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忘れること

川村元気氏の新作を読んでみました。

テーマは「認知症の母と息子」

大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばす―。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。(BOOKデータベースより)

都心でレコード会社で働き、母百合子と離れて暮らす主人公葛西泉は、父親を知ることなく、シングルマザーの百合子に愛しみ育てられますが、阪神淡路大震災の前後に2人にとって空白の1年がありました。

「私の両親は離婚こそしなかったけれど、ほとんど夫婦とは言えなかった。親の役割すらきちんとできていなかった。(中略)私は血縁とか家族が絶対だと思わなくなりました。血が繋がっていない他人同士だからこそ補完しあえることも多い」p45から

こう語った会社の同僚でもある香織と結婚、出産後も働こうと出産直前まで頑張って働く妊娠期の妻と同時期に母百合子のアルツハイマー認知症が顕著になり、百合子が行方不明になって初めて半年前から実はその頃診察を受けて病気を知っていて、頻繁に電話をかけていたのだと知ります。

迷子の母を探しながら、泉は思い出した。あの頃、わざと迷子になっていた。泉はいつも、母に探して欲しかった。p132から

認知症で祖母を亡くした部下から、「お母さんに、時間を使ってあげてください」と言われた泉は、記憶を失くしつつある母と向かい合い始めますが、妻の出産・子育てと母の介護を両立は無理とわかった泉は個人経営療養介護施設に母を入所させます。

空き家となった実家を整理していた泉が見つけた、自分と母との空白の1年の日記を読み終えた泉と香織の前にいる母は、死期を前にし記憶が欠落していました。

「半分の花火」がみたい。


百合子が他界して半年後、売りに出し片付いた実家から見た花火が、まさに半分しか見えなかったのでした。

        (Amazonから画像をお借りしています)

年齢的には母親側で読んでしまいそうですが、まだ高齢の母を持つ私には、主人公息子の気持ちも痛いほど心に刺さってきました。

普遍的とも言える生命の連鎖のことがしっかりと頭の中に浮かび、ネタバレになってしまいそうですが、空白の1年を母が「母親としてでなく、一人の女性として生きていたのだ」ということを、息子が父親になろうとする時期に知ったことがとても救いであり、子育てにもきっといい影響があるはずだと思いました。

川村氏の映像プロヂューサーの手腕は、今公開中の「天気の子」でもおわかりのことでしょうが、著者の作家としても見事です。

この作品もオススメです。

今日はとても長くなったnoteですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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