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「Secret Hitler」と議論を引き起こすテーマ(Secret Hitler and Controversial Themes)

本記事は、Anthony Faber氏が2020年2月28日に投稿した「Secret Hitler and Controversial Themes」の翻訳である。かなり前の記事の翻訳であることに留意されたい。

テラミスティカ」、「マルコポーロの旅路」、それに「グルームヘイヴン」を心の底から愛し、これらの良さを一般化してゲームメカニズム論を展開するボードゲームギークであるAnthony氏にしては、珍しく政治的なテーマである(もっとも、この記事しか政治的なテーマを取り扱っていないようだ。)。

Secret Hitler」は、5人から10人までプレイ可能な推論ゲームであり、ゲームの概要はここに詳しい。そして、このゲームはPNPが公開されている。PNPの詳しい内容については、みらこー氏の動画を参照することを強くおすすめする。

なお、一旦は末尾に長すぎる訳者あとがきを付したが、あまりにも長すぎるため本記事の論旨が曖昧になると考えて、最終的には付すことはやめた。いつしか、まとまった考えみたいなものを書くかもしれない。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

もし、膨大な文字量に目がかすんでしまうのであれば、ポッドキャスト「Two Wood for a Wheat」でこの議論を耳で聞くことができる。そこでは、「グレンモアⅡ:クロニクルズ」のレビューも含まれている。

クレジット: W. Eric Martin

みんなは気づいているかもしれないが、「Secret Hitler」が、その物議を巻き起こすテーマのせいで、この数か月以上ニュースとなり続けているね。みんなでわいわい行う(social)この人気の推論ゲームは、予想される容疑者、はっきり言ってしまえば、ユダヤ人団体や不愉快なほど自分のことを大きく見せようとする(blowhard)政治家野郎から非難轟轟だ。

ウィスコンシン州では、共和党系の州上院議員であるSteve Nassが、休憩中にこのゲームをプレイしていた議会の事務員(congressional page)を非難した。表面上は、彼らが勤務時間中にサボっていたことを理由にしてたけどね。

こういったことが政治的な得点稼ぎ以外の何物でもないと考えてしまうのは良くないので言っておくと、事務員の監督者は、上院の要請に対して積極的に応じていない時には、一般的に事務員はどんなことをしても許されると指摘した。上院議員様の嫌悪感を読み解く手がかりは、彼がこのゲームのドナルド・トランプ版に言及していたことから見つかるかもしれないね。けれども、事務員たちがプレイしていたものがドナルド・トランプ版であったことを示す証拠は一切なかった。

この例の中で特にたちが悪いのは、州上院議員様が票集めのためにナンセンスな話をしていることではない。彼が広報担当者を通じて事務員の何人かを解雇させることを検討していると表明したことだ。

エルサレム・ポストが報じたところによると、モントリオールでは、ゲームストアチェーンであるTour de Jeuxが、ブナイ・ブリス・カナダ(B'nai Brith Canada, ※詳細はここ。伝統的にはユダヤ人コミュニティーの相互扶助組織の名称であり、1843年10月13日、ニューヨークでヘンリー・ジョーンズほか11名により設立された、現在も活動しているものでは世界最古のユダヤ人の互助組織。カナダ支部はカナダで最古の互助組織とのこと。)からの抗議を受けて、このゲームを販路の一部から撤去した。

オーストラリアでは、名誉毀損防止委員会(Anti-Defamation Commission, ※ユダヤ系オーストラリア人により設立された、反ユダヤ主義に対抗することを目的としたブナイ・ブリスに起源をもつ団体)が、Amazonに対し、このゲームの販売を中止するように請願し、以下の声明がタイムズ・オブ・イスラエルに掲載された。

このゲームは……軽蔑にも値しないものだ。犠牲者の記憶と第三帝国を打ち負かすのに命を捧げた勇敢な兵士たちに対する侮辱である。ホロコーストを矮小化させ、利己的な目的で使い、卑俗化させることに関して言えば、日を追うごとに、新たな低俗さに出会っている。次はどんなことを思いつくのだろうか。広々とした野原でユダヤ人を処刑したり、ガス室に押し込めたりする機会がプレイヤーにもたらせるゲームだろうか? ……ボードゲームの一要素としてヒトラーを用いることは、彼の非人道的な犯罪をごまかすものであるとともに、非常に不愉快で、今日においても、多くの人がホロコーストの言葉には表現しきれない恐怖を理解していないことを示している。

なんと力強い言葉なんだ!

私の論調から、私がこういった所感に強く反対していると推測したかもしれないけれど、私が、クソな(d-bag)日和見主義の政治家なんかよりも、このゲームによって心から動揺させられてしまった人々を代表する組織に対して非常に尊敬の念を抱いていることに言及しておいたほうがいいだろう。

ユダヤ人団体からの反対の感情に関して言えば、この件について何年も前に起こったことは取り返しがつかないってことわざのとおりだ(the horse has left the proverbial barn years ago on this one)。ナチス、第三帝国、それにヒトラーをテーマにしたウォーゲーム、ボードゲーム、ビデオゲーム、小説、映画、テレビ番組は、もちろん第二次世界大戦が終了した直後から大幅に増加した。そして、「Secret Hitler」は、この種のものの中で格別に無礼というわけではない。

これ以上に、ガス室をテーマにしたゲームを使った論点すり替えの議論(the strawman argument, わら人形論法)や、「Secret Hitler」がユダヤ人男性によってデザインされたという事実に言及することはほとんど価値がないように思われる。しかし、個人的に動揺したり不快となったりするものを見つけることと、ほかの誰かがこのゲームを手に取らないようにしたいこととの間の区別は、取り上げる価値がある。

別の人の体験を検閲したいという欲望は、ほとんどの場合において逆効果となる(counterproductive)。近年で私が見た中で最もぞっとしたテーマで創作されたゲームは、「Don't Drop the Soap」だった。ホモフォビア(homophobia, ※同性愛嫌悪)と監獄でのレイプをテーマにしたイカれたカードゲームだが、これすらも検閲されるべきではなく、ただあざ笑われて忘却されるだけだ。

いいかな、私たちは反ユダヤ主義的な暴力が増加している世界にいて、ひどい人物がピッツバーグシナゴーグで11人を射殺してから1年も経っていないと知っている。

しかし、ヒトラーをテーマにしたボードゲームに対するプレスリリースは、反ユダヤ主義を防止したり対処したりするには無意味だ。これは、暴力的なビデオゲームを禁止することで銃による暴力を解決しようとするものだ。

こうした団体に対する慎ましい提案がある。こういった問題に関する認識を高めるために、ゲームの出版社やデザイナーと対話を始めたらどうだろうか? ボードゲームの販売を禁止するのではなく、上述した販売店に対して、こういった問題に関して大衆を啓蒙する文学やゲームを宣伝するよう提案してはいかがだろうか? 禁止を訴えることは怠惰だ。禁止を求める団体や個人は、自分たちが何か行動している気分になってしまうが、問題についての対話を生み出す困難な作業をしているわけではない。

公的な検閲と個人的な嫌悪

上述した全てのことが、「Secret Hitler」やそのほかのゲームによって動揺させられたり不快に感じたりする人の問題だというわけではない。私は、特定の世界観をもつ1人の白人男性にすぎない。私は、何が人々の気分を害するかを決める権威者になる権利を一切有してない。禁止や検閲を求める声に抵抗すべきであるとともに、特定のテーマに動揺したり不愉快な思いをした人に対しては、非常に思いやりをもって接するべきだ。

私の義母がまだ生きていた頃、時々家族でボードゲームをしていた。けど、彼女は、ゲーム内に暴力や戦争があるような類のゲームを絶対にプレイしなかった。彼女はただ好きではなかっただけなのだが、私は彼女の意向を完全に尊重していた。

個人的な話をすると、私はヴィーガンで、動物を殺すことに対して激しく反対している。けれども、「クランズ・オブ・カレドニア」は、私のお気に入りのゲームの1つで、契約を達成するために喜んで牛や羊を屠殺する。だって、100%明らかなことだけど、プラスチック駒や木駒は、本物の動物ではないからね。

クレジット: Scott Ferrier

同時に、「New Bedford」は、絶対にプレイしないであろうゲームだ。このゲームでは、プレイヤーは、得点のために捕鯨をする。そして、ゲームが進行するにつれて、絶滅に向かって捕鯨されていくので、鯨の数が減っていくこととなり、捕鯨が難しくなる。ゲームが単なるボール紙であることはわかっているにもかかわらず、このテーマは、私が非常に憂鬱となってしまうものだ。

私は、それで気分が害されはしない。むしろ、捕鯨による貿易が鯨という種に及ぼす影響を取り繕うことをしなかったデザイナーや出版社を称賛するよ。だが、このゲームをプレイしたくはない。動物の屠殺は、我慢することができる「クランズ・オブ・カレドニア」のごく一部の要素だが、「New Bedford」は、完全に金目当てで種を虐殺することをテーマとしている。このゲームは、私にとって、人々をガス室に送ることで得点を得るものだ。

"私にとって"というのが本当に重要なポイントだ。反論したり反対したりするためではなく、ただ思いやりをもって理解するために、テーマ的に人々を動揺させたり不快にさせたりするものに耳を傾ける価値がある。そうすれば、人々は話を聞いてもらえたと感じて、みんなが楽しむことができる形でゲームが遊ばれることになる。

要は、取り入れ方の問題だ

不快にさせたり動揺させたりするものというのは、大層個人的なものである可能性があるけれど、テーマの中には、客観的にみて、テーマの背後にある現実についてプレイヤーに伝えたり、決まりきった表現以上の何かをもたらしたりするに当たって良くも悪くも作用するものがある。

たとえ、リソース変換競争を行うゲームや経済ゲームというメカニズムとテーマ性が合致しやすいというだけの理由であっても、多くのゲームにおいて広く用いられたテーマである植民地主義を例にとろう。

多くの人たちは、テーマとして植民地主義を多用することに関して不満を抱いている。やりすぎだとか、気分が沈むとか、歴史をごまかすことにつながることが多いとかと指摘してね。これらは全て正当な指摘である。それに、個人的な好みに関して先ほど述べたとおり、このようなテーマをプレイしたくないと思う人を責めるつもりはない。

同時に、メカニズムが面白い限り、テーマなんか気にはしないという人も多くいる。私は、こういう人にも配慮する。

この点においては、ニュアンスが必要とされる。Twitter(現X)上で目立っているボードゲーム界隈の有名人さんは、最近、プロとしてこういったテーマのゲームを二度と取り扱わないと言っていた。これは、彼らの特権であって、否定されるべきものではない。

同時に、Alexander Pfisterの「マラカイボ」に関するShut up and Sit Downによる近時の否定的なコメントの問題点を取り上げよう。私が問題にするのは、このゲームが歴史をごまかす植民地のカリブをテーマにしているという彼らの批評ではない。すなわち、このゲームでは、(プレイヤーであるあなたもその一人となる)当時の私掠船(privateers, ※16世紀から17世紀の絶対王政の前世紀のヨーロッパで、国王や地方長官が、特定の個人または団体に特許を与えて、外国の艦船を拿捕・略奪することを認めたもの)が日常的に行なっていた奴隷制度、虐殺その他の残虐行為を表現していないという批評だ。しかし、むしろ、彼らはテーマ的な批評とゲームプレイを不誠実な形で混同しているように思われる。

彼らのYouTube番組での言及は、単純にこのゲームが"悪い"と説明した上で、1回のプレイに基づく寸評として、このゲームは「グレート・ウエスタン・トレイル」の創造性のないパクりと表現するものであった。もし、彼らが、"このゲームは良いかもしれないし、良くないかもしれない。けど、どのようにこのテーマが取り扱われているかに関する大きな問題について議論したい"とでも言ってたならば、私は何ら問題と思わなかった。しかし、そうすることなく、彼らは、全てをひっくるめて"悪の"バケツの中に放り込んで、完全なレビューをしなかったと言い放つことで、いかなる批判もはねつけたんだ。

実際には、このゲームのルールにおいて、現実の歴史が製作しているゲームに合致しなかったため、過去をごまかした形の歴史となったという事実や、外に出て現実の歴史や当時の残虐行為に関する本を読むことをプレイヤーに勧めているという事実を説明しているんだが、Shut up and Sit Downがあえてこれに言及しなかったことには留意すべきだ。

これは、少し脱線した話になるかもしれないが、批評家や一般の人々の話の中で、あるものに関して1つでも気に入らないことがあると、悪いものとしてその全体を拒絶する理由を見つけてくるの(※坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとなる)ほど、イラッとするものはない。

とにかく、ここでニュアンスの話に戻る。私は、"植民地テーマはただ悪いものだ"というような一般的な(broad, ※解像度の低い、主語の大きい)発言は、個人的に好きではない。

ほら、歴史というのは恐怖に満ちたものだ。事実上、歴史的なテーマのゲームは、必然的にこうした問題に陥る。そういった問題を完全に探求することは、あらゆる娯楽の責務なのだろうか? 「パイレーツ・オブ・カリビアン」のようなアクション映画のシリーズものは、奴隷貿易に関して観客を教育する役目を果たすべきで、これを完全に怠ったために非難されるべきものなのだろうか。

この質問に対して、そうでなくてもよいと答えるつもりはない。だが、それに代わって、私が提案することは、テーマ的に安易な道を選んだゲームを非難するのではなく、むしろ、困難な道を歩んだゲームを称賛するということだ。"もっとうまくやれる、その方法はこれだ"というのは、特定のゲームを叩くよりも生産的なアプローチだろうさ。

クレジット: Craig McRoberts

例えば、「スピリット・アイランド」は、うまくやり遂げたゲームだ。このゲームは、植民地の決まりきった表現を完全に反転させて、たまにはプレイヤーが植民地紛争における"良い"側に立つことを許容したとして正当にも高く評価されてきている。このテーマに係る創造性のあるアイディアが、アートとメカニズムと同じくらいこのゲームの驚くべき成功の原因となっていると主張したいね。

その一方で、ほんの些細な歴史的な調査すらあえてされなかったゲームについて私が冷やかす話は残しておこう。例えば、「Manitoba」がある。このゲームの箱絵は、その土地に存在しない山が描かれており、そのアートによって描こうと主張されていたクリー族(Cree, ※北アメリカの先住民族の最大部族の1つ)の人たちは完全に無関係の代物だった(詳細はここ。そのほかにも、ここではトーテム等の描写があり得ないことが指摘されている。)さもなければ、「ライジングサン」では、誤ってインターネット上のジョークがゲーム内のプレイ可能なキャラクターとして取り入れられてしまうほど歴史的な調査がされていなかった(※Kotahiスキャンダルと呼ばれている話で、ニュージーランドのゲーマーがKotahi(マオリ語で「1」を意味する)という日本の妖怪を創作してWikipediaにいたずらで載せていたところ、CMONが裏を取らずに「ライジングサン」に登場するキャラクターに採用してしまったという話のようだ。ここで詳細があるが、最初に指摘したのはみらこー氏であった。)。

テーマ的な制約をゆるくして、上記のような馬鹿げた間違いのみを批判の対象とすべきだと言っているわけではない。そういった批判は、一般的な非難に躍起になるよりも、むしろ改善策を提案するような、助言的で(handed)具体的なものであるべきだということだ。

みんなはどう思ったかな? テーマ的な適切さや議論を引き起こすテーマをどのようにうまく取り入れられるかに関するこうした話題の上っ面に辛うじて触れたにすぎないことはわかっているさ。「ファイブ・トライブズ」や「プエルトリコ」における奴隷制といった明白すぎる例は避けたんだ。というのも、公平な議論をするには、私がここに投稿した文よりもはるかに長いものが要求されるからね。

議論を引き起こすテーマが革新的で敬意を込められた形で取り入れられた例はどんなものがあるかな?

以上

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