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東日本大震災12年:未曾有の自然災害頻発列島に生きるということ

 まずは、慎んで黙祷したい。

 災後、12年。3月11日。東北地方太平洋沖地震が発生した日。未曾有の激甚災害が東日本を襲った。大津波。死者行方不明者は2万2000人余。原発事故。国難そのもの。帰れぬ人びと、帰らぬ人びと。

 当時といえば、私は小学時分であったがゆえに、直ぐにはその事の重大さを認識できずに居た。やがて、夜にかけテレビの画面の異常さに有事を思わざるを得なかっただろう。電気のないまち。

 自然災害の頻発する国土にあって、こうした大規模な震災というものは、その人の一生を縛ることとなる。予測できぬ事態は、国家の興亡をも左右し、想定外の目撃により、前例はいとも簡単に覆ることとなる。

 東京電力では、かつて原子力発電のその有用性をひろく宣伝していた。無論、各電力事業者にとっても同様のことだ。原発のあるまちに掲げられていた看板は、戦後のエネルギー政策を端的に象徴している。

   “原子力明るい未来のエネルギー”

 いちどは、みたことのある標語だろう。こんにち、堂々とその文字列を目にすることは、まず無い。

 しかしまた、個人的にはそうした試行錯誤のもと、原子力発電に頼らざるを得なかった日本のエネルギー状況というものは、これはいまもむかしもそう変わることのなく、致し方ないものとも思う。

 しかし、ひとたびあのような惨事をみれば、やはりそう簡単には進まぬ廃炉、12年ものあいだ、時間が止まったままの故郷というものが一人ひとりに存在することだけは、決して忘れてはならないものと思う。

 復興そのものは進展し、画期的なものといえば、常磐線の全線復旧のとき、仙台ゆきの在来線特急が走るようになったときには、かなりの安堵と時の重さを痛感した。途切れたレールは、やがて、いつかまた来るであろうその日に向けて、元来の使命をいよいよ新たにする。

 12年。長いようで、とても短い。きょうばかりは、つねに災厄と隣り合わせでいながら、それを克服し続けてきた列島の歴史を振り返り、いま再びの復興の燈りを灯したい。

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