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Bøhmisk-Dansk folketone ③ 【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

YouTubeで、再生リストを公開しました。

ニールセン (C.Nielsen) 作曲
Bøhmisk-Dansk folketone Parafrase for strygeorkester
(CNW 40 /1928)
 
弦楽合奏のためのパラフレーズ「ボヘミア-デンマーク民謡」

 

 ①の記事、10000文字、②の記事、やはり10000文字、ときて、やっと、

 「ブロムシュテットがこの Bøhmisk-Dansk folketone を7分以上かけて演奏したのななぜか?」

 という謎について語ることができるようになりました。

↓の動画が、ブロムシュテットの録音です。オーケストラは、デンマーク放送交響楽団です。

 ①から②までずっと、実は、ほぼリアルタイムの時系列で、発見したことや考えたことを述べてきました。なのでこの③でも、「ブロムシュテットの演奏の謎」を中心に、発見したり考えたりしたことを、ほぼリアルタイムの時系列で述べていきたいと思います。
 ①と②の内容についても振り返りながら、「いちファンが音楽を解釈していく過程」として楽しんでいただけたら、と思います。

 

・◇・◇・◇・

 

ブロムシュテットと2つの民謡について

 ここから書いていくことは、もともとは①の記事の続きとして書きたかったことです。

 まず、①の記事の内容をふりかえります。

 いまのところ、YouTubeで、Bøhmisk-Dansk folketone の動画は5つあがっているようです。そのうちの1つは5分台で演奏され、3つが6分台で演奏されています。
 そのなかで、さきにあげた動画で、ブロムシュテットデンマーク放送交響楽団が7分30秒かけてこの曲を演奏しているのは、異例なゆっくりさです。

 

 せっかくなので、ブロムシュテットってどんな人かわかる動画をひとつ。

 ブロムシュテットは、2017年に90歳の誕生日をむかえました。現役指揮者の中でも最長老のマエストロのひとりです。
 あんなにでっかいバースデーケーキの接近に気が付かないまま、オーケストラにむかって熱く語り続けていたり、一転、ケーキに気がついたら感動して涙ぐんだり……この動画を見ているだけで、誠実で温かな人柄が伝わってくるようです。

 経歴についてはウィキペディアをみてもらうとして……

 ブロムシュテットは、スウェーデン系アメリカ人として生まれ、北欧で育ち、北欧の音楽の演奏にも力を入れています。ニールセンの指揮については第一人者といってよく、サンフランシスコ交響楽団との交響曲全集は定番中の定番です。
 また、ドイツのオーケストラとのつきあいが長いので、ルーツは北欧だけど、ドイツの指揮者、というイメージが強いです。私的には、ブロムシュテットが指揮するドイツ系の音楽のなかでも、ブルックナーは絶品だと思っています。

 ブロムシュテットは、NHKのクラシック音楽の番組でのインタビューに答えるとき、ドイツ語を使います。最近は英語を使う演奏家がほとんどですから、ちょっとめずらしいです。 

 そして、ブロムシュテットのなにがすごいかって、もう、そりゃ、この老齢で、椅子に座って指揮することもあったりするのに、奏でる音楽はいまなお若く、90歳をこえたいまこそが、最高の音楽である、ということです。

 

 上にあげた動画の Bøhmisk-Dansk folketone は、たぶん、1975年の録音で、ブロムシュテットは48歳、デンマーク放送交響楽団の音楽監督と首席指揮者を兼任していたときの録音のようです。
 Bøhmisk-Dansk folketone が作曲されたのは1928年で、初演はデンマーク放送交響楽団、また、ニールセンの没年は1931年ですから、この録音当時は、まだ40年と数年しかたっていません。

 いま、この記事を書きながらあらためて想像してみたのですが、録音した1975年の当時は、「オレの親戚はニールセンの知り合い」とか、この曲の初演のときはどうだったか、みたいな逸話が、楽団の中ではかなりリアルに共有されていたのではないでしょうか。ニールセン直伝の、演奏のためのアドバイスなんかも伝わっていたかもしれません。
 もちろん、ブロムシュテット自身も、デンマーク放送交響楽団時代には、生前のニールセンについての生々しいエピソードをたっぷりと聞かされたことでしょう。その経験が、ブロムシュテットがニールセンの人柄や思想にぐいぐいとせまっていく力強い導きとなったことは想像にかたくありません。

 ……と、こんなふうに想像してみると、ブロムシュテットデンマーク放送交響楽団が、7分以上かけてゆっくり演奏する、という選択に落ち着くまでに、ほんとにいろいろな思索や試行錯誤があったのではないか、と思われます。
 だからやはり、このゆっくりさは、意味深なことのように思われます。

 

 さて、私のように長年ニールセンを聴いてきた、という人は、少数ながらも存在していると思いますが、この Bøhmisk-Dansk folketone のもとになった、ボヘミアとデンマークの2つの民謡を知っている、という人は、日本ではあまりいないのではないかと思います。
 かくいう私自身がそうで、今回の記事を書くにあたってはじめて、YouTubeで検索して調べてみました。

 調べた結果、①の記事では、ボヘミア民謡 Tecˇe voda, tecˇe (水は流れ、流れて)として、

 デンマーク古謡 Dronning Dagmar ligger i Ribe syg (ダウマー王妃はリーベで病の床にふせている)として、

 ……等々の動画を紹介しました。

 ボヘミア民謡 Tecˇe voda, tecˇe は、恋人に捨てられてしまった、という内容のようです。
 
 デンマーク古謡 Dronning Dagmar ligger i Ribe syg は、ボヘミアからデンマークのヴァルデマー2世のもとに嫁いで来たダウマー王妃のいまわのきわを歌ったものです。彼女は20代の若さでこの世を去りました。

 とくに、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg については、①と②の両方の記事でふれましたが、ニールセンが節回しも、おそらくは和声も、まるごと取り入れている Laub の合唱用編曲がアップされているのを発見したのは貴重です。

 

 と、ここまでが、①の記事の復習でした。
 ここからが、①の記事の続きとして書きたかったことになります。

 

・◇・◇・◇・

 

歌え! Tecˇe voda, tecˇe……と

 こんなふうにいろいろ調べて、Bøhmisk-Dansk folketone のもととなった2つの民謡をふまえてブロムシュテットの演奏を聴きなおしてみたら、いきなり、あらたな発見がありました。

 曲の冒頭から、ボヘミア民謡の Tecˇe voda, tecˇe が引用されて始まるのですが……

 再生がはじまるやいなや、

 テ〜ツェ ヴォダ、テツェ〜ェ
 ホ〜ニャニャラ、ホニャニャ〜♪

 あ、いかん!……ついいっしょに、歌うてもーたーぁ……!

 ……いや〜ん……めっちゃはずかしいやん。
 (まあ、そのとき家には私ひとりしかいなかったんですけど)

 

 それだけではなく、また、1:10から Tecˇe voda, tecˇe がくるんですが、

 テ〜ツェ ヴォダ、テツェ〜ェ♪

 あああああぁぁぁ……やっぱり歌うてしまうやん……!

 ……ええもうそのうち、いっしょに歌うのが気持ちよくなって、何回でも歌っちゃった……

 

 つまりこれはどういうことか。

 ブロムシュテットは、Tecˇe voda, tecˇe を「Tecˇe voda, tecˇe」と歌うことを明確に意志して指揮している。

 ということです。

 もとの民謡は、聴いてのとおり、独特の間をもちつつ、横へ横へとのびやかにのびていく音楽です。この、独特の間と、横の流れが、Tecˇe voda, tecˇe の最大の魅力です。
 そして、①の記事でもあきらかにしましたが、楽譜を見ると、ニールセンはこのメロディに、すこしクセのあるスラーのつけ方をしています。そして、そのスラーのとおりにフレージングして歌うと、Tecˇe voda, tecˇe の魅力ある節回しのニュアンスが、見事に再現されます。

 このリンク↑のいちばん下に Bøhmisk-Dansk folketone があるので、タイトルをポチっとすると楽譜が出てきます。

 このようにして、ニールセンは、Tecˇe voda, tecˇe の魅力を損なうことなく、民謡からクラシック音楽の枠内に移植しているのです。

 だから、ブロムシュテットは楽譜に忠実に、ニールセンの意志を汲み取って、ことばを歌うことのない第一バイオリンに「Tecˇe voda, tecˇe」と歌うことを求めた。そして、この歌をオーケストラでたっぷりと歌いきったら、このゆっくりとした速度になった、ということなのだと思います。

 

 不思議なので、ほかの6分台の録音を聴いてみましたが、「いっしょに歌おう」という気持ちは全然わいてきません。
 それぞれの録音の指揮者が、Tecˇe voda, tecˇe を Tecˇe voda, tecˇe としてオーケストラに歌わせようとしているかどうか、ということもあるかもしれませんが、それ以上に、微妙に速度が速いから、「Tecˇe voda, tecˇe 」と歌いたくてもあのたっぷりとした感じでは歌えないから無理、ということも影響しているように思われます。

 そして、ブロムシュテットの指揮にあわせて気持ちよく Tecˇe voda, tecˇe を口ずさんでいると(まあ、試しにいちどやってみてください。実に気持ちよく歌えます)、水清らかなモルダウの流れるボヘミアからデンマークに輿入れしてきたダウマー王妃の、若く、美しい姿が目に見えるような気がしてきます。

 

・◇・◇・◇・

 

 Dronning Dagmar ligger i Ribe syg はオスティナートして歌う

 さて、この Bøhmisk-Dansk folketone は、前半は Tecˇe voda, tecˇe がメインとなって構成されているのですが、後半、3:50のソロの四重奏から後は、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg が楽曲のメインとなります。
 とくに、5:01からはチェロ、さらにはチェロとコントラバスが力強くこの Dronning Dagmar ligger i Ribe syg のメロディを、音楽の最後まで奏で通します(試聴しやすいように、ここにも動画を埋め込んでおきます)。

 このとき、バイオリンとビオラは光がこぼれおちるるような、輝やかしい対旋律を上声部で歌っているわけですが、問題は、どちらのメロディをメインとして聴かせようとしているかです。

 あらためて、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg のメロディを意識しながら聴き直してみると、ほかの指揮者は高音をメインとしているように聴こえるのに対し、ブロムシュテットは低音をメインとしているようです。
 それどころか、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の調べの力強い繰り返しは、土俗的な生命力をともなったオスティナートであるようにすら聴こえます……ていうか、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg 自体が、そもそも原始的で、ちょっとしつこい感じがなきにしもあらず、な曲なんですよね。

 原始的な感じはとくに、この Aksel Schiøtz が歌う録音↓によくあらわれていると思います。
 Schiøtz がリードし、合唱が合いの手をいれる、という進行は、宴会で集まった人々が、興にまかせて歌っているような雰囲気があります。さらにいえば、なにかの儀式のような雰囲気すらあります。
 この動画のタイトルには「1941」とあるので、録音は1941年ということでいいと思います。当時、デンマークを代表するクラシック歌手だった Schiøtz の歌い方を、ブロムシュテットも聴き、演奏の参考にしたかもしれません。

 

 ブロムシュテットの演奏は、Bøhmisk-Dansk folketone の後半については、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg をしつこいほどにしっかりと歌い、聴かせよう、としているように感じられます。
 それに対してバイオリンとビオラは、あくまでもその上に、軽やかに、自由に乗っかっている感じです。

 ところで、ニールセンの自伝「フューン島の少年時代」には、次のような記述があります。

 少年時代のニールセンは、父親ニールス・メーラーと仲間たちの楽団にまじって、宴会のダンス音楽などを演奏しているうちに、気がついたことがありました。

 伴奏していた音楽師たちは、メロディにいろいろと自由に低音部を付けて楽しんでいました。やがて、そうして低音部を入れたりいろいろな形でリズムを変えたりすることが、私のいちばんの楽しみになっていました。これはもう確信をもって言えることですが、私の対位法の才能はそうやって発達していったのです。(P.93)

 ブロムシュテットはこの曲のこのパートに、ニールセンの対位法の原点を見たのかもしれません。
 つまり、いそがずあわてず、力強く繰り返される Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の歌がそもそもあって、上声部はそれに乗っかって、のびのびとアレンジメントを歌い楽しんでいる。そして両者が、別々でありながらひとつの音楽になり、最後は堂々と、チェロとコントラバスがダウマー王妃の物語をしめくくる……それがブロムシュテットが楽譜から読み取り、目論んだことではないか、という気がします。

 

 そして。
 それだけじゃなくって。

 なんかしらんけど、笑顔で指揮するブロムシュテットが見えるぞッ!

 いままで20年間、デンマーク放送交響楽団とのニールセン全集に入っているこの曲を、繰り返し聴いてきたはずなのに、曲からブロムシュテットの姿が立ちあがってきたことって、1回もないんですよね……。

 ①の記事の最初にも書きましたが、いままでは Bøhmisk-Dansk folketone を聴いても、一面の緑の木立がキラキラしているのとオーケストラ、それしか見えていませんでした。
 だけど、それがいまは、ブロムシュテットのタクトがくっきりと見える気がする。
 オーケストラに Tecˇe voda, tecˇe とのびのびと歌うことを指示しながら、 あるいは Dronning Dagmar ligger i Ribe syg を力強く繰り返しながら、シブい笑顔で指の長い大きな手をきびきびと振る、ひょろっと背の高い、いぶし銀の指揮者の姿が。

 これにはほんとにびっくりしてしまいました。

 

 今回、Bøhmisk-Dansk folketone のもととなった民謡が何か、どんな曲か、という基本的な知識を得たことで、音楽の聴こえ方が、こんなふうにガラリとかわってしまいました。
 何も知識がない人が聴いても感動させることができるのが名曲というものかもしれませんが、必要な知識を知れば、このように、より音楽に近づき、深く感動できます。
 調べること、鑑賞のために必要な知識を伝えることは、おろそかにしてはならないようです。

 

・◇・◇・◇・

 

ひたむきに生きた、ひとりの女性の物語として

 さて、どうやらブロムシュテットは、元歌である Tecˇe voda, tecˇe と Dronning Dagmar ligger i Ribe syg とを、「歌」としてしっかりと歌わせるために、あえて、ゆっくりとしたテンポを採用した、と想像されます。
 そして、ブロムシュテットの演奏する Tecˇe voda, tecˇe は、まだデンマークに輿入れする前の、ボヘミア時代のダウマー王妃の姿を髣髴とさせますし、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg は、デンマークにやってきてからのダウマー王妃のことを物語ろうとしている、と考えてみてもいいかもしれません。

 なので、この Bøhmisk-Dansk folketone に主人公がいるとしたら、ダウマー王妃なのではないか?と予想をたて、彼女のことについて調べてみました。
 また、Tecˇe voda, tecˇe のテーマである「失恋」と、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の暗示する「早世」は、婚約者に捨てられ、結核で命を落としたニールセンの姉のカロリーネのことを、いやでも思い出させます。カロリーネもまた、20代の初めで亡くなりました。

 それが、②の記事の内容になります。

 詳しいことは読んでもらうとして、結局、この記事では、「ニールセンは、ダウマー王妃の悲しい物語を、ひたむきに生きたひとりの女性の物語として語り直したかったのではないか」と推理しました。

 

 さらに、記事には書きませんでしたが、音楽を聴いていて腑に落ちないことがありました。

 曲中の Tecˇe voda, tecˇe と Dronning Dagmar ligger i Ribe syg との分量を比べたら、えらくバランスが悪いなぁ……。

 Bøhmisk-Dansk folketone の前半は、Tecˇe voda, tecˇe を主としつつ、両方のメロディが絡み合いながら進行します。だけど、後半は Dronning Dagmar ligger i Ribe syg 一色になります。
 これについては以前から不思議に感じていましたが、2つの民謡のメロディがはっきりわかったせいで、なおくっきりと疑問に感じるようになりました。
 だいいち、そもそも、チェコスロバキア共和国建国10周年を祝うためにデンマーク交響楽団から委嘱されたものなのに、チェコ要素である Tecˇe voda, tecˇe の濃度が圧倒的に薄いのはいぶかしいです。

 

・◇・◇・◇・

 

 ああ……これはカロリーネのこと!

 まあ、そんなふうに腑に落ちないことがありつつも、こんどこそブロムシュテットの演奏について記事を書くつもりで、てぐすねひいていました。

 だから、書く前にもういちど音楽を聴きなおしておこう、と思って聴き始めたのですが……予想外の方向にいくことになってしまいました。
 そして、ここからが、②の記事の続きで書きたかったことになります。

 音楽を再生して、冒頭から Tecˇe voda, tecˇe のメロディが流れます。
 やはりつい「テ〜ツェ ヴォダ、テツェ〜ェ♪」といっしょに歌ってしまいながら、清い川の流れるほとりにたたずむ、若くうつくしい女性の姿が脳裏に浮かびます。

 だけどこのメロディがひとくさり演奏されると、それを引き取るようにチェロによる物憂げな旋律が奏でられます(0:38)。
 そして、このチェロの音色が流れた瞬間、

 これはカロリーネのことだ!

 と、瞬時にさとられたのです。

 自分はなぜ、婚約者に捨てられないといけなかったのか、その不条理を忍びきれずに表情を曇らせ、たゆたい、泣き崩れるニールセンのいちばん上の姉、カロリーネの姿がたち現れてきたのです。

 

 ブロムシュテットは、悲嘆に圧し潰されそうになるカロリーネの一挙手一投足にそっと寄り添うように、音を奏でます。
 ここはただのつなぎの旋律ではない。
 歌と歌の合間に女優が演技をする、そういうパートだとでもいうように、ゆっくりと。

 気丈に気を取り直そうとするところへ、ふたたび Tecˇe voda, tecˇe が流れてきます(1:10)。カロリーネは、やはり彼のことはもう水に流すしかないのだ、あきらめよう、と己にいいきかせるものの、募る思いは止められないでいる。Tecˇe voda, tecˇe の象徴しているものは、カロリーネのそんなふうな心情なのかもしれません。
 しかしそこに、しめやかに、バイオリンとビオラのDronning Dagmar ligger i Ribe syg の調べが忍びよります(1:34)……カロリーネは、咳をしているのです。彼女にとっての死の病である、結核の咳を。

 だけど、カロリーネは「病気さえ治ったら、彼を取り戻せるかもしれない」と考えていたふしがあることを、ニールセンは自伝「フューン島の少年時代」に書き残しています。また、彼女が母親に対して取り乱したところを見せたことも、少なからずあったようです。
 カロリーネは、生きて幸せになることをあきらめていなかった。
 少年時代のニールセンにはそう映っていたように思われます。

 カロリーネに忍びよる Dronning Dagmar ligger i Ribe syg のメロディの断片に抗うように、 Tecˇe voda, tecˇe が割り込み(1:49)、せめぎ合いますが、別のメロディがそれを打ち消し、一瞬、Tecˇe voda, tecˇe が勝利したかのように思われます(2:20)。
 だけど、おしあいへしあいのすえ、ついには急を告げるかのようにひときわ高く、悲痛に、またもや Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の断片が鳴り響きます(2:44)。
 容態の悪化、生きようとする希望を病魔が打ち砕いた……その瞬間を表しているのでしょう。

 

 ニールセンはこう記しています。

 姉の病状はゆっくりと坂を下りるように悪化していき、それがどのくらい続いたかは覚えていません。ある日、死との長い闘いが訪れ、姉は亡くなりました。(「フューン島の少年時代」P.86)

 

 このあとに流れる、ソロ四重奏による、完全な形の Dronning Dagmar ligger i Ribe syg (3:50)は、間違いなくカロリーネの死を表している、と気がつきました。

 しかし、その直前、ちいさな音でピチカートが奏でられています(3:43)。これも、以前からなにか引っかかりを感じる部分でした。

 いま、この文章を書きながら、ここの楽譜を確かめていたのですが、

 高音部、低音部、高音部、低音部、と2拍ずつディミヌエンドしながら受け継がれ、四分休符をひとつはさんで、もういちど高音で2つピチカート。
 そして、二分休符。

 しばし音が止んだあとに、ソロの四重奏が Dronning Dagmar ligger i Ribe syg をはじめて完全な形で演奏する。
 このリンク↑のいちばん下に Bøhmisk-Dansk folketone があるので、タイトルをポチっとすると楽譜が出てきます。
 問題のピチカートは、楽譜のP.108の上段です。

 この、微弱なピチカートは、カロリーネの心臓がやがて止まったことを表しているにちがいありません。
 そして、これまでは断片でしかでてこなかった Dronning Dagmar ligger i Ribe syg がここで完全な形になるのは、すなわち、Tecˇe voda, tecˇe とのせめぎ合いに、死が完全に勝利したことを示しているのでしょう。

 そう気がついた瞬間に、涙が吹き出しました。もう、たまらない気持ちになって、こらえきれずに嗚咽してしまいました。いまも、この文章を打ちながら、涙が止まりません。
 ニールセンが具体的に情景を描写する力は、卓越したものです。「ヘリオス」序曲しかり、「パンとシリンクス」しかり、まるで映画でも見ているかのように、ありありとした絵を音楽で描き出します。
 しかし、いまばかりは、その描写力が憎らしくてなりません。

 どんなに悲しく涙があふれたとしても、この人は、感情に押し流されることなく、客観に徹し、もっとも適確で、どうしても必要な音だけを選び、このように楽譜に記したのでしょう。

 

 なぜ、ブロムシュテットがこの Bøhmisk-Dansk folketone をゆっくりと演奏したか。
 それは、おそらく、若くして死をむかえたひとりの女性の物語を、演劇として確実に成立させるためです。

 たとえば、バレエ音楽ですが、実際に舞台で演じるときと、コンサート用の演奏とではまったく速度が違います。舞台用の演奏は踊り手の動きに合わせる必要があるので、コンサート用の演奏と比べたら、ずいぶんゆっくりと演奏されます。
 同じように、ブロムシュテットも、架空の舞台の上であたかも空想上の女優が動き、演じているかのように、音楽の速度を見えない演じ手に合わせたのでしょう。

 ところで、音楽の解釈は最終的には奏者に委ねられています。別にすべてを作曲家が想定したエピソードどおりに演奏しなくてもいいのかもしれません。
 ですが、あまりにも高速で演奏するのは、あのピチカートの意味が読み取れていない証拠で、さすがにそれは根本的にあやまりである、と言ってよいと思います。

 ブロムシュテットのゆっくりとした演奏は、分析しながら聴けば聴くほど、その速度設定には必然性があり、「ニールセンに迫っている」ということが実感されます。
 だから、聴けば聴くほど音楽の輝きが増してきます。
 もし、いまの、円熟しきったブロムシュテットがこの曲を指揮したら、どうなることでしょう……なんだか空恐ろしいような気がします。なぜなら、高齢になってからのブロムシュテットは、具体的なイメージを喚起させる力が顕著なのです。

 

・◇・◇・◇・

 

 ソロ四重奏の Dronning Dagmar ligger i Ribe syg は、カロリーネの葬送と、棺が土に埋められたことを表しているのかもしれません。ブロムシュテットはこのメロディを、寂しく、静かに奏で、ろうそくが消えるように、そっとしめくくります。

 ニールセンは、このソロ四重奏に、「poco tranq. (poco =すこし、tranq. =静かに)」と指示し、「Udi Ringsted hviler Dronning Dagmar」と歌われる末尾の部分(4:27)(Schiøtz の録音では、合唱による合いの手の部分)は「tranq.」と指示しています(楽譜はさっきのピチカートの続き、P.108の中段です)。
 
 リングステズ(Ringsted)には王家の墓所があり、ダウマー王妃の墓もあるようです。また、「hviler」はグーグル翻訳にかけると「休む」と出てくるので、この合いの手の歌詞は「ダウマー王妃はリングステズで永遠の眠りについています」と訳することができそうです。
 なので、「tranq.」の含意はいわずもがなですよね。

 だけどニールセンはこのパートと、次のチェロによる Dronning Dagmar ligger i Ribe syg へのブリッジとなる部分に、まるで植物がひそやかに茎を伸ばし葉をしげらせていくかのようなメロディを書いています(4:35)。
 それは、何かが復活することを暗示しているようにも聴こえますが、いったい何が復活するのか?がひっかかります。

 

・◇・◇・◇・

 

 ……ひっかかるのですが、またもやここで10000字をこえました。
 それに、オーケストラからの委嘱作品に、ここまでガッツリ私的な事情をもりこむものか、疑問になってきました……。

 続きはまた次回に。
 今度こそ完結させたいです……




記事は毎回、こちらのマガジンにおさめています。

 

 


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