都築郷夫(つゞき·くにを)の詩と歌と句 act 20 by Tsudsuki, Kunio 附・詩人の為のワードローブ集
ぼくは 生命を 拾いあげ / で それを持って 遠くへいくんだ / 片道きっぷで - / 北部へ消えて / 西部へ消えて / 消え失せる (ラングストン·ヒューズ「片道きっぷ」より)
【fragment】
アンダーグラウンド·レイルロード
昔、そんなバンド名を思ひついた
私自身 何処かに逃亡したかつた
だが音的にさう云ふものが出ず..
私も何処へも行けなかつた。
©都築郷夫
【雑詠・十吟】
筆任せ私の星はそんな具合
(©都築郷夫)川柳 senryu
言ひ放つ生きてゐるつて詩を書けばだけどそいつは「自分を着てゐた」
(©都築郷夫)短歌 tanka
俳は柳に寄るが結局八月尽
(©都築郷夫)俳句 kigo
流星が運氣うたふよに墜ちてゆく
(©都築郷夫)俳句 kigo
稲妻はゼウスの哄笑人小さき
(©都築郷夫)俳句 kigo
仕事辞める前に必ずおまへなど嫌ひなんだよまあ慣れました
(©都築郷夫)短歌 tanka
銀漢に流す紙舟詩を託す
(©都築郷夫)俳句 kigo
稲穂に名物狐の子連れ混じりゆく
(©都築郷夫)俳句 kigo
ホルマリンのキューブに私の躰から摘出された腫瘍入りぬる
(©都築郷夫)短歌 tanka
最期は逃げる三十六計首相の戦術
(©都築郷夫)川柳 senryu
【良寛詩!】
渡航我島出 わがしまをいでわたりきた
漂流無為術 なすすべなくへうりうして
遂疫病心屈 つひにえきびやうにくじけ
我生斯様鬱 わがせいかやうにうつなり
決して軽んじてコーヴィッドを扱ふ訳ではないのを、まづ理解して頂きたい。脚韻=utsu。
©都築郷夫 漢詩 chinesepoem
【詩①】
眠いつてのに 詩を書け 詩を書け
と(私自身が、だが)五月蠅いので
冬になれば蠅も死ぬから 早く
冬になつてしまへ
などゝ、知的に何かをかしい事
を思つてゐる。私はアホである。
と言ふか、眠りを前にした 人間
或ひは 動物つて
みんなさうぢやないかなー
雪山で眠ると死ぬ そんな
生命の中心に
來るもの、である。だが 眠り
間際にや そんな哲学的傾向のこと は
感じやしない。
たゞ眠い。眠い。眠い。眠い。←呑み込まれさう
眠いのも 五月蠅いもん なのだ
な。
©都築郷夫
【虚言箴言】
箴言のなき世界で箴言の替はりをするのは、三尺の童子の言葉である。-ラ=ロシュフコオ(大嘘)
蕉翁は「俳諧は三尺の童子にさせよ」と言つたさうで、そこからアイディアを拝借した。
何か功を焦るところがないからだらうなあ、と思ふが、芭蕉の時代子供は小さな大人、で、農村などでは労働力の内に数へられてゐた。下手な子供扱ひは忌避されてゐたのである。
それを考へてみれば、翁は都会的視点で語つてゐるなー、とこれは私の感である。都築。
【詩②】
さうぢやなくつて
かうだつたのよ
彼女の説明は
的を射てゐるやうであり
ペテンのやうでもあつた
二股をかける女にとつて
男とはなんであらう
クルマか
仕事か
はたまたルックスか
(最後のはたぶん、ない)
まあ総合的には 生活力で
カッコつけは
ほどほどに
彼女個人のスタア
ぐらゐ で良い。
Ah, I don't want to find you're
monkeying around in my track.
それにしても全てが
彼女の藝だつたとは -
©都築郷夫
【喩の世界と生命 - おしまひに】
芥川龍之介は「漠然たる不安」を言ひ残し、自死した。彼は文の天才である。その天才をしても、「漠然」であり、描写出来なかつた。
私は持病であらう、たまに恐ろしいイメージに苦しむ。自らを芥川と並べ賞する訳ではないが、その描写出来ぬところ、詳述出来ぬところに、文藝の死、が横たわつてゐる。
例へカントリー·ブルースの素朴な文學性で「黒蛇」とする、そんな稚拙な喩の世界でさえ、イメージと言ふものであり、「漠然」と仮定しなくてはならぬ恐怖からは逃れ得てゐて、その分人間的と言へるのだ。「漠然」は最後に来る、逆転した知性の産んだ生命らしさの涸(から)び、である。
分かり難かつたやも知れぬが、これを以て今回の結びとさせて頂く。文の豊穣を願ひつ。それでは。都築拝。
八月尽男肩出す陽光かな
(©都築郷夫)俳句 kigo オマケ
チャオ!
【オマケのオマケ】
臭ひものには
どぶと蓋され
川の抹消
成長跡
©都築郷夫 都々逸 dodoitsu
或る川の軌跡。
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