#10 優しくする資格
こんにちわ。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の10話目です。すごい!こんなに書くことがどこにあったのか、自分でもわからない。読んでくれて「スキ」してくれた方々、本当にありがとう。
#9 にこう書いた。
彼の保護者をやることにより、私は優しさを受け取れなくなった。対等かそれ以上の人からしか受けられないものがあるのだと最近気付いた。
これは、noteに書くようになってから気づいたこと。私は守る対象からは守られるという感覚を受け取れない体質みたいだ。上手に優しさを受け取って、リラックスする自分を作るのは女性の特性であるはずなのに。
子どもから「ありがとう」とか「大好き」とか言われることはあるし、もちろん嬉しい。そのことは私を強くしてくれるけど、同時に緊張する自分にしてしまうようなのだ。母親モードが発動してしまい、全ては子どもが優先。警戒心全開、外敵には牙をむく。ゆるゆるしたほんわかした素の自分なんて煙と化して姿を消す。
子どもの前では母親の仮面を被ったままでそれが正しいと思っていた。家族といる四六時中そのままだったから、疲れていたのだ。
以前、プロローグでこう書いた。
「〇〇さん、だいじょうぶ?」
突然、その不幸で平穏な日常が覆りました。ふと上を見たら、空は青くて誰かが綺麗なコップに入った澄んだ水を手渡してくれているような感覚でした。我に返りました。
この後、ずっとこのコップを手渡してくれたのがなぜ夫ではなく彼だったのか考えていた。夫にも、何なら助けてくれたはずの彼にも、少し腹が立った。弱っていたとはいえそのコップを受け取ってしまった迂闊な自分も嫌だった。でも今ならわかる。夫がコップを手渡してくれたとしても、私には多分受け取れなかった。
どうやら、コップを渡す人には資格が必要なようだった。私の中の誰かはその資格の有無を冷静にジャッジしている。私が彼からコップを受け取ったのは必然だった。
資格について深掘るため、彼について書く。
彼は仕事場の同僚で私の上司なのだけれど、一言で表すと仲間思いの人だ。みんなが働きやすいようにいい空気を作り出すことがとても上手。常に仲間を気にかけている。それは、よくある上司の「監視」ではなく「見守り」である。一見温和そうに見える彼だが、仲間のために戦う姿を私は知っている。私の中の誰かは、そんな彼に絶大な信頼を置いていたようなのだった。いつからかわからない、私の知らぬ間に。
あのコップを手渡した瞬間は、彼の「見守り」センサーに私が引っかかった瞬間だったらしい。
彼が私に気づいて「だいじょうぶ?」と言ってくれたので、私はそんな彼に守られていたことを知った。気づけて、良かった。優しさを受け入れられる自分と初めて出会った。素直にうれしい。
私はこの時まで、彼が空気を作っていたことに露ほども気づいていなかったし、ましてや「見守り」センサーが発動していたことなど知らなかった。それほどに彼の努力はさりげなかった。守られることを拒否していたはずが、知らぬ間に守られていたとは、恥ずかしい。
降参だ。誰かのために自分で自分にかけた呪いを解いてくれた人なんて、王子様でしかないのではないだろうか。これは好きになってもしょうがない、そう自分を許すことにした。
昔の記憶を辿ってみるに、母親ですら私にとっては守る対象だった。母親に甘えたことがあっただろうか、抱きしめられた記憶もなぜだかない。成績がよいことがわたしの価値だった。
小学生の時、痴漢にあったことがある。帰ってそれを打ち明けた私に、母親は「汚い」と言い放ち、泣きながら私をゴシゴシ洗った。私より傷ついてしまう、私のことなんか見ていないまるで子どものような母。その時から見下していた。実際、母はよく私に「馬鹿にしているの?」と言っていた。
「お母さんはわたしに怒っているんじゃない、わたしの中のお母さんに怒っているんだ。」不意をついてわたしから出た言葉をわたしにはあまりよく理解できなかったが、母には伝わったようだった。
それ以来母というより、自分自身を騙してきた。自分がダメな親から生まれてきた不運を嘆くより、自分が悪いのだと思う方が気が楽だった。自分は努力できて、変えていくことができるから。でも、これは最終的には間違っている。
生まれてきた命はそれだけで価値があり尊いのだ。子どもを産んだ母親なら誰でも知っている。
私の守る対象から守られるという感覚を受け取れない体質は、おそらく自己肯定感の低さに関係している。まだ、もやもやしてはっきりと言語化できないので、もし書けるようになったら書きたい。
あの頃の私に「がんばらなくても幸せになれるよ」と言ってあげたい。
親から守ってもらえない子どもに出会ったら、「あなたのせいじゃない」と言ってあげると決めている。
今のわたしは、彼が作ってくれた空気の中でのびのびと仕事をしている。仕事が好きだし、職場も好きだ。ほんわかしているわたしを好ましくないと思う人もいるけど、気にならない。ただ、その素のわたしがリラックスしてその場にいることは、彼の作ってくれたいい空気の存在をわかりやすくする。
願わくはこの瞬間が永遠に続きますように。
次回は、今回大活躍した ”わたしの中の誰か” について書いてみたいと思う。
★追記★
この記事はYouTubeのクニタチホ様の動画を参考にさせていただきました。自分のまとまらない思考を論理的に理解するのに参考になる知識が満載でした。この場を借りて、感謝申し上げます。
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