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『森に夢みる』

天才的に上手い歌声でも心に響かず、印象に残らないことがあるのは好みじゃないからだと誰しも考える。
歌声は個性が際立つから「好み」という言い方をするけれど、同じことは楽器の演奏でも起きる。
好み…好き嫌いのことはいろいろな言葉で表現できるけれど、楽器の演奏については好みを言葉で表現するのは難しい。
そもそも「好み」の問題なのか?という気さえしてくる。
プロの演奏を聴いて「惹き付けられる」かどうかなのだから、「波長が合う・合わない」なんじゃないかと思ったりする。

芳志戸幹雄さんは私にとって唯一無二のギタリストだ。
昔、彼の師であるイエペスの演奏会に行ったことがあったのだけれど、そう言えば行ったな~という記憶しか残っていない。
心に何も残らなかったのが印象的だった…こればっかりはしょうがない。
たぶん、すっごく上手かった(当たり前)。
私とは何か合わないんだろうなあと思うしかなかった。
芳志戸さんが早世してしまったときは大ショックだった…。

今でも時々、YouTubeで芳志戸さんの演奏の動画を観る。
芳志戸さん以外のギタリストの演奏は観ないできた。
が、最近、おすすめにタレガの『涙(ラグリマ)』を弾く若い女性ギタリストの動画が上がってきて、『涙』、聴きたいなあ~と思い、観てみると…
…惹き付けられた。
芳志戸さん以来のことだった。

そう言えば、確か『涙』だけは2、3回くらいはどなたかの演奏を観たと思う。
この曲は、ギターをやめる前の私がよく弾いていた曲だった。
クラシックギターの教室に通ったりもしたのだ。
やめてしまったきっかけは先生の「音が小さいよね?」という一言だったけれど、そのときはすでに自分でも限界を感じていて諦める気にさせてもらった気がしたのを覚えている。
爪が薄いこと、手首や指の柔軟性とか強さみたいなものが不足していることなど、熱心にやっていたから早々とわかってしまった感じだった。
アルハンブラ…とか、永遠に私には届かないのだと悲しく思ったことを覚えている。
何十年も前の若い頃の話。

次々に彼女の演奏の動画を観るうちに出会った曲。
『森に夢見る』
なんて曲なんだ…と思った。
動画の解説によると、

~この「森の夢」は、バリオスのパラグアイの風景と文化への関心とショパンへの尊敬の念を融合させたものです。~

そうなんですか…。
いやいや、そんなことよりも。
情緒の展開が素晴らしすぎる!
まさに夢の中で(実際には大変過ぎて不可能かもしれない)森を歩く、あるいは走ったり飛んだりして進みながら、様々な情景に出会う心情の移り変わりが豊かに表現されて…って、これは人生ってことなんじゃないだろうか?

森を抜け出したいと、私は思ってしまう。
勝手に抜け出すわけにはいかないとも思っている。
そっか…芳志戸さん以外のギタリストにこんなにも心惹き付けられる時がくるなんて思いもしなかった。
芳志戸さんが逝って28年後に!
私が彷徨うこの森に、これからもまだ出会うべき何かがあるんだろうか?

心揺さぶられる朴葵姫さんの『アストゥリアス』


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