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「静観」であってはならない

昨年、ジャニーズ問題で初めて事務所側が記者会見を行ったとき、
東山さんに対して「加害を訴える証言が出ているが?」
と、記者から追及される場面があった。
確か何度かしつこく聞かれたんだったと思う。
否定ばかりもしていられなくなって、彼はこんな風に答えた。
「あったかもしれないし…なかったかもしれない…」
少しぼ~っとしたようなまなざしで。
無意識の領域から浮上した感覚に委ねた瞬間だと感じた。
「覚えていないことが多くて…」
とも素直に語っていた。
その後の2回目の記者会見での彼は、周りにも助けられ、無意識の領域からの干渉をシャットアウトし強気で否定していたけれど…。

心理学ではよく「氷山」に例えられる意識(心)。
水面下で見えない部分が無意識の領域であり、圧倒的に広く、そもそも心(意識)の土台だ…。
表に見える氷山の一角が(顕在)意識だが、いつもふてぶてしく大騒ぎして目立っている。
日々、膨大に増えるばかりの体験の記憶の多くが無意識の領域に収められる。
小物な(顕在)意識の領域は狭い…。
ある記憶が、無意識のどの辺りに収められているか?
すぐに思い出せる前意識の領域か?
思い出せない無意識の奥か?
無意識は、その記憶(情報)の良し悪しなど判断しない、できない。
ただ起きている物事に対して、連動する記憶のエネルギーが反応し浮上するだけだ。
私たちは必死になって(顕在)意識ばかりを使って生き抜こうとしてしまいがちで、これを理性的…つまり正しいことだと勘違いして、しくじることが多い。

パワハラ、いじめ、セクハラ、性犯罪…
行為の真っ只中にある加害者は、とてつもない無神経・鈍感状態にあるのではないか。
被害者の痛みに対して。
でなかったら、サイコパスということになる。
そんな人はごく少数で、大方は性格的に無神経・鈍感…もともとが他者の痛みへの共感力に乏しいタイプということになるのだろう。
加害行為の真っ只中は無神経・鈍感力が異常に活性化している夢中の状態、夢の中で起きたことは記憶が曖昧になる…。
加害が発覚したとき、彼らは理性を発揮し必ずと言っていいほどこう言う。
「良かれと思って」
「からかっただけだ」
「合意のもとだった」
記憶の曖昧さが彼らを強気にさせるのだ。
被害者の証言のみで、加害を否定できない決定的証拠が存在しない場合が多いことも加害者有利に働くだろう。
パワハラ、いじめ、セクハラ、性犯罪…たった一人の被害者の場合は特に、加害者は強気になる、強気になれてしまう。
そんな加害者にとって、周りが「静観」してくれるのは有難いことなのだ。

被害者は何度も何度も思う。
「加害行為がなければよかったのに…」
この苦しみこそが事の本質なのだ。
静観する第三者は、この本質から目を背けたのである。



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