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おまけにきっと伝えづらい。

面白く読み終えた後、数日経ってから今の私が抱える悩みに向き合うためのヒントがあったことに気づいた物語。

いったい「感じ方」などというものは主観によるのだからだいぶ個人差があるくらいのことはわたしだって知っている。おまけにきっと伝えづらい。
 (~解説 夢のような~ 朝倉かすみ)

ムーンライト・イン(角川文庫)

その人は何度か公言していました。
「人に優しくしたい」と。
身内で口喧嘩が起こっても私は聞き役、絶対に怒らないのだと笑顔でそんな話もよくされます。
当然、聞かされる側は安心を感じます。
とても接し易く気を遣う必要のないいい人…と思っていました。
それは今も変わりません。
が、一方で、その人は皆で同じことをやるのが大好きで、ときに外れている人を指摘することがあるのです。
非難の言葉はないけれど、「あの人は違うことをやっている」とか「加わらない」という指摘をするのです。
もちろん笑顔で。
私は(何だかなあ…)と心の中でちらっと引っ掛かかるものがありました。
出会ってから5、6年ほどになりますが、それ以外にも違和感を覚えることがあり、ついにその人との付き合いに疲れを感じるようになってしまった今日この頃なのです。

その人は私がハマっている大好きな趣味の教室の先生なんです。
嫌いだと思ったことはなく、合わない部分は受け流していくことで上手くやっていけてたのですが、ここ1、2年で教室の状況が変化し私にとっての先生の「合わない部分」が増幅してしまっているのです。
ああ~、教室へ向かう足取りが少々重くなってる…。
ならば!
思い切って離れるのもいい…
と、他を探してみることにしました。
が、結果、他はなかったのです。
それならば !!
人間関係は適切な心の距離が肝心…
と、更に精進するしか道はありません。
頑張れ~ !!! 私。

そうよ、問題を感じているのは私の方なのだから、私が心の距離をもうちょっと取ればいい。
…と、考えましたが、何故か上手くいきません。
その場では相変わらず上手くやっていると思います。
つまり表面的には特に問題がある感じではなく過ごせているのですが、なんか…やっぱり辛いものがあるのです。
こんな疲れる感覚なんて、前はなかったのに…と。

『ムーンライト・イン』に描かれているのは、解説のタイトルにもなっているように「夢のような」他人同士の同居生活です。
それぞれに事情を抱えて「ムーンライト・フリット(夜逃げ)」するように集まった彼らは、何もかもがバラバラな人間なのにもかかわらず、必然として助け合い繋がらざるを得ない日常を送ります。
「夢のような」日々が長く続かないことは初めからわかっていたことでした。
彼らは社会の中で生きており、それぞれに家族がいるからです。

家族や社会がのぞむ調和(?)は、誰かに我慢や諦めを求めるものであることがよくあります。
私の先生が常に笑顔を絶やさず、怒らず、優しくあろうとするのは何故?
という疑問が生まれたとき、同時に答えもわかっていたのでした。
調和のための我慢や諦めを引き受けているから。しかも積極的に。
そんな人生を価値あるものとして生きている人だからなんです。
つい、私たちに対しても「周りに合わせて~」みたいなことを言いがちで…。
以上、これまで何となくイメージとして感じていたことを、初めて言語化することができました。

さらに『ムーライト・イン』のように先生と同居生活とかしたらどうだろう?と考えました。
上手くやっていけると思います。
というか、絶対楽しいでしょう。
「必然として助け合い繋がらざるを得ない日常」なら、今よりずっと濃いコミュニケーションが取れるのでお互いを許し合い尊重できるからです。
そう!
「人間関係は適切な心の距離が肝心…」だけれど、合わない部分があるから「私が心の距離をもうちょっと取れば」上手くいくとは限らないみたいです。
そうかあ~、先生ともっと親しくなればいいのね!
その通り。けど、無理でしょ?

というわけで。
実はつい先日、先生が私に掛けた一言にカチンときて、ウンザリ憂うつになってたんです。
軽~く、同調圧力を掛けられた感じでした。
悪気のない良かれと思ってのことなのはわかっているのですが、私は同調圧力というものにすっかり過敏になってしまってるんだと思います。(もちろんこの3、4年のことです)
私の思いをわかってもらうには長々と話す必要があるし、そもそも先生にとっては興味のないことだろうし…多忙な方に時間を取らせる気にもなれないし…

それでも、ここに書き綴るうちに、少しスッキリしてきました。



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