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文章と自分のリハビリ【Long版 ②】神に抗う

 只今、こころの充電中につき。
 一日一題、お題にそってものを書いて投稿するサイトに出したものより。


・◇・◇・◇・


 以下は、前回予告しました、《命が燃え尽きるまで》をお題に書いた文章です。
(もともとのサイトでは、段落の頭を下げずに書くのをマイルールにしてますが、note ではしっくりこなかったので、1マス下げてます)

 

・◇・◇・◇・


 もはや、これまでのようだった。如何に祈りを尽くしても、火の山の憤怒はおさまらなかった。
「わたくしは、命が燃え尽きるまで、この祈祷所で、御山にむかって祈り続けます。されば、オサよ。みなを御山の怒りのとどかぬ静かな場所へ……」
 しかし、オサは。首をたてにふらなかった。口もとに、ただ、やさしい笑みをうかべていた。
「御山がここまで怒ったことはない、とジイ様がいうておった。これは、祈りでどうこうできるような段階をとうからこえている、ということであろう……天の御鉾を、お出しなさい」
 オサの物言いは穏やかであったが、私は怯んだ。顔面が蒼白になっていくのが、自分でもはっきり感じられた。
「ワシが、御山神をお諫め申し上げる」
 オサは、そう告げた。
「おやめなさい! どうか、それだけは……」
 オサの諫止。それは、巫女が代々口伝えに伝えてきていて、私も知ってはいたが、よもや、私の代にそれが実行されることになろうとは。おもわず私は、オサの袖にすがりついた。
「あなたはみなにとってなくてはならぬ存在。御山神に命を捧げ、怒りをなだめるのはこの私の役目。だから……」
「ただいまからは……このワシが、この場所で、祈りまする」
 オサが、立ち上がった。
「場所を代わりたまえ。ぐずぐずするな。みなの命がかかっている。御鉾を」
 それでも私は、肯うことはできなかった。無言で、抵抗した。
「ワシとて、不本意ではある……しかし、これも時のめぐり合わせ。やむを得ぬ」
 オサは首からしるしの勾玉をはずし、私の首にかけた。
「ただいまより、なにもかも。おんみに、おまかせする。疾く」
 オサの勾玉を巫女に託し、巫女の鉾をオサに委ねる。この行為こそが、なだめてもなだめても怒りを爆発させる神に対し、諫める、という強い手立てを取るぞとの、人間の長からの宣告であった。
 かくなるうえは。さからうことはできなかった。あまりのことに涙も出なかった。私は天の御鉾をオサにさしだし、祈祷所を下り、口伝にしたがいみなを東雲山に導いた。

 火の山が鎮まるまで、さらに十日かかった。わかりきってはいたことだが、オサは帰ってはこなかった。それだけではない。あろうことか、ムラも。あとかたもなかった。
 私たちは新天地を求めて南に旅立つことにした。ジイ様を仮のオサとし、しるしの勾玉はいましばらく巫女の私があずかることとなった。
 勾玉を掲げ、朝に夕に、オサの御霊に祈りを捧げるのが、当面の私の役割となった。そして。オサの最後の勇姿を末代まで語り伝えることも。

(終)


・◇・◇・◇・


 《命が燃え尽きるまで》というお題だったので、文字どおり「燃えてるもの」からの連想。以前、テレビで見たうろ覚えのネタになるのですが、「火砕流の跡からその地域の首長とおぼしき人骨が発見され、しかも、神様に戦いを挑んだ結果、火砕流にのみこまれたのではないか、と想像されている」というようなのがあって、非常に印象的だったんですね。
 地域を噴火の脅威からまもるために人間が神様に戦いを挑む、ってすごくないですか。そんなことを、実際に、弥生時代や古墳時代のひとたちはやってたかもしれない、って。そんなところからストーリーをふくらませてみました。

 というわけで、時と場は、弥生時代か古墳時代の日本らしきところ、としました。
 神様と人間との関係は、

 ・日常的には「今年も豊作でお願いします」と巫女が神様のご機嫌うかがいをする
 ・さすがにこれは受忍し難い、というレベルの自然災害が起きたときには、地域の人間を代表してオサが神様に抗議をする

 という設定にしてみました。神様に抗議しても OK だなんて、なんだかジョン・ロックの革命権っぽくて、カッコいいですよね。わくわく。
 ただし、この抗議は、オサが神様 = 自然災害のまっただ中に飛び込んでいくことになるので、オサの生命を代償として要求するものとなります。

 それともうひとつ。
 出土した人骨の主は、べつになりたくて犠牲になったわけではない、と思われるのですね。なんでよりにもよってオレの代で過激に噴火するだよ……と内心ぼやきたくもなったんじゃないかなぁ、って。だけど、状況が、否応なく、ふつーのひとに英雄になることを要求するときがある
 たとえば、うちの県の県庁の健康保健なんちゃら関係の部長さん。ふつーに入庁して、ふつーに出世して、ふつーに部長になったいまになって、まさか、ご自身が毎日のようにテレビからお茶の間に対して新型コロナについて語りかける役割をになう日がくるとは、予想だにしてなかったこととおもいます。しかも、いまだにテレビ映えに無頓着ななりをしているところに、いっそう「ふつーのひとが、ふつうじゃない状況のなかで頑張っている」と共感がそそられるのです。
 べつにそんなに目立つことでなくても、自分もしくは家族が、ひょんなことで大病を患ったり障害をせおったり、さらに卑近に、電車でお年寄りやヘルプマークをつけたひとにちょっとした配慮をするのだって、状況がふつーのひとに英雄になることを求める瞬間だったりするとおもっています。
 ましてや災害時は……東日本大震災は、被災した津々浦々で、無数のひとびとの人生に対して、英雄になるしなかった状況をもたらせたのではないか、などという想像もしたりしました。

 うん。私のなかでは、なりたくて英雄になったんじゃない、ならなきゃならなかったから英雄になっただけなんだ、というテーマは、けっこう重要だったりします。

 

・◇・◇・◇・

 

 以上のようなことを、バババッ、とアタマのなかで決めて、後は勢いで文章を書きます。お題のことばは、やはり、できるだけさっさと文中におりこんでしまったほうが、その後書きすすめるうえでのストレスが減ります。
 書きはじめたら、あとはひたすら、つじつま合わせをして、上手いこと終わらせる、しか考えていません。つまり、全部、出たとこ勝負。抜け落ちていることに気がついたら、それもつじつまを合わせつつ進行していきます。

 

 今回は半ばまできたあたりで、

 会話文、この敬語の使い方でよかったっけ?

 という疑問がふと。
 うーん、とあたまをひねるうちに、

 そもそも、巫女とオサの立場の上下を決めてなかった!

 ということに気がつきました。
 ここで、なんとなく、

 統率行為が上、祭祀行為はその支配下

 というバイアスがあったことに気がつきます。
 この文章では、山場を、

 オサは首からしるしの勾玉をはずし、私の首にかけた。
「ただいまより、なにもかも。おんみに、おまかせする。疾く」
 オサの勾玉を巫女に託し、巫女の鉾をオサに委ねる。

 という行為にもってきていますが、このシーンは、統率者の象徴である勾玉を巫女に託す、すなわち、爾後のムラ人の統率権は巫女に委ねられる、という意味をウラでは設定しています。
 ところで、もし、祭祀行為の地位が統率行為より下なら、勾玉は巫女ではなくオサのナンバー2にわたるのが筋だと推測されます。
 だとしたら、このシーンにリアリティをもたせるためには、祭祀行為と統率行為の地位が拮抗していたほうがいい、ということになります。つまり、巫女もオサも対等ということですね。もしかしたら、神様のことばを直接聞くことのできる巫女のほうが若干上、でもいいくらいかもしれません。

 

 とはいえ、いまさら巫女のセリフを上から目線のものに書き改めるのも、みょうに違和感があり、またもや、うーん、となっていたのですが、そこで2つ目のバイアスがかかっていたことに気がつきました

 女性は男性に対し、へりくだったていねいなことばを使うもの

 というヤツ。
 うわっ! もろにジェンダーバイアスかかってるやん! オレとしたことがッ!Σ(゚∀゚ノ)ノ

 現状の日本では、トップというか仕切る地位は、やはり圧倒的に男性が占めています。だから、ついその延長で、古代の日本に対しても、仕切るのは男性で、女性は仕切られる側だったのだろう、という目で見てしまいます。ですが、案外そうではなかった、というのが最新の研究成果のようです。
 ということは、この文章で想定している時代において、敬語の使い分けについて、性別はほとんど影響をあたえなかったであろう、と予想されます……あ、でも、女性は明るくやさしく、男性はおだやかに力強くしゃべったほうがモテる、なんて傾向はあったかもしれないけど……それはおいといて。だとしたら、この巫女とオサの対話も、アイヌのチャランケのようなイメージで(もちろん、チャランケのリアルな実像は知らないけど)、互いに対等にことばをたたかわせあいながら説得し、納得を生みだすようなものにしておかないと、オサから巫女に勾玉を託す行為 = 男性から女性に統率権を移譲する行為のリアリティが損なわれることになりかねません。

 だ・け・ど!

 幼稚園からの、男子が先で女子が後の名簿順の影響って、めっちゃ根深いですね。無意識に行動するレベルにまで染みついた常識を切り替えて別の体系でキャラにことばをしゃべらせる、ってのは、今回は無理でした。
 とくに今回の文章は、視点人物が女性である巫女で、かつ、この巫女の一人称「私」の語りで物語が進行していくわけでして。「女性の私が語る」という設定にひきずられて、巫女と書き手である自分との密着度合いが高くなってしまい、別の個性として切り離しながら書くことができませんでした。ていうか、そこまでの余裕がないから「私」という一人称の語りになってはいるのですが。
 一般的に一人称で書くのは初心者むけ、といわれますが、ぜんぜんウソやん! きちんとした一人称にしようとしたら、かえってめっちゃ大変になるやん!……っていうのが、今回の発見 & 感想です。

 ところで、どうせファンタジーでものを書くなら、現代のジェンダー感をとっぱらった行動やことば使いをさせる、っていうのもありだなー、なんて思いました。


・◇・◇・◇・


 あと、巫女の人物像がぺらっぺらなのも反省点なんだけど、さすがに疲れた (;´д`) ので、パスします。
 もっとちゃんとした、統率権を移譲されても耐えられるくらいの、自立した、力強い人物像にしておくべきでしたよね……。


 でわ。
 さいごに、文体診断ロゴーン

一致指数 ベスト3
 
 ① 小林多喜二 75.6
  ② 松たか子 75.3
  ③ 阿刀田高 73.7

一致指数 ワースト3
  ① 岡倉天心 38.7
  
② 田中角栄 47.4
  
③ 佐藤栄作 48.2

 まさかの「蟹工船」に似ているという診断でした。
 診断のために参照されている、松たか子さんの文章と、阿刀田高さんの文章も目を通してみました。どちらも、私の書いた文章に通じる、テンションが斜め下に下がっていくような抑制を感じました。

 ……うーん、ロゴーンめ、なかなかやるな。

 

 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。