おはようございます、音楽家の河野一之です。
僕が知っている限りでは「死ぬ」ということはとても忌み嫌われて、もはやタブーぐらいの扱いを受けている事柄だと思うのですが、僕はこの「死」ということについて考えることに全く抵抗がありません。
願わくばお読みいただいてる皆様が「じゃあ死ねよ」という無思考に陥られないことを望みます。
以下、自分が考える様々な死についてアウトプットしてみようと思います。
致死率100%
僕たちは生まれた時から致死率100%の旅に出かけます。それは
人生です。
誰でも、どんな人でも、どれだけ運が良くても人間である限り100%死にます。
歴史上、誰もこの「死」からは免れた人はいません。死という概念の話をするつもりもありませんが、例外を出すならば未来の医療の発達に賭けて自身を冷凍保存された人などはもしかしたら「死」という状態とは違うかもしれませんが、基本的には人間誰しも必ず死にます。
しかも何が怖いってその「死の日」がいつくるか分からないことです。
平和に、いつも通り、これまで何年も当たり前のように過ごしてきた日々が突然終わることもありますし、運良く何十年と続く時もあります。誰しも7~80代、そして90,100歳と生きている人をテレビや街角で見ることが多いので「自分も当たり前のようにそのぐらいまで生きるだろう」と思えてしまいますが、実際にはかなりの数の人たちが毎年亡くなっている。
厚生労働省が出している2020年の人工能動統計月報がこちらです。
令和元年、日本の総人口は1億2616万7千人、亡くなられた方は138万1098人。超大雑把に計算すると100人に一人は毎年亡くなっていく。
だいたいオーケストラが100人前後、なのであの中の一人は毎年亡くなっている感じですし、さらに総人口は減り、死亡者数は増え続けているのでますますこの割合は増加します。
こうみると結構「死」というのが身近になってきます。
しかも、早かれ遅かれ「死」は誰にでもきます、致死率100%の人生を歩んでいる僕たちはどう死に向き合うべきでしょうか
絶対に死ぬんだから
致死率100%の人生、絶対に死ぬのであれば誰にも変わりができない自分の人生を謳歌し好きなように生きることがとても重要だと僕は思っています。
諸行無常ではありますが、それでも自分という個が何かしらを残したい、または死ぬ時に「あー、楽しかった」と無念の気持ちもなく死ぬのが僕の理想です。
生きていると時たま難しい選択を迫られる時があります。その時も自分が死ぬ時に後悔しない選択肢はどっちだろうと考えるようにしています。
死を前提に考えると、あまり悩みは起きず、選択も早くできます。
まとめ
この話題はとても自分自身書いていて面白いのでまた引き続き書いていきたいと思いますが、いつでも
もし明日死ぬとしたら、今この瞬間何をするか
それでいいのではないかと思うのです。
ぐちゃぐちゃ悩んでも、言っても、していても
どうせ死にます。100%死にます。絶対に逃げられません。しかも今この瞬間が人生で最も若い時です。
「いつか」、「そのうち」は多くの場合来ません。
なので僕は中3のある時から2度と後悔のない生き方をしようと思い生きています。今ここまでで後悔もたくさんありますが、でもできるだけ
今日はそんな内容でした。
Thank you
Kazz
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