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愛猫は深窓のお嬢様

#ペットロス #ペットロスから立ち直る

どうもこんにちは。いつもウチの三毛さんがお世話になっています。飼い主です。本日は、ずっと憧れていたMacBook airがついに我が家へやってきて愛猫ともどもうれし泣きしております最中であります。

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そもそもApple製品があるともしかして日常が豊かになるかも? なんて漠然と思ったのが二年ほども前のことになるでしょうか。その頃、iPhone Xが劇的に進化を果たしたモデルになるとの噂を聞きつけことで、それまでAndroid派であった私もいよいよ意を決して乗り換えの決意を固めたのがAppleとの馴れ初めでした。すると今思い返しても不思議なことですがそれは何やら機械を触っているというよりももっと身体が拡張されたかのような感覚が湧いてきたのです。

そんな愛機となったiPhoneで最初にやったことといえば愛猫の写真を撮りまくったことでした。「可愛いですねえ、ハイ目線はこっちへくださいな」などとパシャっとしたのがこの一枚。

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どうですか、なかなかの美人ちゃんでしょう? その頃のこの子はすでに十三歳ではありましたがとても元気で、まだまだ屋根の上など高いところにも平気で登るようなところが残っていました。

おてんばなんですが気は優しく喧嘩なんて絶対できない性格です。それは、お気に入りの場所で寛いでいるところに、例えば夏の夜などに「G」 ーーゴキちゃんが出たとしても自分で処理できないようなところがあるほどでした。私の顔を見て情けなさそうに小さな声を上げるばかりなのです。とってにゃ! というふうに。

ある日などは、自分の餌皿に見も知らぬ猫が割り込んできたにもかかわらず、どうぞどうぞという体たらくで譲り、自分はといえばちょっと離れたところからその異邦人が食べ終わるのをずっと見守っているのでした。

自然界は厳しく、一度でもこうした態度をとるとただちに舐められます。案の定、そいつは大きな顔をして出入りするようになりました。

私は素知らぬ顔で当面は様子を窺うに留めておりました。するといよいよ本格的に慣れてきたのでしょう。そのボス猫というかドラ猫はついに皿にある餌だけでは飽き足らずに近くに置いていたカリカリが入った大きな容器を押し倒して破り、中身を堂々と頬張り始めたのです。それでもウチの猫ちゃんは怒りや焦りをみせることもなく静かにしているばかりなのであります。

その時、私は改めて思ったのものです。この子を守れるのは自分しかいないって。この子は究極なお嬢さんなんだなとも。以来、下にも置かぬ態度で接しました。相手はお嬢様、自分は下僕なのですから当然といえば当然です。

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「可愛いですねえ、美人ちゃんですねえ、お利口さんですねえ」と声をかけるのが日課となりました。

そのお嬢さんに突如異変が起きたのが半年前のことでした。最初は少し前足を引きずるような仕草でした。すぐに病院に連れて行きました。

先生は丁寧な触診をしましたが、恐らく高いところから飛び降りた時にでも少し悪くしたのでしょう、とのことでした。

しかし、そのうちに今度は肩が腫れてきてレントゲンを撮ってみたところ肉腫らしき様子で、なんと肺にも何か影があることが判明したのです。血液検査などを経ての所見は、恐らくこれはリンパ腫でしょうとのことでした。目の前が真っ暗になります。あんなに元気だったのになぜ?

そうこうするうちに浮腫で左手がパンパンに腫れ上がりだしました。

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もう高いところにも登れません。それどころか動くのもやっという感じなのです。あれほど元気溌溂だったのがこんな短期間で……まるで嘘のようです。先生は「うまくもって年内でしょうか」と言ったっきりで……。結局、いくつかの治療方針を示してくださり選択は私に任すとのことでした。私は愛猫に何度も語りかけました。

「ねえどうしたい? もう十五歳(人間だと七十六歳くらい)だもんね、君の一番いいようにしようね。苦しい苦しい治療に耐えても一緒にいたいかい?

それとももう苦しむのは嫌かい?」その度に猫ちゃんと目が合うのですが、彼女が何らかの意思表示をしてくるように思えてなりませんでした。それをどうにか汲んでやりたくて彼女の発するものを四苦八苦しながら脳内で人語に変換したりとあがきもがきました。

結局、先生とも相談の上、負担の大きすぎる治療は避け、兎にも角にも彼女がすこやかに過ごせる力添えをお願いすることになりました。強い薬での抗がん治療をするかしないかで約数ヶ月の寿命の違いが出るということでしたが、悩み抜いた挙句の決断を下しました。

お陰様というかなんというか、病院に連れて行く時に愛猫が嫌がったことは一度たりともありませんでした。それどころか、行ってちょっと治療を受けると調子が良くなるのが自分でもわかるようになったのか、薬の効果が切れ始めきつくなりだすと自分から病院をせがむような仕草をしたりと終始ご機嫌であったことだけは数少ないひとつの救いでした。

しかし、それも長くは続きません。9月になったばかりのまだまだ暑い盛りでした。前日、注射を打ってもらいこれでまた少しは調子良くいけるねぇと本人とも喜んでいたところ、気がつけば……事切れておりました。直前まで私にナデナデを所望し、私の手から食事もとっていたというのに。

思えばそれは見事な最後でした。なぜなら、愛猫は自分が死ぬということに意識が全く向いていなかったように思うからです。その瞬間が来るまで必死で「やるべきこと・やりたいこと」を無心に繰り返していただけなのですから。

少し疲れたので目を瞑ってみるかにゃ。目が覚めたらまた飼い主さんにナデナデでもおねだりしようかにゃ、くらいに彼女はきっと考えていたのでしょう。それほど自然な眠りについたのです。それからしばらくの辛さは思い出したくないほどのものでしたが、百箇日法要も終わる年末の頃、ふとあの愛猫のように生きてみたいものだという気持ちがふつふつと私の中の深いところから湧いてきたのです。

ただ一生懸命に生きてみる。毎日を大切にしてみるだけしてみる! できればその姿を通して誰かが何かを感じてくれたらなお嬉しい。愛猫の姿に私や周囲の人間がどれだけか励まされたように。

さて、今日の開封の儀ですが、これはなんだかそんな愛猫からのプレゼントのような気がしてもいるのです。なにせ「お骨も拾ってあげたしねえ……」。などの野暮はともかくも、「これからの飼主さんの仕事は一人でも多くの人に心から喜んでもらえるようなものを書いてにゃ。そういうのを一緒に作るんだにゃ。ウチはずっと側にいて応援しているからにゃ!」って声が聞こえてくる気がしてならないのです。


そう、私たちはシャバでの肉体を通した縁はついに尽きたけれど「魂の縁こそはこれからまだまだずっと続くんだよ」とでも言いたげに。


猫のなき声でのそのような応援歌というものはそれにしても一体どんな響きなんでしょうね? 毎日のように私の耳の奥のほうでは、そうした「ニャアニャアふんグルる」というような音が今でも一杯に響いて満ちているのです。もしかしたらそれは猫ならではの、この世と彼岸との橋渡しなのかもしれません。いやそうとしか思えない。

「ウチの気配を探してね。感じたら話しかけてね。もし見事にできたら褒めてあげるからにゃ!」そのような彼女ならではの「応援」が確かに届いていることを実感するとき、私の中にあった悲しさが大いなる喜びに転じてそれまでの胸の空洞が埋まると共にギュッと再び体中に力が漲り出すのです。


以下の新刊には、愛猫への感謝の気持ちを込めて献辞に名を入れました😼

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※生まれかわりや輪廻について思索を深められる小説はコチラ↓







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