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江戸を探る史跡巡り【両国・深川編】#1

こんにちは、こんばんは。バスコです。
本日も私のページに足を運んでいただきありがとうございます。

今日のトピックは、2022年11月に行った江戸史跡巡りのまとめです。
年をまたいでの更新となってしまいました…😭
ですが、史跡を巡ることの楽しさや意義をお伝えしたく、まとめさせていただきます。
今回は「両国・深川編」です!ぜひ最後までお楽しみ下さい!

それでは、本日のトピックに、ロックロン。

史跡巡りの楽しさ

まずはじめに、史跡巡りの楽しさについて語らせて下さい。
私は、近世、特に江戸時代の後期を研究の対象としている大学院生です。
歴史学の研究者は、古文書や歴史史料を読み解いくのが基本プロセスになります。
ですが、時には外に出て寺社仏閣を巡ることが重要な事になります。
なぜ大切なのか、以下2点をまとめてみました。

  1. 自分の足で当時を感じることができる

文字史料ばかりを見ていると、実際めちゃくちゃ大変ですし、頭が凝り固まってしまいます。正直言って疲れます(笑)。
だからこそ、対象地域に足を運んで感じることが大切なのです。
まさに、Don't think, Feel. というべきでしょうか。

2.現在と過去との繋がりを見ることができる
現在と過去の繋がりを見ることができるのは、史跡巡りのとっても面白いポイントであり、興奮する部分でもあります。
例えば、東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅
これは江戸時代当時、半蔵門という江戸城に入るための門があったことから名付けられています。

他にも、千代田区にある紀尾井町
紀尾井町がある場所には、江戸時代、紀伊藩・尾張藩・井伊家の屋敷があったことから名付けられました。
このように駅名や地名などにも、当時との繋がりを感じることができます。

また、昔の地図を見ながら現在の町を歩いてみるのも楽しいですよ。
東京都心は開発が進んでいますが、
町並み、地形なども当時と同じの部分もあったりするんですよ☺

両国・深川を巡る

みなさんは、東京の両国・深川をご存じでしょうか?
両国は、相撲のイメージが強いでしょう。
また深川は、場所的にイメージが付きにくいかもしれませんが、深川飯(浅蜊の炊き込みご飯)で名前を聞いたことがある方がいらっしゃるかもしれません。
なぜ両国が相撲の町として有名なのか?そこも少し深掘りしながらまとめていきたいと思います。

回向院

まずはじめにご紹介するのは、東京都墨田区にある回向院(えこういん)。
浄土宗のお寺で、(JR両国駅に対して)両国国技館とは逆側にあります。

ここは、1657年の明暦の大火による死者の供養のために建てられました。
その後、災害などで亡くなった多くの人が供養されるようになり、身寄りの無い遺体を回向院で管理・埋葬するようになりました。
「生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」の理念が重視されるようになりました。

ここには、歴史上名前の聞いたことのあるような方が供養されています。
例えば、国学者・町奉行与力であった加藤千蔭
ロシア・ラクスマンとともに日本に帰国した大黒屋光太夫
江戸ッ子の味方で大泥棒として知られる鼠小僧
その他、芸事に従事した方や水難事故に遭った人々が供養されています。

回向院 正面

では、ここで本題。
なぜ両国が相撲の聖地となったのでしょうか?

それは、勧進相撲盛り場が関連しています。
勧進相撲が回向院で初めて行われたのは、明和5年(1768)。
寛政年間~文政年間にいたるまで、回向院を中心に開催されてきました。
その後、天保期になると両国に相撲文化が根付くようになります。

この勧進相撲は、11代将軍・家斉、12代将軍・家慶の上覧があり、
江戸時代後期の将軍家にも親しまれていました。

もう一つのポイントである盛り場についても触れておきます。

盛り場 さかりば

人が多く寄り集まり盛っている場所。その性格を考えるには、「盛り」ということば自体をみればよい。栄えていること、強壮なとき、繁盛すること、にぎわい、獣類の発情期、流行することなどを象徴する。昔なら、たとえば、有名な寺社の境内や門前町、市が立つ広場、また見せ物や芸能が興行される広場や河原などが、盛り場であった。人が寄り集まる「場」には飲食業者がやってくる。付近に色町もでき、活気に満ちてにぎわう。そして、そこが風俗、流行、情報、歓楽の中心地となる。京都の四条河原は17世紀初めから有名な盛り場であったし、江戸では両国、上野広小路、浅草などが代表的なものであった。明治になると、東京の浅草公園六区の日本パノラマ、木馬館などを中心とした興行街が、玉乗り、剣舞(のちに剣劇に発展)、芝居、寄席などで一世を風靡(ふうび)したし、京都では新京極、大阪では千日前、道頓堀が繁盛した。
(後略)
[深作光貞]

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

盛り場というのは、先に提示した言葉の意味そのままなのですが、
人で賑わい、盛り上がっている場所のことを指します。
現代で言う繁華街、歓楽街というものでしょうか。

江戸時代当時の最大級の盛り場と言えば、そう「両国」。
当時、両国橋を挟んで両サイドが盛り場となっており、人がたくさん集まっていました。
そのため、人を集めるためのイベントが多く行われていました。
その一つが「相撲」であった、という訳です。
相撲以外にも、開帳(寺社の宝物を期間限定で公開すること)、富くじ(宝くじの起源)も行われていました。

<回向院 公式HP>

吉良邸跡

回向院から移動し、本所松坂町へ。
ここには、忠臣蔵/赤穂事件で有名な吉良上野介義央の自宅跡になります。
吉良上野介義央は、江戸前中期の幕臣で、江戸幕府の高家として、儀式や典礼を司りました。

吉良上野介義央は、赤穂事件で、城内松の廊下にて浅野内匠頭長矩に斬りつけられた人物としても有名で、歌舞伎や映画にもなっていますね。
一旦ここで赤穂事件について説明を加えておきます。

あこう‐ぎし 【赤穂義士】

元禄15年(1702)12月14日、江戸本所松坂町に吉良義央を襲って、主君浅野長矩の仇を討った旧赤穂藩士四七名のこと。翌年2月、切腹を命じられた。四十七士の名は、大石内蔵助・吉田忠左衛門・原惣右衛門・片岡源五右衛門・間瀬久太夫・小野寺十内・大石主税・礒貝十郎左衛門・堀部彌兵衛・近松勘六・富森助右衛門・潮田又之丞・堀部安兵衛・赤埴源蔵・奥田孫太夫・矢田五郎右衛門・大石瀬左衛門・早水藤左衛門・間喜兵衛・中村勘助・菅谷半之丞・不破数右衛門・千馬三郎兵衛・岡野金右衛門・木村岡右衛門・吉田沢右衛門・貝賀彌左衛門・大高源五・岡島八十右衛門・武林唯七・倉橋伝助・村松喜兵衛・杉野十平次・勝田新左衛門・前原伊助・間瀬孫九郎・小野寺幸右衛門・間十次郎・奥田貞右衛門・矢頭右衛門七・村松三太夫・神崎与五郎・茅野和助・横川勘平・間新六・三村次郎左衛門・寺坂吉右衛門(討ち入り口上書連署順。なお足軽の寺坂は吉良邸内に入らず姿を消す)である。赤穂浪士。四十七士。

[補注]討ち入りに参加した浪士を義士とする見方は当初より強かったが、幕府は最後までそれを仇討ちとは認めなかった。もともと浅野長矩の切腹と藩の取りつぶしは、長矩が場をわきまえず一方的に吉良に斬りかかったことが原因だったために、公的な仇討ちにはなりえないものであった。しかし、一般の人々は江戸城の事件では吉良は直接手を下さずに浅野家を破滅させたととらえ、討ち入りを主君への義として賞賛し、後に「忠臣蔵物」として多くの義士劇や、講談、浪曲の銘々伝などが生まれた。

精選版 日本国語大辞典

元々吉良上野介は、現在の東京駅の八重洲口付近に屋敷を与えられていました。
そこから隠居のために両国へ移住してきました。

1702年12月14日(15日未明)、雪の日の夜。
しんしんと雪が降る中、大石内蔵助率いる四十七士が討ち入りに入ります。
その場所がここ、松坂町であります。

ちなみに、切腹となった四十七士は泉岳寺(せんがくじ/港区高輪)に供養されています。

吉良邸跡

本当は2022年末に書きたかった!😭
年末と言ったら「赤穂浪士」「忠臣蔵」ってところありますよね!!
また、赤穂事件の歴史史料も読んでみるととても奥深い…
興味のある方は、是非読んで見ていただきたいです📙
(一般書として販売されています。)

<すみだ観光サイト すみだスポット公式HPより>

塩原橋

吉良邸跡から少し歩いて深川方面へ。続いては塩原橋です。
隅田川から竪川に架かる橋になります。

この橋の名前は、当時活躍した人物からつけられています。
その人物とは、塩原多助という人物です。
この人物についても、補足を入れておきます。

しおばら‐たすけ【塩原多助】
江戸後期の商人。上州の人。江戸に出て本所相生町に薪炭商を営んで成功した。これをモデルにした三遊亭円朝作の人情噺「塩原多助一代記」は有名。塩原屋太助。寛保3~文化13年(1743~1816)

精選版 日本国語大辞典
塩原橋 橋入り口

この塩原多助という人物は、薪などの燃料を売って商売を築き上げ、
大出世した人物。
そんな出世をした人が由来となっているこの橋。
渡るとなにか御利益が得られそうな気がしますね💭

史跡巡りの余談

今回巡っている両国・深川地域。
この地域は、元々は低地で、開発をされた場所です。
5代将軍・徳川綱吉が治世をとる時代。
江戸中心地の開発が落ち着き、次に開発に着手された場所の一部が両国・深川地域になります。

そのことを押さえながら両国・深川エリアを巡ってみると、坂が多かったり、海抜が低かったりすることがわかると思います。
そのようなことも踏まえて巡ってみてください!😊

おわりに

いかがでしたか。
今回は、江戸史跡巡り【両国・深川編】第1弾でした。
寺社仏閣、さまざまな史跡も、ただ巡るのではなく、このような知識を入れた状態で回ってみると少し違った視点で見ることができるのではないかと思います💭

第2弾以降も更新をしていき、シリーズ化していきますので、
お楽しみに🎶

今回もお付き合いいただきありがとうございました!
それでは、アディオス・アミーゴス🏃

📚「江戸史跡巡りシリーズ」マガジンはこちら!


/202303/

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