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心配している通りの世界がやってくる

とある夜、妻と焼肉へ出かけた。

僕たちは何かっていうと近所の焼肉屋へパーティをしに行く。個人事業主なため節目的なものが欲しいからかもしれない

そこでの会話で僕がとある人のこと(今回はAとする)を心配している話となった。

生活とか人生とか色々心配し不安に思っている旨を話していると彼女が言った。

「Aは今幸せだから大丈夫だよ」

なんの根拠も証拠もない、でも妻は言い切った。

訳がわからなかったけれど、確かに、不幸か幸せかなんて例えAと一緒に話していたり過ごしていたとしても実際のところAがどんな風に生きているかなんてわからない

僕が僕の中のAは幸せか、不幸せか、心配になるような人か、不安にさせられるような人か決めているのだ。

そうわかった瞬間泣けてきた。「そうか、Aは幸せだったのか、大丈夫なのか」と

びっくりするぐらい嘘っぽく聞こえるけど、びっくりするぐらいの事実で、僕らは自分自身が見ている世界を自分自身で作っている。

同じものを見ていても印象がそれぞれ変わるのは、見ている人が変わるからだ。分子構造的にはそのモノは実際は同じものだ。

・僕が心配しながら何かを見ていればちゃんと心配すべきモノに見える
・不安に思いながら見れば不安になるべきモノに見える。
反対に
・何も心配ない、大丈夫!と思いながら見ればそういう風に見える。
・この人といると安心すると思っていれば安心すべきものになる。

僕らが僕らとして生きている限り、どれだけ修行をしてもこの主観からは逃げられない。でもこの主観の見え方を変えることはできる。

するとこれは体験から言えることだけど、不安ばかりを抱えていていつも何かしら心配をしていた僕の世界が安心と未体験へのワクワクで溢れた。

これが幸せということかと感じる瞬間も大いに増えた。すごい!

世界は全く変わっていない、僕が生まれ自我をもってからずっとこのままで、変わったのは僕の主観だ。

音楽の時間に当てはめて考えてみてもそうだ

大丈夫かな、吹ける訳ない、怖い

と思いながら演奏へ向かうとそういう世界がちゃんとやってくる。スーパー高性能な人間の脳が描いた世界はちゃんと現実化する。

いける、吹けない訳がない、楽しみ

こういう気持ちで行くとちゃんとそういう世界がやってくる。高性能な脳は自分が信じた世界をちゃんと用意する。

これは自分の実体験で得た完璧な経験なので保証できる。

思い込みではなく、信じることだ。そして信じられる証拠集めをするべきだ。

そんなのありえないと信じていればちゃんと不安な世界は継続する。

もしかしたら?と思って探し始めると新世界はやってくる。

本質的に実世界的は何も変わっていないとしたら、どうせ生きるわけだし自分が変わっちゃって楽しい世界の方が良いと思わない?

今日はそんな話

ご読了ありがとうございました。


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