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お米をとぐ

眠い。しかし、どんなに眠くても、お米をとがなくては。

このまま眠ってしまったら、明日の朝、炊きたてのごはんが食べられない。
そう思って、半分閉じたようなまぶたをムリヤリこじ開け、キッチンへ向かう。

炊飯ジャーのお釜を取り出し、お米を保存してある食料庫の米袋を開けて、お釜にお米を入れる。本当はお釜でお米をといではいけないと聞いたことがあるが、ボウルでお米をとげば、そこからお釜に移さなくてはならない。それがめんどくさい。

お釜に入れたお米に向けて、水道の蛇口から直接水を注ぎ、お米をとぐ。

ザッ、ザッ、ザッ。

冷たい水でお米をといでいると、さっきまで半分閉じたようだったまぶたがシャキッとなる。目は覚めたが、手は無意識だ。無意識に手を動かしていると、お米をといだ水が真っ白ににごる。お米をこぼさないように注意しながら、そのとぎ汁を流す。何度か繰り返しているうちに、だんだん水が半透明になる。

その様子を眺めながら、ふと思い出したことがある。

子どもの頃は、お米をとぐのがイヤだった。本を読んだりテレビを見たりしたかったから、お手伝いがキライだったのだ。

でも、夕飯に炊きたてごはんを食べさせたかった母は、夕方になると仕事先から電話をかけてきた。携帯電話なんてない時代だから、家の電話が鳴る。私は3人きょうだいの末っ子で、兄と姉がいるのだが、2人ともすでに中学生だったから帰りが遅かった。その時間に家にいるのは、まだ小学生の私しかいなかった。

電話に出ると、母は「お米をといで水につけておいて」と私に言った。

当時は、すでにタイマー付きの電気炊飯ジャーが一般的だったと思う。しかし、ウチの母は「ガスで炊いたごはんの方がおいしい」と、電気炊飯ジャーを使わなかった。わが家にあったガス炊飯器にはタイマーがなかったから(当時、タイマー付きのガス炊飯器が販売されていたのかはわからない)、夕飯に炊きたてごはんを食べるためには、誰かがお米をといで30分以上吸水させ、火をつけなければならなかった。

母が仕事先から帰宅した後でそれをやったのでは、育ち盛りの子どもたちから「おなか空いた~!ごはん早く~!」と言われてしまう。だから、夕方になると仕事先から電話をかけてきていたのだった。

「お米をといで水につけておいて」という母からの電話を切ると、私はしぶしぶ台所へ行き、ピンク色のボウルにお米を入れて、お米をといだ。

ザッ、ザッ、ザッ。

冷たい水でお米をとぎながら、さっきまで読んでいた本のことを思う。せっかく、おもしろいところだったのに。なんで、私がお米をとがなきゃいけないんだ?これはお母さんの仕事なのに。お兄ちゃんだって、お姉ちゃんだって、こんなことしてないじゃないか。なんで、私だけ……。

そう思いながら、お米をといだ。何度か水をかえて、お米のとぎ汁が透明に近くなると、ガス炊飯器のお釜にお米を移し、決められた線まで水を注ぐ。そこまでやることを、母から教えられていた。

わが家にタイマー付きの電気炊飯ジャーがあれば、私がお米をとぐ必要はなかったのに。あのときは、そう思った。

あれから、数十年が経った。

今でも、畑仕事にサークル活動にと元気に動く母は、相変わらず、朝飯でも夕飯でも炊きたてごはんが好きだ。ただし、ガス炊飯器ではなく、タイマー付きの電気炊飯ジャーを使っている。だから、誰かに「お米をといで水につけておいて」と頼む必要がなくなったようである。

母と離れて暮らす私はといえば、やっぱり炊きたてごはんが好きだ。しかし、朝飯こそごはんを食べるが、夕飯の主食はごはんではない。お米はお米でも、お酒という名の液体を「主食」にしている。

そして、この「主食」はお米からできているが、とぐ必要がないのである。

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