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イスラエルの「LGBTフレンドリー」政策の嘘④

【イスラエルの「LGBTフレンドリー」政策とピンクウォッシングについて考える記事を数回にわたって連載しています。今回が最終回です。①はこちら↓】

 『イスラエルの「LGBTフレンドリー」政策の嘘』最終回となる第4回は、ピンクウォッシングと呼ばれる現象が、人権推進国というブランディングによってイスラエルのパレスチナに対する軍事占領を覆い隠すという作用の他に、より直接的また現実的に、パレスチナの女性を含む性的少数者の抑圧に影響していることを指摘したい。

 なお、本記事の目的はイスラエル国内の性的少数者の権利関連の取り組みを全て否定することではない。イスラエルの性的少数者たちは長年にわたる裁判と運動によって権利を勝ち取ってきた。現在のテルアビブにおいて同性のカップルが異性のカップルと同じように振る舞うことに殆ど社会的な障害がないということも事実であり、その背後には当事者らによる努力と闘争の歴史があったことを認識しなくてはならない。一方で、だからこそイスラエルの性的少数者が権利獲得のために争ってきた相手であるところの国家が、それをナショナル・ブランディングに利用することには大きな疑問が生じる

 また、繰り返し本シリーズで取り上げている[保井,2018]はこのようにイスラエルが性的少数者の権利が保障された「リベラルな」国として単純化されることで「本来イスラエル国内においても深刻であるはずのユダヤ教内部の同性愛嫌悪、トランスジェンダー嫌悪がより不可視化され、とりわけ解決済みの問題であるか、例外的な事象として棄却されてしまう」(2018,p.57)ことにも警鐘を鳴らしている。イスラエル内でも都市や地域によって性的少数者をめぐる言説の内容は異なる。例えばエルサレムでは例年メア・シャリーム で同性愛を非難する抗議活動が行われるなどしている他、2015年にユダヤ教徒のイスラエル人男性によってゲイ・プライド・パレードの参加者6人が刃物で刺される事件も起きている 。

 そして重要なのは国家としてイスラエルが宣伝するところの「LGBTQフレンドリー」がもたらす権利の対象は極めて限定的であるということである。本シリーズの②で述べたようにこの権利には新自由主義が絡んでいるが、このように商業化された人権は商品であるため、金銭的にそれを購入できる者のみに付与される。

 それだけではない。イスラエル政府やホモナショナリズムに動員された者たちは、西岸地区やガザにおける女性や性的少数者の権利が侵害されていることを引き合いに出しながら自国の先進性を説くことで占領を正当化あるいは不可視化するが、この国家が対外的に宣伝する「LGBTQフレンドリー」は決して西岸地区やガザ地区のパレスチナ人の性的少数者は対象ではない。イスラエルの制度は、例え同性愛者やトランスジェンダーのパレスチナ人が西岸地区やガザ地区で不自由や危機を感じイスラエル領に亡命したとしても、彼らを保護し迎え入れるものではないからである 。それどころか、性的な自由を求めてイスラエル領に滞在する/しようとしたパレスチナ人の性的少数者を、協力しなければ家族やコミュニティにアウティング すると脅迫することで、諜報活動を強要した例も報道されている

 イスラエル当局の占領継続の手法としては他にも、女性の逮捕者に対して取調べでセクシャルハラスメントを使って脅迫したことなどが活動家アヘド・タミミの弁護士から報告されている。

 対外的には「LGBTQフレンドリー」であるイスラエル国家が、パレスチナ人の性的少数者に対してはむしろ、そのジェンダー規範を利用することで身の安全を脅かしていることは、ピンクウォッシングをめぐる議論において十分に検討されるべきである。 

 さらにこうしたイスラエルによる「LGBTQフレンドリー」のイメージ広報が、パレスチナ内部のジェンダー規範に影響していることも指摘されている。2007年に設立された、パレスチナにおけるジェンダー平等を目指す当事者団体「パレスチナの社会における性とジェンダーの多様性のためのアル-カウス」(القوس للتعددية الجنسية والجندرية في المجتمع الفلسطيني、アル-カウスはアラビア語で「虹」を意味する、以下アル-カウス)は公式ホームページにイスラエルのピンクウォッシングに抗議する声明を出しているが、その中には以下のような文章がある。

ピンクウォッシングは性とジェンダーの多様性がパレスチナ社会において不自然で異質なものだとする人種主義的な考えを推進する。この考えがパレスチナのコミュニティにおいて内面化されるとき、クィアあるいはジェンダーが不確定のパレスチナ人は疎外され、ある社会集団として孤立することになる。このような複合的な社会のプレッシャーはクィアのパレスチナ人に対して彼らは自分のアイデンティティや経験の一部を諦めなくてはならないと告げる。つまり、我々はクィアにはなれるがパレスチナ人としては受け入れられない、もしくはパレスチナ人にはなれるがクィアとしては受け入れられない、と告げるのである。この内面化されたピンクウォッシングの破壊的な影響は、パレスチナのコミュニティ間を反響し、クィアのパレスチナ人をイスラエルの協力者や西洋化されたネイティブ・インフォーマントと結びつける神話を強化し、我々の政治的想像を狭める失望の感情を伝播させる。 [筆者訳]

 この声明はピンクウォッシングが「パレスチナ社会とクィアの不親和性の神話」を強化するとき、それが当事者に失望の感情をもたらすことは勿論、パレスチナのコミュニティがこの神話を内面化し、より反クィア的な性格を強めている可能性があるという重要な指摘している。つまりピンクウォッシングによって描き出された「親クィアなイスラエルと反クィアなパレスチナ」という二項対立の様相がパレスチナ側で無批判に受容されることで、パレスチナの社会におけるジェンダー規範にそぐわない者に対する憎悪が強化されるという構造である。

 実際、パレスチナ社会内に自らの性規範に沿わない人間を「イスラエル側」として攻撃する事例が存在する。2020年12月に、モーセの遺体が埋葬されたと信じられている遺跡ナビー・ムーサーにおいて音楽パーティーを開いたDJサマ・アブドゥルハーディーが、地元の若者らに攻撃されたのち逮捕された 。彼女は国際的に有名なDJで、逮捕には他のDJやアーティストがSNS上で抗議の声を上げているが、彼女を攻撃した若者たちを含み多くの人々が、神聖な土地で音楽やダンスを含むパーティーを開催したアブドウルハーディーと参加者を非難している。また、真相は明らかになっていないが、パーティーで参加者によるアルコールやドラッグの摂取があったことを主張する者も多い 。その中で興味深いのは、彼女を支持するインスタグラム上の投稿に、それを非難するアカウントが、アブドゥルハーディーがイスラエル人だと仄めかすようなコメントを残していることである。彼女はアンマン生まれラーマッラー育ちのパレスチナ人女性であり、DJ活動を始めたのもラーマッラーにおいてであるという。その後もロンドンやカイロ、パリに在住経験があるが、イスラエル人として活動した経歴はない。にも関わらず彼女を「イスラエル人」とする言説には言外に、このようなパレスチナ人らしくない行動はイスラエル人のものに違いない、というメッセージが読み取れる。それが、髪を覆わずに肌を露出してパーティーを主催する彼女に向けられているとき、また、その観客の中に各国のレインボーパレードなどでよく見られる革のボンテージのトップスを着用した男性や、パレスチナの保守的な地域ではあまり見られないタンクトップの女性たちが存在する、ラーマッラーで撮影されたBoiler Room のセッションのビデオ が彼女を一躍有名にしたものであるとき、彼女の態度をイスラエルと結びつける言説は、「親クィアなイスラエルと反クィアなパレスチナ」の図式を描きながら彼女を「イスラエル人」として他者化している可能性が浮上する。

 イスラエルのホモナショナリズムが「他の後進的な中東諸国とは違って」という含みをもって自国の「LGBTQフレンドリー」を宣伝するように、ナショナリズムには自文化と、そこに政治的に対立する他文化を差異化する作用がある。だとすれば、イスラエルの「LGBTQフレンドリー」なナショナル・ブランディングを内面化したパレスチナのナショナリズムが、そうではないもの、つまり人々がイスラーム的価値観や伝統的価値観と名付けるところの反クィア的な性やジェンダーの規範を美化し自文化だとすることは、あり得ることである。そしてこのとき、イスラエルのピンクウォッシングはパレスチナのクィアやパレスチナ文化を再度抑圧することに成功するのである

参考文献

保井啓志「『中東で最もゲイ・フレンドリーな街』イスラエルの性的少数者に関する広報宣伝の言説分析」 『日本中東学会年報』(34−2),p.35-70,

2018.AFP/Smith, Mike「ユダヤ教超正統派の男、ゲイパレード襲撃 6人重軽傷 エルサレム」(2015年7月31日付). https://www.afpbb.com/articles/-/3056026

alQaws “Beyond Propaganda: Pinkwashing as Colonial Violence” (2020年10月18日付). http://www.alqaws.org/articles/Beyond-Propaganda-Pinkwashing-as-Colonial-Violence?category_id=0


O'Connor, Nigel “Gay Palestinians Are Being Blackmailed Into Working As Informants”, VICE. (2013年2月19日付). https://www.vice.com/en/article/av8b5j/gay-palestinians-are-being-blackmailed-into-working-as-informants


Saifi, Zeena “Top Palestinian DJ detained as party at Muslim holy site sparks angry scenes and scapegoating claims”, CNN. (2020年12月30日付). https://edition.cnn.com/2020/12/30/middleeast/palestinian-dj-sama-abdul-hadi-arrested-nabi-musa-intl/index.html

Y.S.

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