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地図が読めない人間の日常

「あの、北野小学校への行き方わかります?」

iPhoneの画面を見せながら話しかけてきた40代くらいの女性は、やや関西訛りのイントネーションだった。一応iPhoneを覗きつつも「あー、すみません、ここらへん全然詳しくなくて……」とぺこぺこ頭を下げる。

今年の春、神戸へ旅行したときの出来事である。まさか旅行先でも道を訊かれるとは。
私は首から下げたフィルムカメラのストラップを掛け直し、三ノ宮駅方面を目指して歩く。
どうやらカメラは「観光客です!」アピールとしては不十分だったらしい。


出かけると3回に1回のペースで知らない人から声をかけられる。とにかく知らない人に絡まれやすいのだ。

「僕、靴磨きで世界を変えたいんですけど、話聞いてもらってもいいですか?」「幸せってなんだと思います?」「あの、怪しいものなんですが」──これまで経験してきた街中での絡みの内容はバラエティに富む。

なかでもダントツに多いのが、道を訊かれるパターン。
実は神戸旅行の前日の京都でも道を訊かれた。
四条から五条へ鴨川沿いを歩いていたところ、杖をついたおじいさんから「四条ってあっちだっけ?」と。
確率論的に考えておかしい。どう考えてもおかしくないか?

まあ、ナンパやキャッチとはちがって、道を訊いてくる人は安心安全の無害ピープル。普通に答えればいいだけの話である。
頼られて悪い気はしないし、できる限り役に立ちたいと思う。
しかし、残念なことに私にはそれができない。
なぜなら、私は重度の方向音痴だからだ。

「こっちだ!」と思って進んだ道は大抵間違い。
裏をかいて予想と違う道を進んでみても間違い。
建物に入ってから外へ出るとどっちへ進めばいいかわからない。
紙の地図は読めない。
iPhoneのマップを見ながら方向を確認しようとその場でぐるぐる回転。
iPhoneのマップを読めるようになったのはここ数年の話。
東とか西とか言われると思考停止する。
個室の居酒屋はもちろん、個室じゃなくてもお手洗いから一発で席に戻ってこられない。
このような「方向音痴あるある」は当然のごとくコンプリート済みだ。
それだけではない。
重症だと自覚している私ですら、自分の方向音痴っぷりにドン引きしたエピソードがある。

高校に入学したばかりの頃だった。
私の出身高校は増築に増築を重ねた魔宮のような校舎で、それはそれは方向音痴に優しくない校舎だった。
校舎の造りを覚えるまでは常に誰かと一緒に行動していたのだが、あるとき委員の仕事で急に図書館へ行かなければならないことがあった。
図書館が1階にあることだけは覚えていたものの、行き方などわかるはずもない。
私は慌てて近くにいた先生らしき人に「図書館ってどう行けばいいですか?!」と尋ねた。

「そこの階段で1階まで降りて、右に行けば図書館へつながる通路があるよ」

なんだか思っていたよりもシンプルな行き方。
私は小走りで階段へ向かった。
ところがその直後、先生がひどく慌てた様子で私を追いかけてくる。

「ちがうちがう、階段はそっち」

振り返ると、降りるべき階段から10メートル先まで突っ走っていたことに気づいた。
行き方を聞きながら階段のほうを見て確認していたはずなのに。
自分でも自分が怖い。

だが、方向音痴を治す特効薬が奇跡的に開発されたとして、それを飲みたいかと言われるとそうでもない。
方向音痴の街歩きはセレンディピティに満ち溢れているからだ。
インスタで見つけておいた雑貨屋へ行くのに迷ったおかげで隠れ家的な純喫茶に出会ったり、路地裏に迷い込んでレトロでアングラなスナックの看板を見つけたり。
普通の人なら絶対に行けないような場所に辿り着ける。
「方向音痴のわりに一人でめちゃくちゃいろんな場所行ってるよね」なんてよく友人に言われるが、方向音痴だからこそ知らない場所へ行くのが楽しい。
方向音痴で困ることといえばせいぜい2つくらい。
ひとつは道を訊かれて答えられないこと。
あと、遅刻しないように迷う前提で早めに家を出なきゃいけないこと。
なんだかんだ、私は方向音痴とうまく付き合えている。


それにしても、先ほどから歩き続けているが、いつまで経っても三ノ宮駅に着く気配がない。
石畳にヨーロッパのガス灯風の街灯が立ち並ぶ街並みから一変、焼肉屋やクリーニング屋など庶民的な雰囲気が広がる。
「二宮センター街」というらしい。
名前的に察したが、やはり三宮を通りすぎてよくわからない場所へ迷い込んでしまっていた。
近くにはシャッターだらけの薄暗い商店街もある。
アーケードに吊るされた古びた看板には「広告募集」という文字。
多分、長い間広告主はついていない。
寂れた雰囲気が最高に私好みだ。
オシャレタウン神戸の意外な一面を知ることができた気がする。
フィルムカメラのファインダーを覗き込んだ私はほくそ笑んだ。

思わぬ展開が待ち受ける方向音痴の街歩き、やめられない。

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