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2022年末日記 1106-1112

1106

70年代初頭の日本は自分の小学生の頃と地続きと思えるが、60年代の話題になると急に間接的で実感が乏しくなる。海外の話題で「ビートルズの60年代」や「60年代のSF」ならイメージできるのに。


1107

01-05冊のセットと「発言集成」を同時に買われた方がいて、一度にそれだけ(6冊も)というのは新記録である。


DVDで「マイ・バック・ページ」を観ていて、ルックス的に美化しすぎではないかと感じた。回想記や小説はどこかしら美化されるものだが、ルックス的には「ご想像にお任せします」とばかりに、はっきりとは言及されない。映画はそのへんが露骨に美化されすぎである。その代わりに、美術や小道具、フィルム映像まで駆使して一生懸命、小汚い雰囲気を出そうとしている。


「マイ・バック・ページ」では何の罪もない人が活動家の「活動」の犠牲になる。一方で現実の2022年の今、ニュースによると「民間軍事会社『ワグネル』がウクライナ侵攻で苦戦するロシア軍をてこ入れするために各地の刑務所で募集した戦闘員のうち、これまでに500人以上が死亡したとみられると伝えた。」という。つまり、罪のある人だから「鉄砲玉だか盾だかになれや!」というヤクザの組長みたいな恫喝で命を捨てる羽目になってしまうのだ。戦争というより人間を募集して捨てているようなもので、拷問よりも死刑よりも、手段を択ばない革命よりもひどい。


1108

あと一週間くらいかけてブックガイドを書くつもりでいる。ちょっと図書館に行くとサブカルチャーや政治以外の話題にまで目が行ってしまい「昭和史」「昭和の暮らし」「昭和の日記」などに手が出そうになる。きりがないので止めたいのだが、DVDで「ANPO」を観てますます刺激された。


1109

「自分が学生運動のたぐいを知ったのは、小3の時に読んだサンコミックス版の「フータくん」の表紙の絵だったのではないか?」と急に思い出す。子供の目から見てもヘルメットに手ぬぐい、ゲバ棒というスタイルは謎めいており「正義なのか悪なのか判断できない過去の何か」という印象で、親にも質問できないし、漫画の中でも触れられないという存在なのであった。


坪内祐三の「昭和の子供だ君たちも」は世代論なので、FGと周辺人物にも当てはまる視点が多く出てくる。数か月前に、吉田仁さんから伺った話とそっくりな話が出てきたのには驚いた。昭和21年生まれの前後に誰が生まれ、どのような特徴があるかなども実に興味深く、読みながらウームと唸る。


1110

「角材とヘルメット」というスタイルのルーツは「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」 (講談社現代新書)で説明されていた。何が原因となって、何が起きて、何が失敗だったのかが整理されており、最初から最後まで明解でよい。


講演録「気分は1976年」の直し原稿が戻ってきたので、もう少しで「ベレー帽とカメラと引用」06号は完成。字の大きさの調整やレイアウトなど、あれこれ整える。


1111

「~からしか摂取できない栄養素がある」というネットスラング的な言い回しがあって、ある種の真実を突いている。自分の場合は大江健三郎の小説やエッセーに特有の栄養素を感じる。体の中心や奥にズシンと響く感覚というか、心と体にしみる成分のようなもの。それを「文学」と呼ぶ人もいるが、自分は何となく使いたくない。


1112

知らないお婆さんに道を尋ねられ(略)、どうも話の内容から認知症らしいと感じたので交番に預けて帰宅するまで、結構あれこれとあった。一時間もしないうちに警察署から電話があり、無事に自宅が分かったと。まだらの認知症の人と接してみると、別のあの人もちょっとそういう点があるような……、と思い当たる。


文学フリマで販売する「試し読み版」の予約受付は、14日までで終了です。


(この日記は週に一回ほどのペースで更新しています)

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