無敵のマリオ

織る羽がなくなった鶴だった私を見かねて、今までに何人もの人がアドバイスをくれたけど、弱っている私にはそれが全く頭に入らず、ただ流れていった。気に留めようとしても記憶できるメモリがなくて、流れていってしまう。友人にはあきれられて、避けられる始末だった。

弱い自分を肯定して受け入れて初めて、その言葉は1杯目のビールみたいに全身にしみわたる。生きづらい人や繊細すぎる人向けの本を読みあさってはいたけど、それは対症療法であって読んでも読んでも流れて実にならなかった。自分がなぜこうなってしまったのかという原因にふれて、その時どうしたかったのかを自分にたずねて答えを出して、初めて自分を肯定できるようになった。その作業はずっと続けている。やっぱり根治療法が必要だった。

私の場合は未解決で現在進行形でもある。自分がもし母のように何も考えずに狂人を引き当ててしまったらという恐怖は、私をさらに臆病にさせる。
私はせっかちだからすぐに結果を出そうとするけど、心にある闇とはしばらく共存していくことにした。自分を取り巻く環境の変化があれば、それもまた変化していく。相手が変わらないなら自分が変わるとはよく言ったもので、私も変化して対処していく。

書くことしかできないけれど、書きながら考えることで自分は変化していけるということにも気づいた。このまま書き続けていれば赦しの境地にもたどりつけるかもしれない。他人の言葉を選択して受け入れて、自分のなりたいように変化する。それは自分がずっとできずにいて、切望していたことでもある。

私は今新しい世界に跳ぶために書いて、頭を整理しながら準備を進めている。勇者だって攻撃力だけ高くてもしょうがなくて、己を癒す呪文を唱えるための回復魔力やきようさも持ち合わせていなければ、戦っていけない。

よけいなことを考えずにいたいのと変化したい願望によって、今までひとつもしていなかった運動を取り入れたことも、自分にとってプラスだった。
根性なしの自分でもできるピラティスは思いのほか効果的で、疲れてすぐに寝てしまう。十代からのつきあいで私の代名詞でもあった猫背はわずか一日の体験レッスンで吹き飛んだ。猫背が治ると、視界も変わってくる。

小さくてかわいくなりたいという土台無理な、ないものねだりの願望はとっくのとうに消え去った。身長だけはCA並みだし、己の丸さもミシュランのビバンダムばりの極上マシュマロちっくなわがままボディだと錯覚できる。

私は自己肯定が低く、それに反して理想だけは誰よりも高かった。足りない足りないと努力して手に入れようとしていたものは、実は自分が気づいていないだけで、他人から見たらもしかしたらもう十分に持っているのではないかとふと気づいた。

気づいたあとはそれをどう生かしていくかだけを考えればいいだけだ。実際に十年前にそう言われたこともあった。当時は全く受け入れられずに流してしまいそうになりながらも、自分の大切な人からの言葉だったので寝かせ続けていた。

やっと今その言葉をタンスの奥底から引っ張りだしてきて、装備することができた。人はきっとその大切な言葉を受け入れれば受け入れるほど、光が増していく。そのうち私は無敵のマリオのごとく取りこぼしたキノコやコインをガスガスとBダッシュで勢いよく拾い集めながら、きっと旧知の友人たちをおどろかせていく。自分でもまぶしいと思えるくらい光をまとっていきたい。

あれっ? ねえ、今の私超まぶしくない?
……気のせいか(まだまだだな)。

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