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神奈川のこと

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2020年11月の記事一覧

【神奈川のこと29】大山、富士、そして箱根の峰々(鎌倉市猫池~鎌倉山)

ほぼ毎日歩く。つまりウォーキング。平日は家の周りを10~15分程度、土日などの休日は、小一時間ほど。よってこれを書く。

まるで散歩に行く前の興奮した犬のように、歩く前は心が躍る。そのはやる心を抑えながら着替えて、最近教会の人からいただいたアンダーアーマー製のいかしたスポーツ用マスクを着けたら、靴紐をしっかり結んで出発。

庭で準備体操と、通称「8秒スクワット」を8セットというルーティンを経て歩き

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【神奈川のこと28】朝も夜もジョン・カビラ(国道134号線・藤沢町田線)

金曜の朝は、ジョン・カビラの声で目覚めるのでこれを書く。

大学生の頃は、毎日、車で通学した。

車を運転して大学に通っていたというと、皆、一様に驚く。平成元年(1989年)から平成5年(1993年)の4年間、バブル景気ど真ん中という時代背景だ。親に買ってもらった真っ赤なユーノスロードスターに乗って通学していた。今の時代ではなかなか考えにくいし、自分の子どもにもそれはさせないだろうが、まあ、そうい

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【神奈川のこと27】センポ・スギハラ(鎌倉市津)

先日、神奈川新聞に杉原千畝の記事が出ていたので、これを書く。

自宅の本棚に一冊の本がある。「六千人の命のビザ 」。裏表紙の内側に「杉原幸子 平成2年12月」とサインが記してある。

昭和15年(1940年)、リトアニア領事を務めていた杉原千畝(スギハラチウネ)。ナチスドイツの迫害から逃れるため、ポーランドからやってきたユダヤ人に、日本を通過できるビザを交付して、多くのユダヤ人の命を救った方である

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【神奈川のこと26】日本の学校には行きたくない!(横浜市中区根岸旭台)

今日は、5年前に亡くなった母の誕生日なので、このことを書く。私が、母を最も困らせたであろう出来事の一つである。

昭和51年(1976年)9月に、父の母校である山手のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(センジョ)に入学した。

私は友達も出来て楽しく通っていたし、両親の教育方針で入ったわけだが、しばらくして、母はどうもその教育環境に疑問を持ったようだ。

父が通っていた1950年代と、私

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【神奈川のこと25】愉快、痛快!地元クリニック(鎌倉市津村)

本日は、インフルエンザ予防接種を受けるため、地元のクリニックに行ったのでこのことを書く。

そのクリニックには6年前の平成26年(2014年)、インフルエンザにかかった時に受診し、それ以降は毎年、予防接種を受けに行っている。

父と同年代ぐらいと思われる男性ドクター(以下、先生)、サザエさんが年を取ったらこんな感じだろうなと思わせる陽気なナース(以下、ナースサザエ)、そして、まるで場末スナックのマ

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