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半年間悩み過ぎて抑鬱だった

ここ半年間ほど、ずっと悩んでいた。

仕事のこと、職場での周りの人間関係のこと、小説のこと、将来のこと。

自分に小説の才能が無いことを実感した時、これまでに感じたことのない挫折を味わった気分だった。

「書き続けても無駄だろう」と、そう思った。

それだったらいいかげん心を入れ替えて、仕事を頑張っていけばいいんじゃないか。

幸いなことに、僕には定職がある。会社員としての仕事だ。

いつか小説家になるまでの繋ぎといった気持ちではなくて、この仕事でスキルアップして、ひいてはキャリアアップして、収入もアップさせて、人生を切り開いていけばいいのではないか。

きっとそれこそが正解なのだろう。

しかし、残念ながら僕は会社員の仕事に興味がない。

興味がないことに本腰を入れるということが、子供の頃からどうしても出来なかった。

会社員としての仕事に全身全霊で取り組むべきだと頭では分かっていても、気持ちがついていかない。

結果、どれもすべてが中途半端。

それがものすごくしんどかった。


さらに拍車をかけるように、ここ1ヶ月間程で職場の人間関係の模様が大いに荒れ始めた。

上の人間同士が揉めたりして、そのしわ寄せと言っていいのか分からないけど、部署の体制がガラリと変わったりもした。

人間関係が荒れる中で、僕は双方の中間に立たされた。

どちらの言い分も分かるっちゃ分かった。

なんとか上手く均して、平和な解決法を探そうと試みたけれど成功はしなかった。

だんだんと、ネガティブな相談や愚痴を聞かされることに嫌気が差してきて、自分でも意識してないうちにとんでもないストレスが蓄積していった。

気付けば僕も不満を口にして、社内の人に相談するようになっていた。

ストレスの影響はすごくて、会社に行くことに拒否反応は出るし、毎日が抑鬱みたいな精神状態に陥っていた。

でも周りにはあまり気付かれていなかった。

なぜなら、まだ笑顔を出すことが出来たから。


このストレスの要因は、人間関係の面倒さだけではなくて、小説を書くことに限界を感じたことも絡んでいる。

ようするに複合的な要因があるのだ。

あまりにも様々なことが少しずつ重なっていき、気付いた時には自分では耐えきれないほど重くなっていたというわけである。

僕は少し狂った。

集中力を失い、業務はろくに進まず、小説も書こうとはするも筆が進まず、心はソワソワ・モヤモヤし、職場で誰かと密に関わることが出来なくなった。

でもそんなのを悟られるわけにはいかないから、ここ最近はそうした部分が表出し過ぎないように意識し続けた。そこに全力を傾ける日々だった。

ただ、いよいよ限界が来た。

先週、決定的に職場環境というか体制みたいなものが変わり、僕は自分の心が枯れたことを悟った。

「もうここまでだな」

そう思った。


でも、ここでこのまま落ちていくわけにはいかない。

それはあまりにも精神がキツ過ぎるから。

まだ自己防衛本能は機能していたわけだ。


そこで僕は、二十代の頃に書店のアルバイトで一緒に働いていた先輩に連絡を取った。

急遽のアポでも先輩は応じて会ってくれた。

この先輩も創作をしている。

毎年、定期的に会っては馬鹿話と創作の話をする仲だった。

今回も別に深刻な様子で会ったわけではなく、いつも通り馬鹿話をした。

でも、いつもよりも少しだけ踏み込んで人生の話もした。


僕もその先輩も、会社員として生きていくことがどうしても出来ない種類の人間である。

仕事に対してポジティブに考えたり、事業の成功を真剣に考えたり、プロジェクトを任されたことをチャンスと思ったり、昇進を目指したり、だとか、そんな思想・信念は一切持ち合わせていない。

そういう考え方を否定しているのではなくて、持とうとしても持てないのだ。

持てないことが悩みなのだ。

持つべきと分かっていても持てない。

だから、

生きていく場所がない。

やりたいことといえば書き物くらい。

でもその才能がない。

だったら普通の社会人として生きていくほかない。

でもそれが出来ない。

イコール→生きていく場所がない。

この解答だ。


だけど、先輩と色々話していくうちに、少しずつ気持ちが晴れてきた。

目の前を覆っていた霧が消えていく感覚を受けた。

別に解決策が出たわけではないけれど、こんな自分でも良いのだと感じることが出来たし、何よりもまだ生きていくべきだということも分かった。

先輩から軽い冗談交じりに「君は今こんなところで、まだ死ぬべきじゃない」と言われた。

「君が死ぬのは今じゃないよ」と。

もちろん僕には自殺願望なんか全く無いけれど、精神的に言えば「小説を書く才能が無くて、小説を書いていくことが出来ないなら、生きてても仕方ないかな」と思ってしまう部分はあるのだ。

でも、「死ぬべきときは、小説を評価されてからもっとずっと後だよ」と言われた。

先輩は続けた。

「俺も君も、正直この十年近く、薄い努力をしてきた。逆に言えばだからこそ十年も続けてこれた。でもやっぱり薄かった。だから現状がこうなってる。これからはもっと濃密にした努力をしないといけない。才能が無いんだから。濃密な努力をするために、平日は仕事を頑張ればいい。週末に爆発させなさい。もしそれが出来ないなら、君も俺もそれだけの人間だったってことだよ。適性の無い人間だったってこと。大体ね、もう終わったみたいな顔してるけど、まだ始めることすら出来てないよ。だって、努力してないんだから。自分の可能性、試せてないんだから。やった気になるには、あまりにもやれてないよ。やりなさい。もっとずっと、凝縮して、真剣に。まぁ、俺はこれからもやれないかもしれないけどね、ワハハ」

僕はこの言葉で吹っ切れた。

生きていこうと思った。

そして、書いていこうと思った。

書いていくんだ。

周りの人間なんかもう関係ない。

周りの目も、声も、関係ない。

自分の人生だから、自分で決めて、書いていく。

もう一回、自分の可能性を妄信してみようと決めた。

もしも出来なかったら、先輩と一緒に笑い飛ばそうと思った。

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