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なんでここにいるんだろうという感覚があった

おはようございます。河野企画代表、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。

今日書く内容をお読みいただく前に、僕はスピリチュアルとかはあまり信じていないけど聞いたり読んだりするのは好きで、そういう知識を自分が信じる、考える理論と結びあわせて「だからこういう風に人は考えるんだ」「ものごとは変化するのか」と理解するのが好きである。

ある日妻が前世や過去世と呼ばれる昔の自分、今この世に生まれる前の自分について話を受ける機会を持ったそうだ。妻と夫である自分はツインソウルなんだってーとか、色々お話を聞いてきたようで楽しそうに話しているのが何だか良いなぁと話を聞いていた。(おそらく僕がビールについて話している時と同じ顔をしていたと思う。)

その中で妻が10代の頃、つまり学生の頃に「なんでここにいるんだろう」という感覚を持っていたという話をしたんだ!と聞いた時、自分の古い記憶が蘇った。

僕も小学生や中学生、さらには高校生だったあの日あの時の教室で、「なんでここにいるんだろう」とぼーっとすることがあったからだ。

「なんでここにいるんだろう」「なんのためにいるんだろう」、「僕はここで何をしているんだろう」まるで異世界転生ものの漫画で主人公が前世の記憶を呼び起こす前の瞬間のように僕自身もその時その瞬間その空間に自分がいることに違和感を感じることがあったのだ。

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自分の意思ではなかった?

いまだに覚えている記憶か、自分で捏造した記憶かは定かではないが幼稚園を卒園しそのまま新しい家に移り住んだ。

その後知らないうちにさも当たり前のように小学校に入学し新しい生活が始まった。そしてその後も自分の意思とは無関係に中学校に入学。(果たして行きたい、行きたくないという意思さえあったかも分からない)、さらに高校は行っとくもんだという親の教え通り高校にも進学した。

その後の音大に行く、留学する、音楽家になるという進路は全て自分の意思で行ったことは覚えているが高校生ぐらいまではよくわからないままあるがままに進んできた。

この自分の意思とは無関係にほぼ無意識状態(または覚えていない状態)で通学していたためにその場所での存在意義や興味のない授業を受ける意味を考えていたのかもしれない。

自己肯定感マックスで自分は特別だと育ったからか

我々夫婦に共通している項目で、初孫、長男長女という共通点があるゆえか家族、親戚一同から愛でられまくって育ってきた。僕の場合は両親の離婚により自体は急転したがそこまでは2人とも同じような環境にいた。

こういう育てられ方をすると自分は特別だと思えるようになる。(そもそも誰しも特別な誰かなのは当たり前の話なのだが。)そのため特別な自分が好き放題にさせてもらっていた幼稚園から義務教育の小中学校に上がった途端「〇〇しなさい。」「こうあるべきです。」などの社会的な固定概念の嵐に巻き込まれる。するとこの特別である自分が「なんのために」「なぜここに」いるのだろうかという意識になるのもわかる気がする。

何が真実か、何が嘘かなんて誰にも証明できない

だから面白いのだ。

2020年を迎えた世界の歴史上、死んだ後の世界を誰も証明できなかったのと同じように僕の前世が宇宙人だったとか、そもそも前世というものがあるのかなんて誰にも証明できない。だから面白い。

でもそれを面白がるか、非科学的だと捨て去るかは本人次第で、それによってHappyになれるのであれば信じればいいと思うし、そうでないなら聞かなかったことにしたらいい。

危険なのは「そんなのあるわけない」と誰も証明できたことがなかっただけのこと=可能性が0%と決めつけ考えることを放棄してしまうことだ。

思考の停止は死んでいるのと同義かもしれない。

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まとめ

子供の頃は知識も経験も少なく、いろんな不思議なことが常日頃起きていたように思う。

なぜここにいるのかという不思議な感覚もそうだし、来たことがない場所のはずなのになぜか既視感を感じたり、会ったことのない人なはずなのに妙に親しみを感じたりと。

そういう気のせいや不思議な感覚を僕は大事に大切にしていきたいし、目に見えない音楽というものを扱っている以上そういう「よくわからないもの」「感じるもの」「目に見えないもの」というのはきっと音楽に生きてくる。

なので引き続きこういう気持ち、感覚は大切にしていきたい。

みなさんはそういう感覚ありますか?

Thank you

Kazz


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