benny

精神世界、心理学、哲学、物語、夢分析…そして、猫様、鳥さん、人間たちについて綴ります。

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最近の記事

『森に夢みる』

天才的に上手い歌声でも心に響かず、印象に残らないことがあるのは好みじゃないからだと誰しも考える。 歌声は個性が際立つから「好み」という言い方をするけれど、同じことは楽器の演奏でも起きる。 好み…好き嫌いのことはいろいろな言葉で表現できるけれど、楽器の演奏については好みを言葉で表現するのは難しい。 そもそも「好み」の問題なのか?という気さえしてくる。 プロの演奏を聴いて「惹き付けられる」かどうかなのだから、「波長が合う・合わない」なんじゃないかと思ったりする。 芳志戸幹雄さん

    • 「静観」であってはならない

      昨年、ジャニーズ問題で初めて事務所側が記者会見を行ったとき、 東山さんに対して「加害を訴える証言が出ているが?」 と、記者から追及される場面があった。 確か何度かしつこく聞かれたんだったと思う。 否定ばかりもしていられなくなって、彼はこんな風に答えた。 「あったかもしれないし…なかったかもしれない…」 少しぼ~っとしたようなまなざしで。 無意識の領域から浮上した感覚に委ねた瞬間だと感じた。 「覚えていないことが多くて…」 とも素直に語っていた。 その後の2回目の記者会見での彼

      • 思わずスウィングしたくなる…

        都知事選の結果にショックを受けた。 あの人が2番に選ばれたことに。 また? …まだ? 惑わされているのかと。 あのまなざしとか、語り口とか…見ていて何で良いと思ってしまうのかがさっぱりわからない。 当選した人のことなんかどうでもいいくらいにそのことが不快で仕方なかった。 彼がウケるのは理解できると分析する人もいるけれど、私は初めて彼の姿を見掛けたときから「ぞぞぞ~っ」とムシズが走ってしまっていた。 まだ選挙のずっと前、ほとんど何も知らなかった頃に。 それは、ふいに起きる直感で

        • 「静観」ではない!

          都知事選について山本太郎代表が党として「静観」の立場だと言ったとき、同時に小池・石丸両候補についての批判をした。 これを聞いた人の大半が、(消去法でも)蓮舫さんに入れるしかないでしょ、の思いをくみ取ったのではないかと思う。 実際の投票行動はともかくとして。 代表の発言はそれでいいと思いつつ、私は「静観」という言葉に何となく引っ掛かりを覚えていた。 その後、思わぬところで代表は「静観」という言葉を再び口にした。 (ああ、もう…) やり切れぬ思いがこみ上げた。 党スタッフから

        『森に夢みる』

          過剰(不足)な世界で~マスク信仰

          掛かりつけの動物病院がここ数年疎遠になっている間に閉院したと知り、とりあえず近くでと訪れた初めての病院でのこと。 エントランスに入ってから、病院だから一応…と、用意していたマスクを久方ぶりに付け、受付を済ませて椅子に座って辺りを見ると、5、6人くらいの人の中に一人だけノーマスクの男性の姿があり、(お!OKなのかな?外そうかなあ…)と思ったその時に診察室のドアが開いて「〇〇さ~ん」と呼ぶ先生の姿が… (マスクしてない!やった~!) 安心して外せました~。 ほどなくしてもう一つの

          過剰(不足)な世界で~マスク信仰

          安直な幻想(厭世・楽観)に囚われないように

          この3、4年でどんどん強まる厭世的な気分… ペシミスト(厭世主義者)とは違う。 逆ギレみたいに「そんなもん!」とは絶対に言いたくない。 一方で、楽観主義への鬱陶しさも増すばかり。 疲れて…ただひっそりと悲しんでいる。 もっと怒れたらいいのにと思う。 怒るエネルギーが湧いてこなくなっている。 それがちょっと恐い。 最近、ツイッター(旧を付けるべきかな…)で岸先生を見つけた。 保護犬ちくわちゃんの可愛さが話題になっていて、私も彼女の眼差しに一目惚れしてしまい、毎日岸先生のツイー

          安直な幻想(厭世・楽観)に囚われないように

          命日でも記念日でもなく…

          5月は母、兄、叔父の命日がある月でした。 今年の場合、憲法記念日でもある母の命日は何となく意識して過ごしましたが、特に何もしませんでした。 兄と叔父の命日当日は完全に忘れてました。 ただ5月のあいだにそうだったなあと思い出すときはありましたが。 叔父は15日とキリのいい数字なので一回で覚えましたが、なんと兄の命日が覚えられないんです。 いくら何の日でもないとはいえ、いやいや…だから兄が亡くなった日でしょうが、って自分でも呆れつつ、同時に心奥深くでは日付なんてどうでもいいことだ

          命日でも記念日でもなく…

          自己肯定感が高いと気が付いた話

          アレルギー体質のせいで舐め壊し問題を抱えるようになって9年目になる猫がいます。 エリザベスカラーだけだと可哀想なので療養服も着せますが、何も着けないで抱っこするのも舐め壊し予防の一つです。 抱っこされたまま毛繕いしちゃう甘えん坊さんです。 カラーは柔らかいアクリル板を付け足す必要があり、服の方もリフォームをしなければなりません。 11歳半になる彼は相変わらず心身共に子猫のように元気なんですが、高齢猫の部類にはなっているわけで、新たに痒みの症状が出る個所も増え、ついに最新版の服

          自己肯定感が高いと気が付いた話

          家族の縁が切れるとき…2

          前々回の記事の続きです。 が、ざっとあらましを。 夫にはそれぞれに遠方の他県に住む姉と妹がいます。 妹→姉  「姑が死にそう…香典は10万円出すよう兄に伝えて  (実)父の葬儀で夫が10万円出したんだから」 姉→夫  「…と、妹が言ってるよ。私は知らん。」 夫→姉  「はて??」 後日。 妹→姉  「香典立て替えといたから、よろしく~」 姉→夫  「…と妹が言ってた(不機嫌)」 夫→姉  「なんじゃそりゃ?弔電送ろうと思ってたのに、もう縁を切る!」 姉→夫  「知

          家族の縁が切れるとき…2

          5回目は『デーミアン』

          情緒不安定気味になることの多かった十代。 自己嫌悪に陥ってばかりだった半面、直感の冴えることも結構あって、そのことが気持ちの支えになっていたように思う。 言葉では説明しにくい直感を無視できなくて、そのせいで対外的に辛くなることもあったけれど、それでも大切なものだというのはわかっていた。 高校1年生の夏に読んだヘッセの『デミアン』とは、ほぼ直感の世界での出会いだったと思う。 わけのわからない軽い興奮を感じながら読み進めていたことを覚えている。 読み終わったとき、「生涯、読み続

          5回目は『デーミアン』

          家族の縁が切れるとき

          「香典10万円出せ… !? 」 遠方に住む義妹がそう言っていると、義姉から夫に電話がありました。 その理屈はこうです。 義父が亡くなったときの喪主は夫でした。 葬儀費用も出しています。 で、そのとき(義妹の)夫が10万円の香典を出してくれた。 だから、なのだそうです。 義妹の姑がいよいよ危ないということで義姉に連絡があり、兄である夫に伝えといてほしいと言われたそうです。 夫は困惑し、私は話を聞いて笑ってしまいました。 あまりにも意味不明だったからです。 ただ…じわじわと義妹

          家族の縁が切れるとき

          『銀の犬』『扉守』

          (なんでこの本が書庫なの~ !?) 書庫に収められている本を借りることは多く、ありふれたことなんですが。 でも、この本は本当にもったいないと心の底から思いました。 タイトルも装丁もこんなに魅力的ではありませんか。 いえ、タイトルと装丁とケルト民話というキーワードに強く引き付けられたことが読もうと思った動機なんですが、一番の魅力はもちろん物語そのものです。 読み始めてまもなく、上橋菜穂子さんの綴る物語の世界に通じるものも感じられて嬉しくなりました。 といっても壮大な物語ではな

          『銀の犬』『扉守』

          ミニシュパリズム(地域自治主義)!

          まさかのユナイテッドシネマ! 是非観たいと思っていた映画、『〇月〇日、区長になる女』。 地元のミニシアターで上映されるだろうか?畠山さんの選挙ドキュメンタリー映画もダメだったし…観れないかもと半ばあきらめ気分だったのですが。 監督が地元出身の方だったおかげで、4日間だけとはいえ大きな映画館での上映が実現したようです。 2年前の杉並区長選挙のとき、岸本聡子さんを知って(ついにこういう人が出てきたんだ…)と、思いました。 強いインパクトを覚えたのです。 映画の中で、彼女が出馬の

          ミニシュパリズム(地域自治主義)!

          影に名まえがあったかな?

          波のように繰り返し寄せてくる鬱な気分。 というよりも、潜在的にそれはずっとあるもので、様々な「気晴らし」によって覆い隠されているだけ。 人間社会をありのままに見てしまうと、 どいつもこいつも、あれもこれも…矛盾だらけの茶番劇が繰り広げられているわけで。 多くの人は、適当に茶番劇から目を逸らしつつ、自分にとっての「気晴らし」を支えに生き延びているように見えるけれど、時に茶番劇の渦中に入り夢中になることも「気晴らし」になってたりするものなのでしょう。 心地良い「気晴らし」に集中

          影に名まえがあったかな?

          おまけにきっと伝えづらい。

          面白く読み終えた後、数日経ってから今の私が抱える悩みに向き合うためのヒントがあったことに気づいた物語。 その人は何度か公言していました。 「人に優しくしたい」と。 身内で口喧嘩が起こっても私は聞き役、絶対に怒らないのだと笑顔でそんな話もよくされます。 当然、聞かされる側は安心を感じます。 とても接し易く気を遣う必要のないいい人…と思っていました。 それは今も変わりません。 が、一方で、その人は皆で同じことをやるのが大好きで、ときに外れている人を指摘することがあるのです。 非

          おまけにきっと伝えづらい。

          「取り繕えない人たち」こそ『Rejoice!(喜びを抱け!)』

          たぶん終の棲家となるであろうこの地に住んで15年が過ぎるのですが、この冬(…もう春ですが)初めて鳥の声が滅多にしか聞けない日々を送っています。 狭い庭に植えてある南天の赤い実がヒヨドリに食べてもらうこともなく次々に地面に落ちたのを見ると、あのうるさい鳴き声が恋しくなってしまいます。 不気味なのはスズメや鳩が激減したこと。 去年、すぐそばの小さな公園にある3本の大木が大胆なまでに枝を切られてしまったことと、我が家のすぐ横で半年以上も大きな工事が行われているせいもあるかもしれませ

          「取り繕えない人たち」こそ『Rejoice!(喜びを抱け!)』