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【宿題帳(自習用)】「国語」をやり直してみる

大人のおさらい4科目目は国語。

戦後の学校教育は、子供の人格形成を使命の一つとしてきました。

現在、その役割を担っているのが国語です。

以前、ゆとり教育は、諸悪の根源として袋だたきされていましたね。

それが頂点に達したのは、OECD(経済協力開発機構)が行った読解力調査 (PISA)で、日本が下位に低迷した時ではなかったでしょうか。(2004年12月)

PISAとはOECDが世界41カ国の15歳の子供たちに実施した国際的な学習到達度調査の略称。

このPISAの読解力が求めているのは、批評精神(他人を批評し、他人とは違った意見を言う)のことだということを、ずいぶん後になって知りました。

たとえば、こんな問題です。

「贈り物」という奇妙な物語がまず提示されます。

この最後の一文は「ポーチの上には、かじられたハムが白い骨になって残っていただけだった」と結ばれています。

これに関して、設問は、こうです。

【設問】
「贈り物」の最後の文が、このような文で終わるのは適切だと思いますか。
最後の文が物語の内容とどのように関連しているかを示して、あなたの答えを説明しなさい。

この設問の意図としては、物語を批評的に読めという趣旨です。

ここで、批評の定義について理解するために、まずは言葉の意味を確認しておきます。

「批評」
物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。
(小学館『デジタル大辞泉』より)

ここで非常に重要になるのが、自分の評価を述べる際に根拠をもって論じるという点です。

私たちは日頃から無意識のうちに、身のまわりの物事に対して何かを感じ取っています。

それは、好き・嫌いであったり、快・不快であったり、あるいは共感できる・できないや肯定・否定であったりします。

好きでも嫌いでもなく、肯定も否定も全くしないという状態のほうが、実は、特殊な心理状態とも言えるのです。

しかし、好き・嫌いや肯定・否定といった判断をしているだけでは批評とは言えません。

批評するには、なぜそう言えるのか、根拠を明確に示さなくてはならないからです。

これは、批評を考える際に間違えやすいところなのですが、この様に批評が求められると、日本人の15歳前後は、お手上げ状態になります。

日本の国語教育では、与えられた文章をありがたいものとして、徹底的に受け身の立場に立って読解することだけが行われてきました。

そう、能動的な読解は求められていません。

どういうことかと言うと、例えば、私たちが教えられてきた道徳や教訓を読み取ることが求められてきたのが道徳教育だったと推測できそうです。

つまり、世界に通用する日本人を育てるためには、国語という教科を根本的に変えなければならなかった。

それから、時は経ち現代における国語教育には、批評という高度な精神活動を導入すべきだと思われます。

そのため、例えば、古い新書本ですが石原千秋氏が著書「国語教科書の思想」で提案しているように国語を単一の科目ではなく、2つの科目に再編してみる提案は再考しても良いのではないかと考えられます。

「国語教科書の思想」(ちくま新書)石原千秋(著)

一つは、文章や図や表から、できる限りニュートラルな情報だけを読み取り、それをできる限りニュートラルに記述する能力を育て、さらにその「情報」の意味について考え、そのことに関して意見表明できる能力を育てる「リテラシー(※)」という科目を立ち上げること。

※印:
リテラシー(Literacy)とは、文字や文章を読む、内容を理解して文章を書く能力のこと。
膨大な情報から必要な情報を引き出し、活用するという意味も含みます。
現在の使われ方としては「ある分野に関する知識や能力を活用する力」を指すことがほとんどです。
ビジネスの場では「情報を適切に理解、解釈して活用すること」というニュアンスで使われることが大半となっています。

たとえば説明文を書く力。

きちんとした説明文を書くことの方が感想文を書くことよりもはるかに難しい。

時系列に沿って書けばいい場合でも、何を書いて何を書かないかという判断が大切になってきます。

書きたいことを全部書こうとすると、ごちゃごちゃになってしまう。

それ以外の場合でも、どういう基準で書く順序を決めるのかに迷うことが多い。

並べる基準のレベルをまちがえると、錯綜した文章になってしまうからです。

もう一つは、文学的文章をできる限り批評的に読み、自分の読みをきちんと記述できるような能力を育てる文学という科目を立ち上げること。

現代では、文学は個人の好みでさまざまに読んでよいという共通認識が成り立っています。

文学は、誰も傷つけることなく自由に自分の意見を言うことのできる、数少ないジャンルではあるものの、その内容が、世論として道徳的かどうかで良書や悪書にされるのは如何なものかと思います。

世の中の変化は激しいのであるから、単に旧態依然とした時代の内容を、そのまま残していることは問題だというのは、最近、様々なところで感じることです。

つまり、学び直しの動機付けとか、はじめの一歩みたいなものとして、勉強は、自分をかえたり、伝統やルールから自由になったり、ゆとりをもって生きたりするための手段です。

そのためには、ムダや身体感覚や好奇心を大切にしながら、わからないことは(忘れずに)放っておけばいいと思える感覚を大切にする。

そのうちわかるときが来るからぐらいの余裕を持って(^^)

自分にとって最大の問題は、自身との葛藤と対話を大切にして、新しいことに対してやる気をみつけること。

そのために、国語力は、とても重要です。

自分の世界を広く深くするために読み、一人よがりにならないために書く。

読むときの秘訣は、客体のカタチをみつけて客観的に読解する。

書くときの秘訣は根拠、意義、反論、障害って要素に着目する。

今の時代にマッチした、それでいて不易を大切にした国語として学びの内容を考える時期に来ていると思います。



そこで、海外の事例を参考までに紹介しておきますね。

ブックスタートってご存知ですか?

それは1992年にイギリスのバーミンガムで始まった政策ですが、乳児検診の時に赤ちゃんに絵本をプレゼントするのです。

この政策のコンセプトが極めてシンプルで、「赤ちゃんの体を育てるためにミルクが必要なように、赤ちゃんの心を育てるためには絵本を読み聞かせること、話しかけることが必要だ」とのこと。

図書館に赤ちゃんを連れて行くのは、お母さんにとって、とてもも勇気のいることだと思います。

なぜなら、いつ泣き出すか、気を使いながら、ハラハラしどおしではないでしょうか。

赤ちゃんは、一日にいくつもの言葉を覚えて、やがては日本の未来を担ってもらわなければならない存在です。

図書館には、赤ちゃんのための絵本や読み聞かせのコーナーでもあります。

それなのに「図書館は静かでなくてはならない」という既成概念にとらわれて、赤ちゃんを連れて行きづらいなっていうのはおかしい話。

イギリスで、こういうことがあったそうです。

小学校に入ってきた子どもに教科書を渡すとそれが本であることを認識できない。

教科書をブーメランのように投げたり、かじったり、舐めたりする。

読むものであるという認識ができないのです。

こういう子どもを矯正するのは極めて困難なんだそうです。

そうならないためにはどうしたらいいかと考えて、行きついた政策が「ブックスタート」だった。

そうして数年後、驚くべきデータが報告されました。

ただ絵本をプレゼントするだけなのに、プレゼントされた子とされなかった子では、小学校に入る頃には明確に学力の差が表われるというのです。

それ以後、イギリスの90%以上の自治体に「ブックスタート」が広まり、現在も続いているといいます。

このことに関するブレア元首相の言葉が紹介されていたのですが、これもまた重い言葉でした。

「七歳の子どもの読書量が、二十年後のイギリスの存在価値を決める。」

日本も同じですね。

国語力を如何に高めるか。

日本語の記述、つまり、正しい日本語を使うことと国語力を身につけること。

「16歳の教科書 ドラゴン桜公式副読本 なぜ学び、なにを学ぶのか」の中に、大切なのは、正しく伝えることであり、「美しさ」でないとい書いてありました。

「ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書―なぜ学び、なにを学ぶのか」(講談社+α文庫)7人の特別講義プロジェクト/モーニング編集部(編著)

「ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書〈2〉「勉強」と「仕事」はどこでつながるのか」(講談社+α文庫)7人の特別講義プロジェクト/モーニング編集部(編著)

なるほど!

「美しい文章や感受性豊かな文章を書けることが、国語力の証のようになっている。ベタベタした、甘ったるい文章が「美文」と思われるようになっている。」

そう書き、情緒を切り捨てて、事実と論理だけで文章を組み立てることが国語力を高めるポイントだと述べられていました。

例えば、「旅で出会った景色は思わず立ち尽くすほどすばらしいものだった」では聞いている人が、具体的にどういう景色か想像も出来ないんですよね。

相手にちゃんと伝えるためには、過不足なく伝える義務が、書き手側にあると思うんです。

正確な記述が出来ているか、という視点で見直すと、表現及び正確な記述力の無い人間が例え話をすると余計に混乱する事が有るので止めた方が良いということです。

本書では、国語力トレーニング法として、絵を文章で表現することを勧めています。

これやってみると分かるけど、とっても難しい^^;

「ヴェトゥイユのモネの家の庭」モネ作(ワシントン ナショナルギャラリー)

「ある夏の光景。

坂道の両脇には大輪の花を咲かせる向日葵が色鮮やかに咲いている。

清涼とした青空との色彩的対比は心地良い夏の印象を与えている。

また、画面上部へ向かうほど開放的になる空間構成や光に溢れた色彩が美しい庭園風景を引き立たせている・・・」

なんて読むのは楽だけど、ここまで書くのも結構大変です^^;

しかし、確かに目の前の事象を正確に記述する文章を生み出さなければならないという点で、トレーニングになると思います。

というわけで、論理的に正確な記述を、まず徹底的に鍛え直す必要があると思っています。



このブックスタートは、市民レベルでも実行できそうな内容ですよね。

絵本を読んでる時間は、経つのが、ゆっくり、ゆっくり。

「あおい目のこねこ」(世界傑作童話シリーズ)エゴン・マチーセン(著, イラスト)せた ていじ(訳)

人も、ゆっくり、ゆっくり、育み育てていかないと、ね(^^)

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