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練習の効果を高めるのは言葉化か、それとも文章化か?国語力が大事??

こんにちわ。日々練習を観察していて気が付いたことを記事にしています。今回は伸び会について気が付いたことがあったのでまとめました。ラクロスを中心に書いていますが、サッカーでもバスケでも伸びたい選手全般に言えることだと思います


ラクロスの練習の風景では良くみられる光景なのですが、一つのメニューやセットが終わると集合し、即時に振り返りを行う。

今のはこうだった、もっとこうしたかった。こっちの方がいい。などたくさんの意見が飛び交う。ゆえに長くなってしまうこともある。(良くない面)

お互いにフィードバックを行うし、自分の伸び代を話すなど、『言葉化』している。

言語化とは

少し前から言語化という言葉がスポーツ界では良く使われている。スポーツでは抽象的な言葉が飛び交うことが多いため、意味付けや価値づけを行いそれに名前をつけることで、共通の認識の元でその言葉を共通言語として使う。そうすることで、お互いの認識のギャップを最小化し、意思疎通を円滑に行うために使われる。

言葉化とは

言葉化とは、無意識の意識化である。競技の中では瞬間的に判断することが多く、一瞬にしてかなり多くの情報量を処理している。この思考判断のプロセスを表出させることが言葉化である。もちろん、そこには感情も含まれる。こうすることで、セルフフィードバックを行うことができるし、再現性を高めることもできる。集団やパートナーと行うことで外的なフィードバックももらえる。相互認識を高める効果も期待できる。また、お互いに教え合うことで学習効果をより高めることができるのも大きなメリットである。

メリットまとめると、以下のようになる。

・情報伝達の瞬発力がつく
・内外的フィードバック
・相互認識の強化
・学習効果の向上などである。

もちろんデメリットもある。客観性に乏しいことである。ここであげられるものを主観的な評価を元に言葉化している。しかも、即時で作っているため、順序や論理性に欠けることも良くある。複数の意見が出てくると最初に言ったことを忘れてしまうということもしばしばある。

前段で触れたがラクロスの練習ではセットごとに振り返ることが多い。そのため即時言葉化させる場面も多い。しかし、それは主観的な評価と感想になっているため本当にそうだと言えるかどうかを本人たちが振り返りづらい。

そこで多くのチームがやっているのが、練習をビデオで撮って振り返りをするということだ。そうすることで、実際どうだったかを再確認できる。

と、ここまでどのチームもやっているだろう。

前置きが長くなったがここからが本題である。ここに追加して新しい取り組みをしてもらっている。それが文章化である。(うちのチームはこれに共有を加えている。)

文章化とは

文章化はまさに読んで字の如く。文章に書き出すことをする。練習中にはできないので、ビデオの振り返りを文章化してもらっている。あえて文章化してもらうのには以下のメリットがある。

書くことでより視覚的に再認識することができる。書くというプロセスを挟むことで思考を深めることができる。論的的にかつより具体的にできないと『書く』とうことができないからだ。思いつくままに『書く』というのは難しい行為である。考えがまとまらないと文章化はできない。言葉化ではニュアンスで伝わってしまうということが起こり得る。文章化しておくことでログとして残すこともできる。自己を見つめ直すためのまとまった時間を作れることが良い。これはスポーツに限らず社会人には必要なことだろう。

少し前に流行った本だが、メモの魔力や0秒思考といったものも文章化である。アンガーマネジメントでも感情を紙にひたすら書くことをお勧めしていたりする。詳しくは書籍を読んでください。

もちろんデメリットもある。一番のデメリットは熱量と労力と時間がかかるということだ。学生は思ったよりも忙しい生活を送っている。動画を見直し、文章化までするにはそれなりの熱量と時間、労力がかかる。

やってみてどうだったか(主観)

実際この取り組みをしていると選手の成長速度が違ってくるように感じられる。文章化し、思考を整理し、深めることで定着するからだろう。もちろんコーチングで促しているところもある。だが、明確に書いていたところは伸びているが、そうでないところの伸びはイマイチな印象を受けてしまう。

この時の書き方も注目すると面白い。伸びている選手は抽象的な単語を使いつつも内容は具体的だったりする。伸びがイマイチな選手は◯◯する。で終わっている。国語力の問題はこういったところでも問われるのだろう。

イメージを明確にかつ、正確に伝える。座学の勉強ではあるが、体で表現するスポーツにも一役かってることは間違いない。

よく目標は紙に書けと言われるが言葉化だけでも、文章化だけでも足りないのかもしれない。以前の記事で手段と目的というものを書きました。文章化も言葉化も目的ではなく、手段である。書いたり、話すことで明確にすることが目的でない。書いたり、話すことで、より前向きな気持ちで、主体的に能動的、自主的に、積極的に取り組める心の状態を作って、書いたこと、話したことに集中して取り組む。

これが文章化と言葉化がもたらす最大の効果だと思う。

長文を読んでいただきありがとうございました。


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