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『罪と罰』ノート(亀山郁夫)、半分まで読んだところ〜摘読日記_20

戻り梅雨もどりづゆ、というんですか。

今年の7月は記憶に残りそうな7月になりそう。。


すこしnoteの投稿がスローペースになっています。

競馬風にいうと、道中(週中)、何度か仕掛けようとしたのですが、馬(筆)の方がどうも行きたがらなかったので、無理をせず。

そしてラストの直線(週末)を迎えました・・。笑。



今、読んでいる本はこちら。

2009年発行

半分まで読みました。


「罪と罰」は、主人公の青年、ラスコーリニコフが、人間を「非凡人」と「凡人」に二分する考え方に基づき、金貸しの老婆を”生きている意味はない(凡人である)”と一方的に断罪し殺します。
しかし計画に狂いが生じ、老婆の異母妹のリザヴェータまで殺してしまい、苦悩します。

そして「『罪と罰』ノート」によると、妹のリザヴェータは、6ヶ月目になる生命を腹に宿していたそうです。
ただ、校正の段階で、その部分の文章は削除されたそうです。
(本書では、発行人が、”妊娠した女性の殺害”という、きわどすぎる内容に責任を持てなかったのではないか、と推察されています。)

果たして、ラスコーリニコフは、計画通りの殺人だったら、つまり殺したのが老婆だけであったら、苦悩はしなかったのか?更生の道には歩み出さなかったのか?

という問いが自分の中に生まれました。

また、日本で起きた先日の事件について考えた時に、容疑者は今どのような思いなのか、目的を果たした、後悔はない、という思いなのか?
(数日前の報道に、そのような供述をしている、とあった気がします。)


先日の事件のあと、いくつかのnoteの記事で、わりと明確に事件の影響で気分がすぐれないと書かれているもの、事件には直接触れていないものの、何か調子が狂っている、という内容のものを読んだ気がします。

私も、今週なんとなく記事が書けなかったのは、あの事件の軽い後遺症のようなものかなと考えています。

noteは自分で考えて書いて、自分の場合、少しだけ客観的な自分がもう一人いるような感覚で、もう一人の自分にゴーサインをもらったらアップする、というようなイメージでいます。

そのもう一人の自分が、今週は「それ、書いて意味ある?」、「それでアップしちゃうの?だいじょうぶ?」と、いやに厳しい人になっていた気がします。。



何が書きたいのかわからなくなってきました(笑)。

しかし、このnoteは、そういう分散しがちな自分が考えたことの流れを、なんとかわかる形に書き留めておきたい、みたいな思いもあるのかな、とここまで書いて思ったところです。



そうそう、これは書いておこう、と思ったこと。

先日の事件で、誰も流れ弾に当たらなかったのは、せめてもの救いだったのかな、と昨日ニュースを見ていて思いました。


とりとめのない文章、失礼しました。

最後まで読んでくださった方いらしたら、ありがとうございます。

三連休、みなさんゆったりとした気持ちで過ごされますことを・・。

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