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【感想③】フェミニズムの真の敵

もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理
キャロル・ギリガン (2022年 日本語訳 出版)


 この本はフェミニズムの現代的古典とも呼ばれるほど有名になったと書いたけど、この「フェミニズム」というモノ(思想?学問?運動?)に僕は最近とても興味を抱いている。

このnoteの、2024年のテーマを、
「ルソーの『エミール』のソフィの教育について考える」と掲げた理由も、フェミニズムに対する関心が大きく影響している。
※1:ソフィとは、かの有名なルソーによる、有名な教育思想書『エミール』に出てくる女の子だけど、詳しくは知らない。何せまともに『エミール』を読んだこともないのだから。
※2:「2024年のテーマ」などと大層な言い方をしているが、何に向けて、どう進めて、どんな形になるかも未定のこのプロジェクトに、はたして字義通りの「テーマ」が存在するのかは不明である。


さてフェミニズム。
思想や哲学の分野では比較的新しい言葉とは言え、既にかなり歴史が長く、それに関係する作品、出来事、人物、理論なんかもたくさんあるし、今日的には色んな領域にまたがる考えなので、さぁどっから手を付けたらいいものか…、と正直 僕はたじろいでいる。

まぁでも、気楽に行こう。
別に順序良く お行儀良く勉強する必要なんてないんだから。


さてギリガン。
この本ではコールバーグの道徳性発達理論を「男性中心的だ」といってボロクソに批判するわけだが、しかしギリガンは男性(あるいは男性性や男的なるもの)を敵に回したいわけではなかった。

「フェミニズム=男性批判」という構図は非常にわかりやすいし、ひょっとするとこの本もそんなイメージで読む人がいるかもしれない。(実際にギリガンは男性、女性という言葉を使って道徳性を比較しているから誤解されやすい。)
しかし、一方に男性があり、その対極に女性があるという二項対立と単純化は、それで何かを解明したつもりになれる、非常にインスタントで気持ちの良い考え方だ。
しかし、それは危うい誘惑だ。

ギリガンは言う、フェミニズムの敵は男性ではなく「家父長制」なんだと。


家父長制とは何か。
家父長制があるとどうなのか。
家父長制に苦しめられているのは、誰か。

うーむ…。まだまだ勉強だな。


最後に、ギリガンがフェミニズムと家父長制についてコメントしているYoutubeが「なるほどぉ」と思わせるので下に貼っておきます。
でも英語なので見なくても大丈夫です。代わりに日本語の要約を付けておきます。


ギリガン: 私のフェミニズムの定義、知りたい?って聞くとさ、みんな「もちろん」って言うわけ。
その時こう言うんだけど、「フェミニズムっていうのは、家父長制からの解放運動のことですよ」って。そしたら、それを聞いた人は「え?」ってなることが多いんだけど、私にとっては当たり前の考えっていうか。

でもね、よくわかってない男ってこう言うの。
「フェミニズムってアレだろ?オトコ嫌いの女どもが差別だとかごちゃごちゃ言うやつ。でも、あいつらオトコのこと全然知らねえんだよ」
とか言って始まるんだけど、それは全然フェミニズムと関係ないの、私からすると。
フェミニズムにとって大事なのはね、民主主義と家父長制がいかに対立するかってことなんだけど…。 

インタビュアー: えーと、「カフチョーセー」っていうのは?

ギリガン: あぁ、そうね。家父長制っていうとね、よく誤解している人がいるんだけど、それって男が女を抑圧する感じのアレですねって、でもそれって違うの。

家父長制っていうのはつまり、権力構造のこと。父親を頂点としたピラミッドね。父は他の人より偉い。んで大人は子どもより偉い。そして全ての女性は男性の下、みたいにね。
これってつまり全ての人間を分断してるってことでしょ。だから心理学的には、家父長制って常に人間を不安定にさせるの。
それは民主主義と対立しちゃうの。




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