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今を感じられるようになってきた

おはようございます。音楽家の河野一之です。

30代半ばを迎えようとしている今、不思議な感覚が芽生え始めています。

それがすごく良い意味でわがままになってきているといます。

20代後半までとにかく頑張って、努力して、生き急いできたものを少しづつ開放する習慣をつけ頑張らなくても、努力しなくても急がなくても良い、やりたいように、なりたいように

水面を漂う葉のように、時には川のせせらぎに身をまかす葉のように自分を解放した時、そこにはとても絡み合ってごちゃごちゃしていた心の奥底にある本当の自分のようなモノがありました。

それらの断片はこのマガジンに入っています。

肩の力を抜き続け、自分や世界を肯定も否定もせずただ傍観し、起きる事象に身を任せ、欲求と衝動に身を任せ生きることのなんと楽なことか、楽しいことかと驚く瞬間があります。

もっと〇〇

20代の頃はいつもで「もっと〇〇じゃないと」とか「もっと〇〇のほうが」と今の自分と何かを比べ成長することに必死でした。

しかもその原因は”不安”からくるものです。将来への不安、過去体験してきた嫌なことに”またなってしまったらどうしよう”という不安という

どうしようもない過去とまだわからない未来

この2つからくる不安を原動力に今に着目せず過去に未来にと駆け巡っていた気がします。決してこれらが間違いだったと否定的には思いませんが過去や未来に着目するのも良いけど少なくとも一番大事なのは今だろうと今この瞬間は思うのです。

いつも支配されていた

ある時気づいたことがありますが、今の自分になる数年前までいつも何をしていても僕は先のことを考えていました。

例えばラーメンを食べていたら、”この後何をしよう”。
ヨーロピアン選手権で優勝した後も”この後は〇〇で・・・”。
どんなに素敵な映画を観ていても”この後はbrbrbrbrbrbr”。

全然”今この瞬間に集中していない”のです。

ずっと目先のことばっかり考えているのです。これには2つ大きな原因があります。

まず一つ目、僕自身が鈍感というのもありますが、これまでの人生である日突然これまでの幸福が音を立てて崩れ辛い日々が始まったことが何度かあります。

東日本大震災などの天災を思い浮かべてみてもらえればわかりやすいと思いますがあのような感じです。命さえ奪われませんでしたが心に傷を大きく受けた”嫌なこと”が突然僕の日常を奪うことがこれまでの人生で何度かありました。

なのでそうならないために恐らく今に集中しづらくなり、常に先のこと先のこと、もうあのような思いをしないためにと予防線を張っていたのでしょう。

二つ目には中学3年生の頃にした自分の中の誓いがあります。それが2度と後悔しないようにしようという誓いです。

時は中3、文化祭で後輩たちや同級生たちが自由演奏のステージでバンドを組みロックの歌を歌っていました。それは僕にもやるチャンスはあったのですが積極性が足りない自分は怖気付きやらなかったのです。

その日ステージで歌う彼ら、楽器を奏でる彼らは弱小吹奏楽でぷーぷー楽器を吹いている我々の何倍もかっこよく、出演したい!と手を挙げなかった自分への後悔とかっこいいなという憧れを強く感じ、やらなかった自分への怒りで心は八切れそうでした。いまだにあの情景は心に焼き付いています。

なのでこういう後悔を2度としないように先ばかりみていたのだと思います。

先ばかり見ていると

先ばかり見ているともちろん前進します。でも不安からくる焦りも同時に来るので様々な失敗もします。またある事象に関し引っ掻き回さなければ順当に済んだ話も”なにかしなければ!”という焦りで足掻いてしまい遠回りすることも多かったです。

でも本来人生とは、自分に必要なものごとしか起きないようです。

さらにそもそも、みんな違ってみんな良い!、自分はそもそも素晴らしい!という理解や大前提無くして良いものなんて生まれないのです。

今に集中し、自己肯定感を高め生きていくことが人生の秘訣だと理解しました。

まとまりのない文章になりましたが今後も自分という海へ潜って見ていきたいと思います。

Thank you

Kazz


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