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原稿と目玉焼き

「ぬぉ~~~!もうムリ!もう、なんもできん!」

真冬の夜、パソコンを閉じると、私は思わず声に出した。

その日は原稿が思うように進まなかった。オンラインでインタビュー取材した内容を原稿にしていたのだが、書きたいことが多すぎて、決められた文字数内におさまらない。四苦八苦しているうちに、何時間も経っていた。

原稿、送れない……。きょう送る予定なのに……。

あせればあせるほど、うまくまとまらない。夜までかかってもまとまらないので、結局、その日に原稿を送ることはあきらめることにした。

原稿を送るつもりだったその日、晩酌は鍋にしようと思っていた。冷蔵庫にには、鍋用の鶏肉や白菜や豆腐やしらたきが入っている。

しかし、原稿を書き終えると(いや、終わってはいないのだが)疲れて、もうなにもしたくなかった。

鍋の準備はラクそうに見えるが、ひとり暮らしの私にとってはそうでもない。まず、肉やら野菜やら、さまざまな食材を切らなくてはならない。しかも、材料がそろっても終わりではない。つくりながら食べる。まぁ、つくるといっても、お出汁に入れるだけなのだけれど。

その日は疲れて、食材を切ることも、つくりながら食べることもやりたくなかった。できあがった料理をつまみながら、ボーッと飲みたかった。

「どうしようかなぁ……」

つくりたくはないが、おなかはペコペコである。なにか食べたい。だけど、つくりたくはない。つくりたくはないけど、つくらなければなにもない……。

そう思いながら、とりあえず冷蔵庫の扉を開けた。鍋用に買っておいた食材の横に、卵が10個入ったパックがあった。

「あ、そうか」

ふと思いついたのが、目玉焼きである。目玉焼きなら、卵を割って焼くだけだ。耐熱皿を使えば、洗いものも少なくて済む。

私は早速、耐熱皿をオーブントースターに入れて、スイッチをひねった。耐熱皿を温める間に、冷蔵庫から卵を2個取り出して、ごま油と醤油を用意して、さらにはやかんに水を入れてお湯をわかす。焼酎のお湯割りを飲むためである。

耐熱皿をほんの数分温めたところに、ごま油をひき、卵を2個、直接割り入れた。

ジュッ、と小さな音がして、透明な白身のフチに細かな泡のようなものが立ち、そこから少しずつ白くなっていく。その様子を確認して、オーブントースターの扉を閉めた。

焼き上がるまで、5分くらい。焼酎のお湯割りを何口か飲んでいれば、あっという間だ。

チ~ン!という合図がして、すぐにオーブントースターの扉を開く。耐熱皿がアツアツのうちに、醤油を回しかける。

また、ジュッ、と小さな音がした。醤油が焦げたときの、香ばしい香りが広がる。

「はぁ~。これこれ。いいじゃないの~」

そういえば、目玉焼きなんて久しぶりだ。こんなにカンタンにできるのに、なんでしばらく忘れていたんだろう。

茶色の耐熱皿をコルクの鍋敷きにのせ、そのまま食卓へ運ぶ。

「いただきま~す」

箸を持ったまま手を合わせた後、早速、できあがったばかりの目玉焼きをつつく。

まずは、白身。端っこはカリッと、内側はフワッと。ごま油と醬油の香りをまとって、つるんとおいしい。

そして、黄身。思った以上に中まで熱が通っていて、中心部分のほんの少しだけが半熟に近いオレンジ色。それ以外の部分は、やわらかな黄色をしている。黄身にもごま油と醬油の香りはするが、それ以上に黄身そのもののコクがおいしい。そのコクを感じながら、焼酎のお湯割りをちびり。

「目玉焼き、うまいじゃないか~」

卵と、調味料。たったこれだけなのに、こんなにもおいしい。おいしいものは、シンプルだ。

そうだ。シンプルでいいのだ。

鍋のように、いろんな食材を使った料理は、たしかにおいしい。だけど、目の前にある目玉焼きのように、食材がたったひとつでも、十分においしいではないか。

原稿だって、同じだ。いろんなことが書いてあってもいいし、ひとつのことを突き詰めて書いてあってもいい。どっちつかずが一番ダメなのだ。

その日、私が四苦八苦してもできあがらなかった原稿は、まさにそれだった。いろんなことを幅広く書いているわけでもなく、ひとつのことを突き詰めて書いているわけでもない。内容が中途半端だから、なんだかまとまりがなかったのだと気づいた。

明日、原稿をもう一度最初から読み直してみよう。読み直して、ポイントをしぼって、もっとシンプルに書こう。

シンプルでいいのだ。目玉焼きのように。

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