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#9 爆弾以前のクズ夫とカサンドラ妻

こんにちわ。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の9話目、今回は人生で最高に不幸な時に至る前の話です。めっちゃ長くなってしまった。

#7から数日、夫のクズっぷりは止まない。引っ越す家の保証人になってとか普通に言ってくる。いや、ならん。普通に断る。そして気づくと家がとんでもなく荒れている。片付けながらその地層を見てたら、なるほどそれはこの結婚生活の犠牲になった死体達って妙に納得してしまった。

冷静でいるつもりだけど、マイナスな感情があるなら今ここに全部置いていきたい。自分の中を空っぽにしたい。そう思った。

これを読んでもらった人は、世界一大好きだった人がなんでクズになったかわかるだろうか。私は分岐点がどこだったのか知りたい。

今クズと化した夫の成分

結婚生活は約9年だが、付き合いを始めたのは20年前だ。その間、あったことをつらつら書いてみる。後から説明を加えていこうと思う。クズっぷりは今に始まった事ではないのだったけど、最近の進化は進化は気になる所。

・記憶喪失になる
・ギャンブル依存
・否定される
・新しいものを捨てる、汚す
・頻繁に模様替えをする
・時間の感覚がおかしい
・妄想「バカにされた」「浮気している」
・ありがとうがない、結果要求がエスカレートする
・嘘をつく、バレないようにどんどん大きな嘘になる
・いなくなる
・生活費を払わない
・想像力がない
・予定を立てられない
・時間にルーズ、だらしない
・スムーズにコミュニケーションが取れない → すでに#2で書いた

記憶喪失
彼は10年ほど前に記憶喪失になった。全生活史健忘、自分の名前も家族のこともチーズが嫌いなことも全部忘れた。私の目の前で、目がゆらゆらしてると思った次の瞬間、何もわからない彼が目の前に座っていた。結婚は、記憶喪失になってから2歳くらいになった彼とした。上の子が産まれて1歳の時、突然全てを思い出し、それ以降の結婚生活は別の人格となった彼と送ってきた。以降も忘れたり思い出したりを繰り返していて、今も症状は不安定だ。

ギャンブル依存
彼はスロットがやめられない。子どもが産まれて1年間の私の育児休暇中も、彼の給料は全部スロットに吸い込まれていって、生活費は全て私が払った。スロットには隠れて行く。子どもを抱っこして入れない私は、スロット屋の駐輪場で我が家の自転車を見つけて立ち尽くした。多分、この10年で1000万以上はこれに消えた。

とにかく私が言うことを否定する(会社の人が言うことは肯定する)
生活費が足りずかと言って働けない育児休暇中の私は、ヤフオクで転売することで生活費を捻出した。ゲームや福袋、洋服思いつくこと全てやった。それが彼の逆鱗に触れた。会社で転売クイーンの夫とディスられたらしい。それでも生活費を出してくれることはなかった。
子どもが1歳くらいになったころペダルなしの自転車を会社の先輩ママに勧められた私は夫に相談した。「そんなのダメに決まってる、会社のAさんの孫も全然乗らないってさ」その2年後、夫はそれと全く同じ自転車をスポーツ用品店で定価で買ってきた。「会社のAさんがすごくいいって言っててさ」3歳になった娘はほぼ乗らなかったし、練習を手伝ってもくれない。2人目の子どもが乗ってくれるまでの2年間、ピカピカだった。

新しいものを捨てる、汚す
新しく買ってきたタオルをトイレの床掃除に使うとか、玄関用に買ってきたうちとしてはちょっと高価だったマットを猫用にするとか、昨日買ってきた食器用スポンジを油でベトベトのフライパンに使うとか、ちょっと奮発して買った味噌屋さんの味噌とかデパ地下のプリンが冷蔵庫から消えるとか、数えきれない。その度に彼は「一番古いやつだと思って」と言っていた。何回言ってもこれが止むことはなかった。

頻繁に模様替えをする
これが冒頭の部屋が汚くなった理由。夫は頻繁に部屋の模様替えを行う。リビングのソファとテレビを逆に、私の洋服をあっちからこっちへ。その度に決めていた場所から物がなくなって、何ががどこにあるかわからなくなる。新しく買う。物がどんどん増える。それの繰り返しだった。そして、これを彼は片付けと呼んでいた。片付けが上手な人ならなんとかできたかもしれない。でも私は苦手だったので、これが一番辛かった。今思えば、縄張りを主張するみたいな意味だったんだろうか。謎。

時間の感覚がおかしい
彼が抽選でテレビを当てて、持って帰ってきたことがあった。いつまでも使わないので「壊れちゃうから売っちゃえば」と言ったけど「すぐに使うから」と言われ、それから6年経つ今もそのテレビは物置に入っている。
あるいは、部屋にこんな棚が欲しいと言えば3年後にそれを買ってくる。それが欲しかったのは5回前くらいの模様替えの時だったとは言えない。

いなくなる
喧嘩したりすると、夜出かけたまま帰ってこない。連絡もない。携帯の電源は落とす。

嘘をつく
仕事の前にスロットがやめられない状態の時、私や子どもが病気だと嘘をつき会社を休む。その時に私がお店に行ってしまうことがあり、怒られる。会社で評価が悪いことを、子供が理由で休みが多いからとさらに嘘を重ねる。私にもスロットをやってないと言い続けた。

…キリがない。一旦終わる。

カサンドラ妻のレシピ

前提として、大黒柱は私。家族4人の生活費を出すのは私の仕事だ。
本来であれば家事は夫にお願いしたいところ。仕事はしていても家にお金は入ってこないのだから。

ただ、彼にできることは少ない。当初、夫ができることはご飯を作ること、食器洗い、電球を変えること、自転車のメンテナンスくらいだった。子どもの送迎すら、ドタキャンする。買い物は経済観念がないので厳しい。ご飯は油っこくて野菜は一切入らないが、目をつぶる。

それに、日常はルーティンワークでできている。できることを前提として継続することが求められる。この継続が夫にはできないのだった。

仕事が雑ということも難点で、確認しないままオムツを入れて洗濯機をまわしてしまい、結局服にも洗濯機にもまとわりついた汚れを落とすのに3回くらい洗濯機を回したこともあった。それをちょっとでも責めればキレていなくなる。長期化すれば、夫がクビになる可能性があり、私が我慢するしかない。

自然私の分担は増えるものの、価値がわからない夫はありがとうすら言えない。やってもらうことに慣れれば文句まで付いてくる。モチベーションどころかストレスは増える一方だった。

さらに彼は会社で私の悪口を言うようになった。知らないまま、2年前までそのお店に子どもを連れて行っていた。

喧嘩をしたり生活費を出してくれるように言うことに意味はない。勝ったら彼はいなくなったりスロットに行くだけで、どっちにしろ私の負けなのだ。

負けを覚悟して、給料の振り込まれる口座のカードを取り上げたのは去年の年末。結果としてクズ夫が進化して今離婚に至ってるのだから、やはり勝ち目はなかった。

ずっと頭から油がドロドロかけられているような感じだった。ベタベタになった前髪をかきわけながら、床を拭くけど、上から流れ続ける油を私は止めることができなくて、諦めた。油が口にも入ってくる。息もできない。

外の人というスパイス

彼は外からの受けがよかった。

生活費を入れているかどうかなんて、外の人にはわからない。
「子どもの送迎をしてご飯まで作ってくれるなんて、いいパパ、うちとは大違い」よく言われた。逆に私は「仕事にかまけていて子どもを見ていないママ」と思っていたに違いない。当たりが強いのを感じた時は何回かあった。

「いい旦那さんだよね。」
そう言われるたびに、心の端っこが切れて、ちょっと血が出る。
この人たちの旦那様はきっと生活費をきちんと払って家族を守っているんだろうな。彼女たちの鈍感さは私を傷つけた。足の下にガラスがたくさん落ちているってわかっているのに、笑顔で裸足のままガラスを踏み続けて歩き続けた。いつも喉がカサカサして言葉を呑み込んだ。

#8で話したママ友も「優しいパパさんだよね」といつも言ってくれていた。その優しいお豆腐みたいな心を潰してしまったという苦さは今も心に残る。打ち明けた時、その顔がクシャってなった瞬間が脳裏をよぎる。話している間、彼女は私のために多分怒っていたのだけど、私のためにその怒りを表に出さないようにしていたこと、気づいてたよ。もう彼女が「いい旦那様だね」って言うことはない。ごめん。ありがとう。

ちょっと接する分には彼のおかしな部分はわからないだろう。ちょっとおかしいな、と思ったとしても「いいパパ」の評価で十分お釣りがくる。ましてや会社では嘘をついていたのだから、会社での私の評判は地に堕ちていることだろう。彼からも聞いた、「みんなヒドイ嫁だって言っている」と。

このことは私と彼の距離を確実に遠ざけたと思う。

なんで一緒にいたの?

こういう話をすると、絶対にこう言われると思う。

一つめの理由はもうすでに#5に書いたので省略する。
二つめの理由は記憶喪失になった時にときに側にいたという責任感。
最後の理由はやっぱり好きだったからだと思う。こういう記事だから、悪いことばかり書くことになったけど、いいところだってあったし、かつては優しい人だった。DV被害者がよく言うみたいに「本当はこんな人じゃないんです、いい人なんです」と前だったら言ってしまっていたかもしれない。20年前の私に優しかったのは彼だけだったから。

そして、もし子どもがいなかったら今でも一緒にいたと思う。

共依存

彼が死んでしまったら生きていけない、とか彼に何かあったら私しかいない、とか思っていた時期があった。まさしく共依存だ。

私が抜けたその檻の中に、彼はまだ一人囚われている。

私は彼の保護者をやることになったけど、そうなりたかったわけじゃなく、死なれるよりましだった。当初は私一人で背負えるくらいの重さだったから、まあいいかと思ったのだ。

この時から、私は優しさを受け取れなくなった。
保護者になるってことは、彼の妻ではなく母になることだった。対等かそれ以上の人からしか受けられないものがあるのだと最近気付いた。
一人の夫と二人の子どもに私は愛情を与え続けなくてはいけない、私自身には愛とか優しさとかが注がれないのにも関わらず。その形はいびつで無理があった。夫がいる以上、その愛情を外に求めることもできないのだから。私がカラカラになってしまうのは必然だった。強くはなったけど、ものすごく乾いていた。

どうしたらよかったんだろう、という結論。

もし過去の自分に何か伝えられるとしたら?あきらめて、逃げてって言うことだけだ。

立ち直らせるのは妻の義務?妻は医者でもカウンセラーでもスーパーマンでもない、ただの人なのだ。もちろん優秀な妻もどこかにいることでしょうが、そうじゃない私には、尻尾を巻いて逃げる選択肢しかなかったんだ。

忘れもしない、背中に夫から爆弾を投げられた後、彼に言った。
「私はもう、自分を犠牲にする気は無い。」
この結婚の終わりは、私が諦めたことだった。時間だけ決まっていない耐久レース。どれくらいの期間私が耐えられるかで、結論がすでに決まっていたなら早く諦めればよかったのに、っていう虚しさに今襲われている。

彼だけの責任ではない

彼に発達障害があるかどうかわからない。病気では精神科に行ったけど、何も好転しないままで、そんなことに割く時間もお金もうちにはなかった。
それに、働いている以上、「通常の生活ができる」とみなされる夫が受けられる公的なサポートは見当たらなかった。
ただ、彼に限らずグレーゾーンの人は当然今の社会では生きづらくて、日々ストレスを溜める機会は多くなる。
それに、彼のプライドは高い。病気だということは受け入れられても障害という言葉は彼には受け入れ難かったようだ。

それに、彼は家族にも恵まれていなかった。
記憶喪失になった時、彼を実家に連れて行った。誰一人彼のサポートをしてくれるとは言わなかった。その後も結婚もしていない私が彼の生活の面倒を見ていてもサポートどころかお礼の一つもなかった。
今彼が賃貸契約を結ぶにあたり保証人を私に頼んでくるのもそういう事だ。

一番上に書いたたくさんの出来事の原因が、発達障害なのか、その障害に起因する別の病気なのか、はたまたただ性格が悪いだけなのか全くわからない。おそらく複合なんだろう。

とはいえ、周りの人が背負うことはできないことだった。何を選びどう生きていくかというのは本人の尊厳だから、肩代わりするのはやっぱり違う。私は多分背負いすぎてしまった、あれは私の過ちだった。

彼は今後、自分の責任を自分で負っていくことになる。

これを読んでくれたどなたかへ

こんなに長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。

この話は、極めて個人的な実体験を書いたものです。彼および彼と同じような現状の方を馬鹿にしたりするような意図はなく、今まで一緒に生きてきた彼への愛と感謝を込めて書いています。そして離婚をしたとしても、父親としての彼との関係は続いていきます。

もしあなたが、発達障害の当事者の方とかサポートする家族の方だったとしたら、言い訳をさせてください。ひどい表現をしている部分、聞き苦しい部分があるかもしれません。実態を伝えたく、あえてそうしています。薄っぺらく書くつもりはありません。

離婚の相談に行った弁護士さんにこういう話をしたことがあります。
その方は、最初「そんな簡単に離婚なんてしちゃいけないよ」って私におっしゃっていました。それがこの記事のような話を説明したところ、「こんな大変な目にあってきたの」って180度態度が変わりました。要した時間は約10分です。
弁護士というたくさんの人生に関わるような職種の方ですら、これは異常事態なんだなと思いました。

この記事を書いているのは、実態をとにかく広く知ってもらいたいという意図です。このシリーズはまだ続くものとして書いているので最後まで読んでご判断いただけたらと思っています。

発達障害およびグレーゾーンで苦しんでいるその方達に少しでも幸せな未来が来ること、それをサポートできる社会であることを心から願っています。私は挫折してしまったけど、同じように挫折してしまった誰かにも寄り添えたらと願っています。

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