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今年も、つくろう

2021年1月1日。お雑煮をつくった。
もち入りのお汁粉と、納豆もちもつくった。納豆もちは、実家のある山形では定番のもち料理だ。

「つくった」といっても、おもちはいただいたものを焼いただけだし、お汁粉は缶詰のあんこ、納豆も市販品。お雑煮のお出汁も市販品である。けれども、自分でつくったのは初めてかもしれない。


いつものお正月なら、私は1月1日午前中の新幹線に乗り、ふるさとへ帰る。東京駅が混雑する12月末ではなく、比較的空いている1月1日に移動するのが、私のいつもの帰省だ。

そして、その数時間前には、なじみの居酒屋でカウントダウンをして、常連さんたちと乾杯をしている。それが私の、いつもの年越し。

しかし、今年は居酒屋での乾杯ができなかった。年越し営業をしているお店自体が少なかったし、電車の終夜運転もなかった。いうまでもなく、新型コロナウイルスの影響である。

今年の私は、元日の新幹線に乗ることもなかった。実家の母と姉からは、12月に日本酒が6本も送られてきた。

「この年末年始はこれを飲んで。実家には帰ってくるなよ」というわけである。

だから、ひとり分の年越しそばと、ひとり分のお雑煮をつくった。

つくりながら「そういえば、2020年はいろいろつくったなぁ」と思った。ひとり暮らしをしてから、こんなに自炊をしたことはなかったかもしれない。


これまでの私は、圧倒的に外食が多かった。私はお酒が好きだから、おなかが空くとなじみの居酒屋へ駆け込んで、鍋料理や焼きものをつまみながらお酒を飲み、常連さんたちとおしゃべりをして過ごしていた。

けれど、去年は4月の緊急事態宣言の後、それがあまりできなくなった。

仕方がないので、自分でつくった。最初は、パスタをゆでて市販のソースをかけるくらいだった。それから、市販のソースに飽きて、自分で材料を買ってくるようになった。

寒い時期には、鍋料理にした。はじめのうちは「ひとり暮らしで、鍋料理か?」と思っていたが、これが意外と簡単で便利なのだ。鍋料理なら、材料を切って煮込むだけ。たいてい、その日に全部は食べきれないから、翌日にご飯を入れて雑炊にしたり、うどんを入れたりする。つまり、一度の料理で2食分になる。

そうやって、数か月間は「食べるため」につくっていた。空腹を満たすためにつくっていたと言ってもいいかもしれない。出来上がった料理を早く食べたくて、つくる過程を面倒に思っていた。

けれども、少しずつ、その意味が変わってきた。


今思えば、きっかけはコロナの影響で仕事が減ったことだったと思う。仕事が減り、収入が減った。増えたのは「時間」だった。

手持ちぶさたになった私は、実家から送られてきた果物を使って、ジャムをつくった。ジャムなんて、普段は買ったこともないのだけれど、果物が余っていたのだった。

最初は、リンゴを使ったと思う。ネットで調べた簡単なレシピには「皮ごとでもいい」と書いてあった。リンゴの芯を除き、実を少し小さめに切って、砂糖と一緒に鍋に入れた。

リンゴがジャムになるまで、どのくらいかかっただろうか。火のそばを離れるわけにはいかないし、焦がしてはいけないとも思ったから、ずっとキッチンにいた。鍋の中のリンゴをかきまわしながら。

長い時間そうやっていたら、鍋の中のリンゴがジャムっぽくなった。

「お、いい感じじゃない?」

自分でつくったリンゴジャムを味見したら、案外、おいしかった。粗熱を取り、ヨーグルトと一緒に食べたら、一層おいしかった。

そうして食べながら、気がついた。ジャムをつくっていたとき、何も考えていなかった自分に。ただひたすらに、鍋の中のリンゴが焦げないようにかき混ぜていた自分に。


そのジャムをつくるまで、私は不安でいっぱいだった。

仕事が減り、収入が減り、先が見えないのに、時間だけが余っている。そして、その時間だけが過ぎていく。

「これから私、どうすればいいんだろう……」

だけど、ジャムをつくっている時間は、それを考えなかった。そういえば、料理をつくっているときは、何も考えていないかもしれない。ただ、おいしいものをつくるためだけに、頭と手と舌を動かしている、と思った。

そう思ったときから、私にとっての料理は「食べるため」だけではなくなった。おいしいものを食べたいのはもちろんだが、「つくること」そのものに意味があるのだと思うようになった。

材料をそろえ、下ごしらえをして、火を通す。そういう「料理をつくる」時間。その時間にも意味があるのだと思ったら、つくることが面倒ではなくなった。


だから、年越しそばもお雑煮も、ひとり分だけつくった。それが苦ではなかった。

つくることが面倒ではなくなった今でも、手間がかかる料理は、まだつくったことがない。珍しい調味料も持ってはいない。ひょっとすると、これから手間も、調味料も、増やすかもしれない。

今の私は「どんな料理を食べたいか」という結果を求めているわけではない。「料理をつくる」という過程を楽しんでいる。いつまで続くかわからないが、今年もつくることを楽しもうと思っている。


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