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文章と自分のリハビリ ⑪(2022年 9月下旬の終盤)

 只今、こころの充電中につき。
 一日一題、お題にそってものを書いて投稿するサイトに出したものより。

 そこは、私にとっては、note から逃避した隠れ家、です。だから、どこのサイトかは探しに来ないでください。
 だけどもしどこかで見かけたら。声をかけずにそっとしといてください。いにしえの仮面舞踏会では、仮面の下の顔は知らぬものとして、互いが手を取り、ダンスしていたように。

・◇・◇・◇・


① プラモを作ってるような気分で書いた

「……!」
突然のことだった。君はなにかに驚いたように、首をもちあげてきょろきょろとしはじめた。まるで、ミーアキャットかプレーリードッグのように。
「どうしたん?」
「ん……なんか、声が……聞こえる?」
「声が?」
「したか?」
「うんにゃ。してない」
商店街の焼き鳥屋のまえで、焼き上がりを待ってたむろしていた僕たち5人組は、口々に返答した。

(以下略)

 あっさりしててわりと好きなんだけど、書いてる手ごたえのなかった文章です。
 実は、疲れがきてて、手抜きしました。手抜きの方法は、いかにも!、な設定を組み合わせてそれらしい物語にすること、です。まさかそんな手法で話しがひとつできるだなんて……っておもってたら、ホントにできてしまいました。
 書きながら、既成のパーツを組み合わせてプラモを作ってるような気分でした。AIが物語を作れるとしたら、こんな気分で作ることになるんでしょうかね?

 【Long版】で反省会します。


② これもまた、作文のプラモ

(前段略)

子どものときは、ジャングルジムって怖かったんだよな。オレ、背の順で一番前だったし。
この鉄パイプの正方形がデカく見えてデカく見えて。上へむかって乗り越えられる気がしなかったんだよ。
まんいち落っこちたら、この枠組みの真ん中を、スカッ、と余裕で抜け落ちるだろうな、それから地面に激突!……って予想するだけで、ふるふるゴメンだぜ、っておもってた。

それがどうだ。
こんなにちっちゃかったっけ、ジャングルジム? ちっちゃかった、どころじゃないや。ちゃっちかったっけ?
なんで、オレ、あんなに怖がってたんだろう。
 
(後段略)

 これもまた、プラモのように作文したもの。
 《ジャングルジム》というお題に対し、ながながとなにか書いたんだけど、反映したかったのはここに掲げた部分、「なんであんなにこわかったのだろう?」っていう思い出のみです。

 これも、① といっしょに、【Long版】で反省会します。


③ 魔法の原型

師匠が香の煙にむかってなにか低く唱えると、煙はゆうるりとたなびき、うずを巻き、香炉の形になった。
まさしく、いましもこの燻煙がたちのぼっている香炉と、全くおなじ形に。
「わかりますか。《形なきもの》は、このように操ります」
私は、その《形なきもの》が形をなした香炉を両手で持ち上げてみた。ずっしりと、重みが両手に伝わってきた。
「水は方円の器に従う、といいます。それと同様に《形なきもの》も、我らが念じた形に従い、形をなします」
と、師匠がまたなにか唱えた。するとどうだろう。さっきまで精巧な細工の香炉だったものが、きゅうに、子どもの落書きのような不細工な形に変わった。
 
(後段略)

 プラモ作文 → プラモ作文……と省エネで続けて、たまったエネルギーを放出したもの。
 ここに掲げたくだりの後、話しがどんどんと自分でも意表をつかれる展開になっていきました。そのせいか、いままでで一番評価が高かったです。

 剣と魔法の異世界ファンタジーを投入したのは、これが初めてだったと思います。単に呪文を唱えたらいいというだけではない魔法であるのがミソです。このあとも魔法モノはいくつか作文してますが、どれもこの「単に呪文を唱えたらいいというだけではない」という魔法観がベースになっています。だから、自分のなかではけっこう重要な文章だったりします。

 長いので、【Long版】で出します。


④ ふじょーり!

朝、起きて。カーテンを開いたら、窓ガラスのむこうに魚が泳いでいた。リュウグウノツカイかなにかのような、タチウオみたいに細長い魚……。
思わず窓ガラスに貼りついて、ゆくえを目で追った。ソイツは悠然と、虚空に身をくねらせ、ターンしながら、あちらこちらと行きつ戻りつしていた。

それ以外の窓から見える景色については、昨日となんら変わることなく、「いつも」のままだったんだけど。
しかし、このまま「いつも」のように窓を開けてよいものだろうか。開けたとたんに「水的」なものが室内に押し寄せてきはしまいか。

うかつな判断をしたら、窓から非日常が大量になだれこんできそうな気がして。昨日の続きの今日、という「ふつう」を死守すべく、ボクは、クレセント錠に手をかけて、窓に貼りついたまま、動けなくなってしまった。

 そもそも、自分の過去とかメンタルの状態とかふりかえったら、メンタルヘルス的によくね?、と考えてはじめた、一日一題作文ですが、このあたりから、ファンタジーや突発的に思いついた不条理な物語を書くことが多くなってきました。
 要するに、ネタ切れ。それもあるし、自分をふりかえる、っていうのはものすごくパワーが必要で、むしろ空想のほうがエネルギー消耗がすくない、と気がついたのが、たぶんこの頃です。

 そうそう。うつの主治医からも、当初から「カウンセリングしてみる?」とすすめられてたんだけど、とてもじゃない、自分をふりかえるパワーなんてないよ、と思って断ってたんだった。今年にはいってやっと、それに耐えられるパワーがもどってきた感じがしたんだけど、実際、1時間もカウンセリングうけたら、その場でぐったりだし、翌日もへろへろ。
 カウンセリングは、効果は保証するけど、心身のエネルギーが一定以上充実してないと持ちこたえられないものでもある、というのはちゃんと知られてたほうがいいと思います。

 このときもネタに苦しんで、あきらめて、なにかふつーのことを書こうとして、書きはじめようとした瞬間に魚が見えて、こんな話になりました。


⑤ ふじょーり! その 2

きゅうにばたばたと雨が降ってきた。私はあわててベランダの布団を取り込みにいった。とりあえず全部屋根の下に引き込んで、それから部屋の中にばんばん放り投げながら、イヤに雨音が大きいな、よほどの大粒の雨だ、濡らさなくてよかった……なんて考えていた。

一段落ついて、ホッとしながら、あらためてベランダの手すりにもたれながらそとをながめた。

……雨が糸を引いていた……

しんじられなくて、凝視した。
納豆だった。
呆然と立ち尽くしているあいだに、納豆の通り雨は通り過ぎていった。道端や家の屋根や樋に金の納豆の粒を残したまま。

これからどうなるのだろう。あまりにも展開が読めなさすぎる。まるでギンナンの季節のいちょう並木のように、異臭が立ち上ってきたので、思わず鼻をつまんだ。
とりあえず、ほうきとちりとりで玄関先の納豆は掃いてしまおうとおもったものの、それは、家族全員分の納豆をどんぶり鉢にぶちこんで、全員分の箸をまとめて握ってぐるぐるかき混ぜるようなことになるのではないかとおもわれ、ものすごくもつれて、ものすごく糸を引きそうで、そのことばかりが心配だった。

 お題が《通り雨》って……なにもでてこねー……と苦しみながら、ただただ納豆を混ぜるだけのゲームをしていたら(バカバカしくてクセになる、よいゲームです)、ふと、「これが糸を引きながら降ってきたらイヤだなぁ……」と。
 このときの経験のおかげで、

 お題が配信されたらまずチェック
  → ネタはお題に惹かれてむこうからやってくる!

 という教訓をえました。
 以後、定時に必ずスマホをひらいて、お題を確認するようになりました。

 そういえば以前にも、時計の秒針が踊りだす話を書いてましたっけ……不条理な世界に投入されたひとがどんな行動をとるのか、っていうのは、どうも、私の好きなテーマのひとつのようです。


 さて。いきなり不条理な世界に投入される、って結局、なんらかの衝撃的な出来事に遭遇して人生が危機に陥るのと似てるんじゃないかな、と思うのです。
 自分がうつになった瞬間も(ある意味、診断を受けた瞬間にうつになったといえる)、なんとかがんばって登校してた子どもが不登校確定した瞬間も(あーむりかー、と親子であきらめがついた瞬間が確定の瞬間)、あるいは、ガンを宣告されたり、火事で焼け出されたり、親が認知症になったり、会社が倒産して失業したり、ミクロな視点では、失恋し、急激にテストの点が下落し、鍋のカレーが派手に焦げつき、家に帰ってきて箱をあけたらバースデーケーキのデコレーションが台無しになってたり……これ全部、生きながら不条理な世界に投入されるのとおんなじ、ってみなしちゃっていいんじゃないでしょうか。
 さらに、グローバルに視野をひろげると、全地球を新型コロナが覆いつくし、ウクライナが戦火に蹂躙されてまだ解決できてないようなきょう日、全世界の全人民が、不条理な SF の世界をサバイバルしている主人公になってるようなもんじゃないでしょうか。

 そんなとき、人間はどうするのか。
 ④ の文章の主人公のボクは、

うかつな判断をしたら、窓から非日常が大量になだれこんできそうな気がして。昨日の続きの今日、という「ふつう」を死守すべく、ボクは、クレセント錠に手をかけて、窓に貼りついたまま、動けなくなってしまった。

 と、「ふつう」を死守をしたまま窓に貼りついてしまいましたが、まずは、彼のように、「昨日の続きの今日、という「ふつう」を死守」すべく、異常な現状を拒否するんじゃないでしょうか。なんのためにか、って、いったんこころをまもるためです。
 今日を拒否したまま、まるで昨日が異常なく続いているかのようにふるまい、もがき、どうやってもうまくいかないのが骨身に染みて、そのうちしだいに現状を受容できるようになるのだと思います。この期間が長引いたり、脱出がうまくいかなかったりすると、メンタルが疲弊して、本格的に病気になったり、あるいは、近年頻発する無差別殺傷事件の加害者のように、現実の世界を破壊する行動に出るのだとおもいます。

 ⑤ の文章中に書きましたが、

 これからどうなるのだろう。あまりにも展開が読めなさすぎる。

 っていうのは、実は、主人公のつぶやきというよりは、書き手の感想で、次になにをどう書きすすめたらいいのか、立米で考えたときの納豆の量があまりにもおおくて途方に暮れてしまったんですよね。マジで。この、途方に暮れる期間が長くなるのか、短くてすむのかは、異常事態に直面した個人が背負っているものに依存する一方で、社会からの支援の有無の影響は無視できないとおもいます。
 ⑤ の文章の主人公は、さいわいなことに、素早く立ち直ることができたようで、

とりあえず、ほうきとちりとりで玄関先の納豆は掃いてしまおうとおもったものの、それは、家族全員分の納豆をどんぶり鉢にぶちこんで、全員分の箸をまとめて握ってぐるぐるかき混ぜるようなことになるのではないかとおもわれ、ものすごくもつれて、ものすごく糸を引きそうで、そのことばかりが心配だった。

 というふうに、現実的なことに頭を悩ませながら、日常回復のための行動をとりはじめます。とりあえずは、現実的な対応を取りながら、異常な世界に異常ななりに適応した、といえるのだとおもいます。

 この、④ と ⑤ の文章を書きながら、コントコンビのラーメンズのコンセプト「非日常の中の日常」っていうのがずっと頭にありました。だけど、私にとっての「非日常の中の日常」は、ラーメンズのとはちょっとちがってるみたい。ラーメンズのコントが、「ありえないシチュエーションを日常として生きているふつーじゃないひとたちの日常を垣間見る」だとしたら、私が書いてるのは、「ありえないシチュエーションに遭遇したふつーのひとたちが、昨日までの日常を足がかりとして生きる道を切り開いていく」こと。それこそ、そこに散らばっている納豆を、とりあえず、ほうきとちりとりでどうにかしておこう、みたいな感じで。
 おそらく、私のこころのどこかに、今まさに、生きながら不条理な世界に投入されたとしか言いようのない現実を生きている誰かを応援したい、という気持ちがあるのだとおもいます。生きろ、脱出しろ、それはヒーローでなくてもできる、ヒントは「いつも」の中にある、と不条理な物語を通じて伝えたいのだろうと思います。
 これは、以前投稿した記事にも書いた、

 なりたくて英雄になったんじゃない、ならなきゃならなかったから英雄になっただけなんだ

 っていのと、一脈通じるものが、なきにしもあらずです。


 さいごに。いきおいで納豆の雨を降らせたものの、平面という平面を埋め尽くす納豆の群れにマジでどう話をすすめたらいいか、わかんなかったです。頭から納豆をかぶってさまようひとの群れとか、納豆を踏んでスリップする自動車の玉突き事故とか、ゴミ集積場にうず高く積まれる納豆入りゴミ袋とか、空気中をそこはかとなく漂う納豆の糸とか、地獄絵図しか出てきませんでした。いや、私、大豆アレルギーなんですけど、いたるところを糸に漂われたら、ホンマにサバイバルできる気がしない。ヤバい。だから、真剣に考えれば考えるほど、とにかくまずは、玄関先の納豆を掃いて片すところから始めるしかなかったんですよ。
 だけど、そんなのときに、たとえば、火事が発生したらどうしたらいいんですかね……
 天からの納豆に翻弄される市長の1週間、誰か書いてみませんか。行政の長って、普段から仕事が見えにくいけど、このシチュエーションならめっちゃカッコよく活躍できそう!

 

・◇・◇・◇・

 

 5000文字を、ちょうどいい具合にこしました。
 今回はここまで。

 こんな感じで、われながら気に入った文章と、自己分析的なものを、つれづれに書いています。

 

 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。