながら、あるいは古い映画を観ながら、静かに過ごすのが好きです。たまにはシャンパンも美味しい。
 12月になって、いっそう肌寒くなって。クリスマスでしょう。年末。お正月。僕はそんな季節のほのかな光がなによりも大好きなんです。
 それでは、また。

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