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命日でも記念日でもなく…

5月は母、兄、叔父の命日がある月でした。
今年の場合、憲法記念日でもある母の命日は何となく意識して過ごしましたが、特に何もしませんでした。
兄と叔父の命日当日は完全に忘れてました。
ただ5月のあいだにそうだったなあと思い出すときはありましたが。
叔父は15日とキリのいい数字なので一回で覚えましたが、なんと兄の命日が覚えられないんです。
いくら何の日でもないとはいえ、いやいや…だから兄が亡くなった日でしょうが、って自分でも呆れつつ、同時に心奥深くでは日付なんてどうでもいいことだと感じてもいるんです。
誰にも言ったことはありません。
亡き人への強い思いから関連する記念日を特別な日にしている人もいるでしょうし。
死生観や葬送のことについての話題になると基本、黙ってやり過ごすことにしています。

私はあっちの世界の方がメインでこの世界には旅行に来ているようなものだという感覚が腑に落ちるんです。
この旅行…そろそろ終わりにしたい気分に陥ることもしばしばですが。
この3、4年の世の中の狂いっぷりには思いのほか結構なダメージを受けてしまっているようで、望郷の念は高まるばかり…
どこにあるんだ帰る場所は?
まだ知らない方がいいのかなあ?
というより、その時のお楽しみとか?

もうかなり散ってしまったのですが、一週間ほど前に銀梅花の可愛い花が咲いているのを見て母のことを思いました。
この花…というか木なのですが、母は出会うことはなかったけれど、見たらきっと気に入っただろうなあと。
ひと枝を切って部屋に飾ったに違いないと思いました。

こんな可愛い花が好きな人でした。
「今は何も花がないから…」と言ってドクダミの花でも部屋に飾っていたような人だったのです。
ドクダミ…ほんと、毒親的な側面も強烈に持っていた人だったけれど、何気ない小さな花を愛する人でもあったのでした。

実家はもうなく、墓じまいも終え離檀したので祭壇はありませんが、亡き人たちをささやかに収めた小さなアルバムを飾っています。

毎年楽しみにしている紫陽花も咲きました。
母なら「形がヘン!ブサイクだ!」と、けなしまくると思います。
けなしつつ…飾るかなあ?

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