自分の弱さを肯定する作業

私は弱い。あれだけ戦って強くなってきたはずなのに、

グレーを抜け出したのに、やっぱり弱い。

柳のようなたおやかさが自分にもあると信じてはいるけど、思い出すことによって体力も頭も使った。
いざ書き上げてしまうと果たしてこの文章を世に送り出していいのかという葛藤も生まれている。これがフィクションならどんなに楽かと何度も思った。 

ラスボスとの対峙は想像よりも長くなってしまったし、次から次へとよく書けるなと思ったけど止められなかった。でもこれからの自分にとって避けて通ることができなかった。誰にでもわかる言葉を選んでストレートに伝えることを最優先したことで、ダイレクトに自分にダメージが返ってくる。
一粒で二度苦しめる邪悪なキャラメルを何気なく食べてしまった。

前に京浜東北線で半径1m内に柿ピーとビールの空き缶をとっ散らかしているへべれけのおっさんと目が合い、「姉ちゃんは昔の浅丘ルリ子に似てるなぁ。憂いがあってさ。オレの好きな顔だね」と突然言い放ってきた。
おっさんの好みはさておき、往年の大女優に似ているなど肯定するのもおこがましいので「あんなに目は大きくないし、細くもない」とおどろいて否定した。

憂いがあると面と向かって言われたことは初めてで、自分でも憂鬱そうな顔をしていることはうすうす感じていた。泥酔しているにもかかわらず、自分の本質を見抜いたおっさんの指摘もあながち間違ってはいない。
確かに今までの生き方を考えると、憂いがにじみ出てきてもおかしくはない。

私はいつまで憂いを標準装備していなければならないのだろう。
書くことで乗り越えられると思ったけど、実際はそうでもなかった。
泣きはしないけれど心の中のリトル己は泣いている。
書いて詳らかにする一方で、自分に流れている狂人の血をひた隠しにして知られまいとあがいている。殴られれば殴り返すという暴力性もおまけについてくる。

私は普段は明るくおもしろいキャラとして生きているので、過去については自分からあえて詳細を語ることはほとんどない。でも紐解いていくと自分が思っていたよりも、明るさの奥の闇の存在ははかりしれないものだった。よくも悪くもすぐに気づいてしまう性分だから、気づいてはいたけれど認めたくなかった。

笑っていればつらいことも焼け石に水程度には忘れられた。涙なんてとっくに枯れてなくなったはずなのに、それでも身体は容赦なく新しい涙を作り出してくる。

これは乗り越えて安堵した涙だと自分に言い聞かせているけど、自分が流した涙で作り出した孤独の海でうっかり溺れてしまっている。だれかに助けを求めてもその声は届かなくて、もがいて自力で岸まで戻らなくちゃいけない。よれよれになりながら戻って、その後は細くてキラキラしたひたすら長いであろう蜘蛛の糸をのぼり続ける。

もっと強くなって、その心もとない蜘蛛の糸よりも強くて切れない糸を自ら吐き出せるようになりたい。

純度の高いダークチョコレートのような夜が溶け出して、その漆黒に身をゆだねて眠る。明日には何もかもきれいさっぱり消えていることを願いながら。

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