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私の中の「10年後の私」

「今の自分は、10年後の未来からタイムマシンでやってきた自分だ、と思えばいい」

この言葉は、今から10年後の未来で生きていた自分が「ああ、あの時に、あんなことをしなければ」「あの時に、もっとこうしていれば」と強く思ったから、10年前の今にタイムスリップして未来を変えようとしている、という意味だ。

誰かが言ったこの言葉を意識するようになってから、私の中に、もうひとりの私がいる。

「10年後の私」である。

10年後の私は、人を見ても、モノを見ても、「今の私」のアタマの中で、こう囁く。

「ねぇ、この人(またはモノ)って、10年後、どうなってると思う?」


私は、駅のホームや電車の中で、人間観察をするのが好きだ。

駅にも電車にも、いろんな人がいる。ランドセルを背負った小学生、制服を着た高校生、カジュアルな服装の大学生、スーツを着たサラリーマン、赤ちゃんを連れた親子、シニア層のご夫婦、杖をつきながら歩くお年寄り…。

誰かを見るたびに、私の中の10年後の私が囁く。

「ねぇ、この人って、10年後、どうなってると思う?」

10年後、小学生は高校生になっているだろうし、高校生は社会人になっているだろう。大学生は中堅サラリーマンになっているかもしれないし、サラリーマンはシニアになっているかもしれない。赤ちゃんは小学生になっているだろうし、シニア層は杖をついているかもしれないし、お年寄りは…。

そんなことを考えながら、仕事場へ行く。取材した音源を聞き、資料を見て、原稿を書きながら、また、私の中の10年後の私が囁く。

「ねぇ、取材したこの会社って、10年後、どうなってると思う?」

仕事を進めるうちに、お腹がすいて、ランチに行く。飲食店に入って、メニューを見て、料理を注文する。待っている間に、またまた、私の中の10年後の私が囁く。

「ねぇ、この店って、10年後、どうなってると思う?」


私の中に10年後の私がいるので、今を生きる私は「今」を見て「未来」を想像するようになった。人の見方も、モノの見方も、これまでとは違うような気がする。

そんな私が、時々、数か月前に別れた恋人のことを思い出すことがある。そういう時もやっぱり、私の中の10年後の私が囁く。

「ねぇ、あの人って、10年後、どうなってたと思う?」

それを考えると、ああ、別れてよかったのだ、と思わずにはいられない。

私の中の10年後の私よ、ありがとう。これからも、よろしくね。


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