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安直な幻想(厭世・楽観)に囚われないように

この3、4年でどんどん強まる厭世的な気分…
ペシミスト(厭世主義者)とは違う。
逆ギレみたいに「そんなもん!」とは絶対に言いたくない。
一方で、楽観主義への鬱陶しさも増すばかり。
疲れて…ただひっそりと悲しんでいる。
もっと怒れたらいいのにと思う。
怒るエネルギーが湧いてこなくなっている。
それがちょっと恐い。

最近、ツイッター(旧を付けるべきかな…)で岸先生を見つけた。
保護犬ちくわちゃんの可愛さが話題になっていて、私も彼女の眼差しに一目惚れしてしまい、毎日岸先生のツイートじゃなくてポストをチェックしてしまう。
このところ疲れ目が酷くて、ネットを遠ざけなければと努めているのだけれど。

岸先生との出会いは3年半前のこと。

いいかい?
人間っていうのはね、
社会構造に縛られているんだ。
それを理解してこそ、
自由は得られるんだぞ?

「安直な幻想に逃げず、現実を直視するための社会学」
そんなこと言われても、楽観か、厭世か、どちらかに逃げながら日々を生きている私たち。
このテキストの最後に書き込んだ岸先生の言葉は、
アドバイスはないが「揺れる」
でした。
そうですか…。

とにかく、ちくわちゃんの可愛さがきっかけで岸先生って小説を書いてるんだ…と知り読んでみることにした。

じわ~っと、登場人物たちを受け入れられる感覚が心地良かった。
ああ…そうか、物語を通して好ましい人たちを知るのもいいなあと思ったし、著者の実体験、実生活があって生まれた小説なのだと思いを馳せ、引き続きフィクションではない本を読む気になった。
ファンタジー寄りの物語ばかりを読み続けていたから、ノンフィクションはかなり久しぶり。

「社会学者としては失格かもしれないが…」と著者が言うように、社会学?という感じはしなくて読み易いエッセイ。
「断片的なもの」、「ささやかなもの」は一般化しにくい。
でも、心に留めてしまう、時折思い出してしまう…そんな私的な感覚こそ今自分が生きている意味みたいなものだと私も思っている、ことに気づかせてもらった。

小説『リリアン』も含めて「大阪」という地域性が軸になっているのだけれど、私は大阪にまるで興味がない。
どころか今住んでいる生まれ育った地元にさえも。
いくつかの町に住んだ経験もあるけれど、たぶん心地良い風景に惹かれることはあっても「土地」「地域性」に執着することができないんだと思う。
この世界への執着の少なさが私を苦しめているのかもしれない。
時折、こんな思いがよぎる。
もしも私が宇宙を司る神だったら、地球の場合は人類を消滅させるのに…
…と、これが「安直な幻想」に逃げているということ。
さて、「大阪」の空気に触れ続けてちょっとばかり疲れた。
「安直な幻想」に逃げる間を与えず、次は誰の本の世界へ…逃げてみるかな。

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