神楽牛込

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ネット時代の取捨選択:いいニュースと悪いニュースと、それから都合のいい情報がありまして・・・

 メディアの主戦場がインターネットになって久しい。紙媒体は一部を残してもはや風前の灯と化しており、ネットニュースはその情報伝達の驚くべき速達性と、グローバル化時代の申し子たる世界同時配信をもって、今この瞬間もインターネットの隅々まで行き渡っている。さて、このネット時代ならではのメディアのあり方や、情報を受け取るわたしたち情報消費者の側には様々な問題があることは以前から指摘されてきた。  ここで情報に対する歴史を簡単に踏まえると、近代以降の日本では新聞や書籍を読む習慣があり、

    • 刷新す時代に揺蕩う:新しくも馨しいパノラマ

      休眠と乱高下の早春をはやくもあとにして、終る3月に纏わりつく思い思いの季節を片づける。アフターコロナも公然の天下は不穏と騒乱を往還し、山岳をつらぬくトンネルは冬越えの風を連れ去る。新しさが咲きほこる春には、どんなパノラマが待ち受けるだろうか。

      • 次代をみる:インターネットの終わり?vs生成AI(雑感)

        新しいBingことcopilotをはじめとした実践的生成AIが当たりまえのものとなった2024年初頭。ここいらで個人的雑感を一回纏めてみようと試む。 Google検索が無能化したといわれて久しい。今時キーワード検索をやるのがどれほど古いものになったかはともかくも、実際に全く使い物にならないという指摘も以前からよくみる。それにしても、生成AI以前と以後では、紀元前と紀元後くらい違うような気もしてくる。 生の情報、プロモーションや濫造された広告比較ではなく、たんに個人の所感を

        • 近郊の残雪と閏年とバイパスの澄んだ空気と

          そうこうしている間に、春節の頃合へと差し掛かった。久々に積雪をみた東国だったが、さすがに溶け忘れらるるのも拙速で、ぼやりとした冬の風と去っておくのみだ。 さて閏年閏日をまえにしたわたしたちの夜に、ひっそりとした時間がきょうも流れる。早咲の色とりどりも近付いてきた。まったく春休の心地で居る。 無機質な季節の慶びを、旧正月および紀元節を、街灯に沿っていざ歩かん。

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          黄昏インターネットのあとで:らしからぬ擾乱

          冬の夜を迎えている。すっかりなにかを書くことも、世の重大事に惑わされるのにも飽きてくること請け合いの月末。 澄みわたる冬空とは対照的に、終わりっぷりをいま一度あらわにするのは、自称XをはじめとするSNS言説空間だろう。 日々、加速度的に先鋭化をつづけるエコーチェンバー状況の顛末については、かねてから散々連ねてきたとおりではあるが、ここにきていよいよ現実世界の黄昏インターネット化を実感せざるを得ないと感ずる。 2年前のこの頃は、ある種のインターネット感はリアル状況とはある

          黄昏インターネットのあとで:らしからぬ擾乱

          日々是沈着:いま1月にあらためて思うことなど

          狂騒の令和6年が明滅する。 すっかりと、書くことについての慾を喪いつつあることにも気付く。時代のあわいに、変革前夜の静けさが漂っている。 遠くの燈が、過去と未来のどちらでもない今を照すように、平穏を取り戻してこの瞬間を踏みしめる思いは、新年の草臥れた身体を再起する。2024年も、能動的に。

          日々是沈着:いま1月にあらためて思うことなど

          グッド・バイR5!

          らしくない年の瀬である。 年末の空気感は変遷のざわめきとともに消えゆ。温泉ゆかば。さて令和5年を仕舞おう。よりによって、またことしも全うした。左様なら2023。はじめまして▶︎▶︎▶︎R6

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          極月タイムスリップ:浅草の地下を訪ねて

          令和5年もまもなく仕舞いである。師走の日は銀座線の終着駅がよく似合う。 浅草の夜は新仲見世や六区の歓楽だけでは勿体ない。知る人ぞ知る浅草地下街は帝都随一のディープスポットだ。改札を出てすぐさま、時空の歪んだ空間が口を開けている。吸い込まれるように踏み入れるも、昭和然とした空気にまず圧倒されること請け合いだ。 それにしても、これだけ東京がアップデートされても、浅草は不変を保っているから大したものである。狭く天井の低い通路の先には、昔日のカオスがひっそりと眠っていた。

          極月タイムスリップ:浅草の地下を訪ねて

          生活都市の祭典:さいたま国際芸術祭2023雑感

          大宮で開かれている催事がなにやらX(Twitter)で話題だ。 これまであまり注目されてこなかった(気がする)地元さいたまで、面白い体験をした。あまり多くを言語化すべきではないとも思うので、是非現地に足を運んでみてはいかがだろうか。 ところは大宮区役所の向い、旧市民会館の年季の入った建物を大胆に活用し、パーテーションで館内を意図的に分断してしまう。どこまでが展示で、どこまでが展示じゃないのか。こちら側に“みる”リテラシーがもとめられる。鑑賞の難しさを試されたひと時だった。

          生活都市の祭典:さいたま国際芸術祭2023雑感

          師走回顧:闇に降る音

          この頃になると、Spotifyが勝手に一年を纏めてくる。思えば、余すところ30日もなくこの年が終る。 新しい時代に突き進まんとするこの頃の潮流をみれば、安楽と穏健を守るのは月毎に作成されたプレイリストのみかもしれない。それほどまでに、2023年を象徴するものは、乱世の闇に降り頻る音のみと云える。 視覚の疲労と思考の頽廃を切り裂く唯一無二の享楽、それは2023年に響いた折々の音楽それのみだった。

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          11月25日に思う:“ふたつの日本”をつなぐもの

          秋日を適当に過ごしながら、やってきた令和5年11月25日の終わりに考えた。 色づく並木を市ヶ谷あたりまで来たりて、目に入るのは防衛省自衛隊だろう。この地で人生を終えた人物といえば、言わずもがな三島由紀夫ただひとりが思い浮かぶ。 そして、11月25日にかの有名な“檄”を飛ばして最期を迎えたことを思う。 あるひとつの戦後日本の体現者として、あるいはアナクロな活動家として(?)日本というもののある種のイメージをつくっているようにも感じる。 別の視点から考えると、11月25日

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          ゆvs冬:極寒の湯上り日和

          夏頃の衝撃的な暑さの記憶で冬場の厳しさを忘却していたが、さすがに11月も後半である。 あまりに寒いので、銭湯すらガラ空きであった。極寒の露天に晒された躰が沁みる。 昨年のこのころそんなに寒かったかと思いつつ、湯上りの心地より寒暖差がよりこたえる。夜の往来はひと月まえよりもまばらに思えた。冬至はすぐそこだ。

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          銀河鉄道の冬:寒きを流れる光の帯

          高架線にふと現れる一本の光をみれば新幹線 さて冬の空気である。澄んだ夜空の星もいいけれど、虚無に浮かべる回送列車もまた、趣は上々ではないだろうか。ここいらでうっかり踏み外すと年末である。気を付けて帰りたい。

          銀河鉄道の冬:寒きを流れる光の帯

          〇〇の秋:霜月に込めるすべて

          華奢な、剛健な、実直な、ナイーヴな、現下のすべてを呑み込む秋。ひそやかに落日、小春の澄みここち、暦の緩衝地帯で在る秋。落穂銀杏栗ノ花。激烈に沈みゆく秋。霜月に活きる秋。

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          北の丸備忘録:忘れられた歴史を重ねて

          たまには散策帳として雑記していくのも良いだろうと思い、穏やかな秋日の北の丸公園について書いていく。 帝都東京のまんなか千代田区の由来ともなった江戸城が現在の皇居であるわけだが、その北側には日本武道館の立地する北の丸公園がある。 足を踏み入れれば、喧騒から一転して森林公園の如く静寂な環境がひろがる。南の空にビル群を見付けると、ここが東京の中枢だとやっと思い出すほどに長閑だ。 現在の皇居および東御苑の境には、代官町通りが通過して、東西方向のバイパスとして自動車が行き交う。こ

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          瞬く間に過ぎる:夜、秋、昏れる年

          穏健の薫りがきこえてくる。空は年の末のようになって、引き摺る夏を振り切って冬へと突進する。 総てが、眼の前を通り過ぎて行く。 夜も秋も上り列車も、猶予はないようである。 2023年のピースがようやく集まってきた処で、もう年の瀬のせわしなさが街を覆い被さる!

          瞬く間に過ぎる:夜、秋、昏れる年