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【どうする家康】田鶴が瀬名への手紙を置き去りにした理由は。SNS時代だからこそ考察し甲斐ある古沢大河のスゴみ。第11回「信玄との密約」雑感

NHK大河ドラマ『どうする家康』(以下、『どう康』)第11回の雑感です。
(※本記事は一部有料です。ドラマレビュー箇所はすべて無料でご覧いただけます)
前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)
(※本記事のセリフの引用箇所は一部ノベライズに準拠しており、ドラマのセリフとは異なる場合がございます)

本人に悪気はなくてもヘイトを寄せずにはいられない?田鶴の儚き最期

前回のレビューの締めで、「きたよ、戦国大河の華、合戦シーン!次回は熱くなるぜぇぇえ!」なんて書いちゃったんですけど……熱くなるというか、哀しくなる展開でしたね……。

まさかこんなに儚い合戦シーンになるとは。戦う前からもう「雌雄は決して」いたような……いや、男である家康と、女である田鶴の戦いなのだからまさに文字通りだなんて思ったりしますけど。

ただ今回の物語って、この田鶴というキャラクターに感情移入できるか否かで受け取り方も大きく変わってくると思います。正直、僕自身も当初はあまり「好きなキャラ」というわけではありませんでした。

第1回から田鶴は、今川の姫君の代表みたいな感じで、多くの姫を伴って今川館を歩いていました。言ってみれば「スクールカーストのトップ」みたいな感じよ。一人だけ何やら黄色く派手な着物も着ていましたし、見た目だけで「いけ好かないやつ」オーラを放っていましたね。

そんな彼女の憧れは今川氏真。まぁ太守様の嫡男だから好きになるのは当然でしょうが、彼に稽古をつけてもらっている家康(当時は次郎三郎)のことはバカにするように笑っていました。まぁ、家康自身がただの人質という存在なので、立場的に下という意識を持っていたのでしょうけど。

ただ、瀬名とイチャつく家康に「ただではすみませぬよ!」なんて吐いたのも田鶴でした。瀬名の母親である巴が怒るならまだわかるんですけど、お前は単なる幼馴染やろがいwみたいな。(まぁ、鵜殿と関口とで、同じ今川の親戚筋という間柄ではあったにせよ)

要するに、家康サイドから見ると「ただのいけ好かない女」に見えてしまっていたのはあると思います。そして何より第5回ですよね。関口家が服部半蔵たちの手を借りて今川館を抜け出そうとしていたのを、田鶴が密告してしまった。これによって瀬名らの救出には失敗し、旧・半蔵党も全滅してしまいました。

しかし田鶴も悪気があってやったわけじゃなかった。やはり今川こそ正義と考えていたようですし、「お瀬名様は……関口家は、ほんのひとときの気の迷いゆえの過ちでございますれば、どうかご寛大なご処分をお願い申し上げまする」という直談判も行っているんですよね。まさかそこで、氏真が関口家に「死罪」を言い渡すと思っていなかった。

田鶴の行いが原因とは言え、結果は田鶴の望んだ通りではない。そこを見誤ると彼女に対して余計なヘイトが湧いてしまうというところで、SNSを覗くと、今回の物語には「どう受け止めていいやら」と困惑された方もいらっしゃったようです。

夫と家康の行いを「過ち」と考えることで、自分の行いを正当化したかったのか

そしてもう一つのヘイトの種になりそうな、第10回での夫・飯尾連龍への「裏切り」ですよ。あれは今回の物語からどうひも解いていくべきか。

少なくとも、「夫に死んでほしいと思っていたか」は、結局わからずじまいだと思うんです。別に夫婦仲がどう描かれていたわけでもない。第11回の物語の中では、瀬名へ書いた手紙に、

「あなたの夫も、私の夫も、過ちを犯しました。今川様のご恩を忘れ、私欲に走り、この世を悪いほうへ悪いほうへと導いておられる。大きな間違いでございます」

と書かれていましたけれど。それは別に、家康や連龍という個人を憎む気持ちから書いたかはわからない。「過ちを犯しました」と罰しているだけですね。その結果、まさか命まで奪われると思っていたかどうか。少なくとも「死んで当然」みたいなことは書かれていません。それに、

「是非ともお瀬名様に会いに築山へ参りたい。徳川殿が過ちをお改めになってくだされば、すぐにでも」

とも書いているわけで、逆に言えば「過ちをお改めになれば(少なくとも田鶴自身は)許す」というようにも読めるわけです。であれば、夫の連龍だって早いうちに氏真へ報告していれば許されると思っていた可能性もあると思うんですね。

でも、殺されてしまった。これで関口夫妻に続き、連龍も田鶴が殺したような結果になったわけですが。かつては「スクールカーストのトップ」的なお姫様である田鶴には、そんな自分が犯した過ちは受け入れられないと考えるのが自然な気がします。むしろ過ちは、夫にこそあった。これを当然の報いと思うことで、自分の行いを正当化したかったのではないでしょうか。

少なくとも田鶴が、関口夫妻や連龍といった「今川を裏切った者たちの命運」よりも、「今川様のご恩」をいかに大切に思っていたか。そして幼き日に瀬名と共に暮らした駿府の町の思い出を、どれほど大切に思っていたかがわかります。

田鶴は馬鹿だったのではない。生き恥を晒さず、最後まで胸を張って死にたかったのでは

ただ、今川がもう終わりだということは田鶴にだってわかっていたと思うんですよ。家康が引間城に侵攻してきていると同時に、信玄が駿府を制圧した話は田鶴の耳にも届いていたはずです。

だったらいま生き残るためには、かつて下に見ていた家康にだって頼るほかないことも分かっていたはずなんです。けれど、最後まで家康を頼ることはなかった。

なぜなら、いくら三河守に任命されたからと言って、この時点ではまだ信玄よりもだいぶ格下ですから。家康についたところで、田鶴の一番の目的である、かつての美しい駿府の町を取り戻せる希望なんて持てない。

むしろ家康につけば、今度は自分の陣地が徳川領と武田領の狭間になってしまう。言ってみれば、桶狭間で今川義元が殺された直後の家康(当時は元康)と同じ状況です。家康はそこから織田方にガンガン攻め込まれて太刀打ちできず、結果、織田方に寝返ることになりました。

歴史の結末を知ったうえで振り返ると、家康のそうした生き方こそが利口だったとわかりますが。そんな未来も知るわけがない当時の田鶴からしてみれば、家康こそ「生き恥を晒しているだけの愚かな生き方」のようにも見えたと思うんですよね。

「今を生き残ること」だけ考えて綱渡りで生き続けても、いずれは大きな力に組み伏せられて滅んでしまう。そう考えたらむしろ、引間城に自ら火を放ち、勝ち目がないとわかっている徳川勢との戦に赴いて討ち死にすることこそ、まっとうな生き方だと思えたのではないでしょうか。

少なくとも、それで自分自身を貫き通すことはできます。どんなことがあっても自分は最後まで今川の忠臣であったと。親友の夫が裏切っても、自分の夫が裏切っても、自分だけはあの憧れの人に仕え続けた。それで死ねるなら本望。

そう考えて見れば、お田鶴様、やはりご立派でした……。最期まで「スクールカーストのトップ」の姿勢を貫いたまま、凛々しく、勇ましく、それこそ椿の花のように美しく散っていきました。

田鶴は嘘つきか?民たちを思う描き方に現れる、家康と田鶴の、領主としての差

ただ残念だったのは、それより前の日に遠江の街へ赴き、「案ずることはないぞ。そなたたちの暮らしはこの田鶴が守るでな」といったセリフが嘘になってしまうのではないか?という気がする点。しかしここも、田鶴と家康の生き方との対比となっているようにも思えます。

田鶴の場合、「そなたたちの暮らしはこの田鶴が守る」と言いながらも、頭の中には幼き日に駿府の街で瀬名と共に団子を食べた思い出を蘇らせています。田鶴の意識は最後まで過去に向いていました。あの日を取り戻したいという思いがあるから、そこで発した台詞に偽りはなくても、どうしてもその気持ちが「自分の願望」の域を出ることはない。

一方、これと似たような状況が出てきた第3回。三河で米の刈り入れをする農民たちの姿を見ながら、左衛門尉と石川数正が、家康(当時は元康)に今川を見限るよう迫ったシーンですね。家康は「嫌じゃ……嫌じゃ」と言いながらも、妻や子の元に帰りたいという「自分の願望」を捨て、民たちの未来のために織田方につく決断をしました。

「そなたたちの暮らしはこの田鶴が守る」と言い、堂々とした姿を見せながら、その言葉が叶えられない田鶴。「嫌じゃ……嫌じゃ」と泣きながらも、民を守る家康。どちらが嘘つきでどちらが正直なのか。どちらが凛々しくどちらが情けないのか。結果はどうあれ、この時代で生きていることを考えたら、そんな審判を下すことは誰にもできないような気もします。

家康サイドから見た田鶴の姿とは?なぜ最後まで戦う意思を見せられなかったのか

今回の合戦シーンをいっそう哀しく見せているものがもう一つ。采配を振れず、田鶴の軍勢が引間城から出てきたときも前線に出て「やめよ!撃つな!」と最後まで自軍の兵らを止めようとした家康の姿です。

見る人によっては「こんな土壇場でまで戦えないなんて、やはりヘタレか」というようにも見えたと思うんですよ。でも、そうじゃない。前線にまで出て「お田鶴殿、やめよ!」と叫んでいるところに、本気でこの戦を止めたかった家康の感情が表れているようにも思えます。

なぜ田鶴と戦いたくなかったのか。家康自身にとってみれば、「ただの幼馴染み」という以外にあまり感情も持ち合わせていないようにも思えます。それどこか、今回の序盤シーンでは、瀬名に向かって「そなたの幼馴染み」という言い方もしていますし。もはや自分にとっての幼馴染みですらない。

けれど瀬名を大切に思う家康にとってみれば、それで十分、助けるに値する存在になるということですよね。

だいたい助けたとしても、田鶴は自分が攻略し、自害させた鵜殿長照の妹でもあるわけです。第10回、鵜殿の分家の養女であるお葉が側室に選ばれたときすら、家康は「罠かもしれんぞ!」とビビっていたわけですから。むしろ田鶴なんて、本来ならば仲間にしたくなかったでしょう。

それでも瀬名の幼馴染みだから守りたい。築山にも田鶴が好きな椿の木を自ら運んで植え込んでいるほどに。田鶴を亡くすということは、自分の妻である瀬名の半身を亡くすくらい重いことだったと考えていたのかもしれません。

瀬名にとってみても、田鶴は親の仇だという見方だってあるハズ。しかし第5回で瀬名は、田鶴から「田鶴は、お瀬名のお味方。いつもお瀬名様の幸せを願っておるのです」と言われたのに、「虫歯が痛くてたまらぬのです」と嘘を吐いていましたね。先に裏切ったのは瀬名の方。そこでの恨み辛みは、もう無いということなのでしょう。

それこそ第11回では、瀬名と田鶴の幼き日の思い出シーンも沢山描かれていました。あれを「取ってつけたような表現」なんて貶している方もSNSではいらっしゃったようでしたけど、むしろここぞという場面で描いてくれたからこそ、どれだけ田鶴というキャラクターの存在が大きかったのかということを思い知らされます。

「闇堕ち」ではない?田鶴が瀬名への手紙を置き去りにした理由とは

最後に、田鶴が瀬名へ宛てて書いた手紙について考察を巡らせます。あの手紙を田鶴は一度、懐に仕舞い込んだのですが、思い直して机の上に置いたままにしました。そしてその後、城に火をかけさせています。

もし田鶴が懐に仕舞い込んだまま戦場に出れば、徳川兵が田鶴の遺体からそれを見つけ、瀬名に届けることもできたかもしれません。けれど、そんなことしても意味がない。書かれた内容は、言ってみれば「自分こそが正しく、家康こそが間違いだ」と訴えるようなものです。そんな手紙、自分が死んだ後に読まれても説得力がない。

書き上げた時点であれはもう、瀬名へ宛てた手紙ではなく、田鶴が自分自身に対して宛てたものになっていました。自分の生き方は正しかった、堂々と胸を張って生きたと自らを律すための言葉。それを「闇堕ち」と捉えるのも、また違う気がします。

最後に自分の人生をジャッジできるのは自分。これでよかった、なんの未練もないと、自分の生き様を認めてあげられるのは己だけなのです。

だからあの手紙が残ってしまい、瀬名に届いて読まれてしまうのは、田鶴という生き方の正否を瀬名に委ねてしまうことになる。それでも瀬名なら「ご立派に生きられました」と認めてくれるかもしれませんが、そういうことではないのです。

ドラマでは、田鶴が銃で撃たれ落馬したあと、まるで亡霊のように一瞬だけ築山の庵に姿を見せたシーンが描かれました。白昼夢のようでもあり、本当に魂だけの姿となって瀬名の元を訪れたようにも見えます。

「ああ、早くあなたに会いたい。
田鶴の一番の友、お瀬名に。」

そして、火に包まれて燃える瀬名に宛てた手紙。手紙も灰となることで、距離を超えて瀬名の元へ届いたという幻想的な表現にも見えます。

とかく、人間という生き者は、矛盾した行動を取る生き物です。「なぜそうしないのか」「この方が合理的だろう」「その道を選ぶやつはバカだ」いろいろな意見があるでしょう。しかしそんな一筋縄ではいかないのが人間。誰もが「正解」を選べるわけでもない。むしろ未来のことなど誰もわからないのですから、本当の「正解」なんて存在しないのです。

そんな一人ひとりの人間の、ほんの些細な一つひとつの行動をクローズアップして描いていく。そうした姿勢から、このドラマは「人間」というものの生き様を等身大で描いているような気がします。

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