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横浜のアートセンター 若葉町ウォーフ 番頭

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最近の記事

ファッション

かつて、新宿の伊勢丹の前に真っ白なバレエの衣装を着たおじさんがよく現れた。もちろんプリマドンナ風であり、おじさんはチュチュを揺らしながらヒョコヒョコと歩いていた。もちろんつま先立ちで。頭の中ではチャイコフスキーの曲が流れていたのかもしれない。彼にとっては東京とは劇場であり、我々は観客か名もなき端役だったに違いない。 我々は裸身を服に包み込んでいるわけだが、肉体というものを良かれ悪しかれ対外的なアピールの場所だと考えれば表面積の9割以上を占めている服は顔以上に我々という存在を

    • 物語る人

      「出来るだけ大きな嘘を考えなさい」と私の先生は言った。その頃の私は正直者の少年だったが、嬉々としてたくさんの嘘を考えたものだ。一つの嘘を考えれば、次はもっと大きな嘘を作りたくなった。「嘘を大きく育てていくことが物語るということである」と先生は言った。 こうして私は嘘つきになった。 人々は物語ることが好きである。元を辿ればそれは原子人の自慢話くらいから始まったのだと思う。 「マンモス、見た!」 「マンモス、どうした?」 「マンモス、こっち来た」 「マンモス、強い」 「槍投

      • 部活⑦(最終回)

        ここから先は、だんだん笑えない話になってくる。なんとか陽気に話を着地させたい。無理なら仕方がない。割り切れないのが人生だ。 ケガが治ってからの僕は何かに取り憑かれたように走りまくった。1日、最低30キロは走った。雨が降る深夜3時から50キロを走ったこともある。そして、走ることと同時に僕は体重を落とすことに取り憑かれた。 最初は体重を落として軽くなれば足も速くなるという思い込みから始まった。だが段々、目的と手段が入れ替わり、体重を落とすために走るようになっていった。発掘され

        • 部活⑥

          なかなか脚の痛みは取れなかった。近所の病院でレントゲンを撮ったが異常は見当たらず、筋肉の炎症だろうという診断結果が出た。「休めば治る」ということだったので休むことにした。 だが、1ヵ月たち2ヵ月たっても症状はよくならない。チームメイトたちは練習に精を出し、僕だけが取り残されていた。 「少しでも練習しなければ」 患部に負担のかからないエアロバイクを漕ぐことにした。バイクの負荷(ペダルの重さ)を最大にし、心肺機能を鍛えるために2重にしたマスクで口と鼻を覆い、まともに練習できな

        ファッション

          部活⑤

          痛みは少しづつ酷くなっていった。爪先が痺れ始め、脚の感覚がだんだんとなくなってくる。おまけに序盤で飛ばしすぎたおかげで、僕の体力は底をついていた。 「こりゃあ、止まるな」 残りは3キロ、騒々しい呼吸とは裏腹に妙に冷静な分析をしている自分がいる。なんとか保っていた精神がポロリポロリと崩れ始める。 「とまったら、動けなくなるな」 折れた枝は、2度と幹に戻ることはない。痛みはそろそろ我慢できる限界を越えようとしていた。僕はチームメイトへの言い訳をあれこれと考える。彼らだって

          部活⑤

          部活④

          タスキが回ってくるのを待ちながら僕はブラックコーヒーを飲み干す。もちろん、こんなので痛みが消えることがないことは分かっている。気休めだ。 スタートの号砲はだいぶ前に鳴り響いていた。タスキが順調に繋がっていれば、あと少しで僕に回ってくる。トイレに行きたくなる。くそったれブラックコーヒーのせいである。だが簡易トイレは長蛇の列。仕方がないので、草むらで用を足す。そして、僕の高校の名前が呼ばれた。「洗ってない手で受け取って神聖なタスキが汚れないだろうか?」と、余計なことが気になって仕

          部活④

          部活③

          脚の痛みはだんだんとひどくなり、もはや駅伝を走るなんて考えられない状態になっていた。 「メンバーから外してもらおう」 僕が途中棄権して他のメンバーに迷惑をかけるわけにはいかない。顧問に諦める意向を伝えようと僕は職員室に向かった。たが、僕の顔を見るなり、いつもは厳しい顧問がめずらしく優しい言葉を掛けてくれた。 「俺はお前に期待している」 嬉しい言葉だが、今は逆に辛い言葉である。「さあ、言うぞ」と息を吸い込んだときに顧問は間髪入れずにこう言った。 「お前の代わりはいない

          部活③

          部活②

          後ろからリズミカルな足音が聞こえてくる。それはだんだんと大きくなり、やがて砂埃を巻き上げながら僕を追い越して去っていく。 「また抜かれた」 下級生の女の子にやすやすと抜き去られ、僕はヨタヨタとした足取りでグラウンドを走っている。息は上がり、足は思うように動かない。汗は出ていない。汗は本当に辛い時は出ないと陸上部に入って知った。既に他のみんなはゴールしている。情けないったらない。 陸上部は短距離、長距離、投てきの3つの部門に分かれていて、僕は長距離部門に入った。部のみんな

          部活②

          部活①

          高校の部活動の話だ。 僕は高校生活をギター部に捧げるつもりだった。なぜ、ギター部に入りたかったか? もちろん女子とイチャイチャしたかったからである。仮入部の期間になって僕はギター部の部室に行こうとした。 行こうとした。行こうとした。行こうとした。 でも行けなかった。どうにも生来の人見知りのおかげで、知らない人がたくさんいるところに一人で行くのが怖かったのである。中学が野球部だったので、なんとなく野球部の見学に行く。泥臭く、汗と根性と坊主頭の部活である。見学の時点で先輩か

          部活①

          めぐりあひ 上北沢

          大学で別れた「こうちゃん」と私は高円寺の喫煙所で再会した。そして、また再開する。 私は養成所を経て西武新宿線沿線の下井草に暮らしていた。バイト先は世田谷の上北沢であり、金もなかったので毎日自転車を漕いで職場に向かった。 甲州街道を渡ってすぐに開かずの踏切りがあった。『戦争と平和』を読み終えられるほど待たさせられることがほとんどだった。 ごくたまにすんなり通れることもあった。そんな時は、踏切りを渡ってすぐにあるコンビニの前でタバコを吸ったものだ。時間待ちを見越して家を20

          めぐりあひ 上北沢

          めぐりあひ 高円寺

          「こうちゃん」が大学をやめた2年後、私は高円寺の演劇養成所に通うことになった。私を知る人は口を揃えて「そういうのから一番遠いと思ってた」と言ったものである。まあ、たしかに、なんとまあ、遠くに来たもんだである。 養成所は劇場の地下3階にあり、閉所と地下が苦手な私はタバコにかこつけて外の喫煙所にいることが多かった。外に出る理由が欲しくて吸い始め、おかげさまで今だに辞められずにいる。 喫煙所は劇場の利用団体と共通であり、よく役者の方々がやってきては一緒にタバコを吸った。 「お

          めぐりあひ 高円寺

          めぐりあひ 早稲田

          楽しい所と聞いていたのに話がまるで違うのである。友達も全くできなかった。 大学の話だ。 仕方がないので、授業中は関係ない本を読んでいた。1コマも欠かさず4年間。そのおかげで貴重なことを1つ学んだ。 「ながら作業は身につかない」 授業の内容も本の内容も一つも覚えていない。あげくの果てに友達もいなけりゃ、彼女もいない、サークルにも入っていない。大学の4年間の記憶は総合して15秒くらいである。 唯一といっていい友達が「こうちゃん」だった。1年生の第二外国語の授業で隣になり

          めぐりあひ 早稲田

          酒と泪と桃色女

          「酒で失敗することはあるが、成功することはない」というのは自家製の格言だが、振り返っても酒の席での失態は枚挙にいとまがないが、「起きたら美女が隣に寝てた」などという経験は一度もない。大抵は二日酔いで自己嫌悪に苛まれながら朝を迎える。 それでも酒を飲む。学習しないにも程がある。 酒を飲むと終電を逃す。金もないので漫画喫茶などに泊まって朝を待つしかない。漫画喫茶が満室であればどうしようもない。フラフラと千鳥足で高円寺の駅前を歩いていると片言の日本語を武器に中国人のおばちゃんが

          酒と泪と桃色女

          正義の味方

          子供の頃から傍観者である。「世の中」がスポーツの試合だとしたら、私は選手としてピッチに立つことはないし、ましてや審判として選手をジャッジすることもない。観客席の隅っこで試合の趨勢と観客たちの熱狂を黙って見ている役である。 おしなべて人からバカにされるし、軽んじられる。挙げ句の果てに「お前には自分がないのか?」などと言われる始末である。 まあ、そんなものあったって荷物になるだけなのでいらないのだけど、、、。 とはいえ、このような性向になったのには理由がある。小

          正義の味方

          図書館見聞録

          日がな一日、図書館で過ごす以上の幸せがこの世にあるだろうか? 本は読み放題、ぼーっとし放題、机を借りれば勉強は好きなだけして良いし、映画まで観られる。そしてなんと本を無利子・無担保で借りられるのである。図書館に行くたびにその善意が怖くなる。ニコニコと笑っている司書さんは実は我々をロバに変えてサーカスに売り飛ばす気なんじゃないかと疑わしくなるが、30年近く通って耳や尻尾はまだ生えてないので一先ずは安心して図書館の善意に甘えている。 とりもなおさず図書館とは居場所である。門戸は

          図書館見聞録

          牛乳小唄

          なぜ居酒屋に牛乳が置いてないのかと思う。私はいつでも「とりあえず生ビール」ではなく「とりあえず牛乳」が飲みたい。 牛乳が好きなのである。夏は冷やして、冬は燗をつけて飲む。今の季節はぬるめの燗が良い。肴はあぶったイカでいい。しみじみ飲めば、しみじみと思い出だけが行き過ぎるのである。 私の頃は給食といえば問答無用で牛乳だった。小学校の頃は200mlだったのが中学校に上がると250mlになった。50mlの差など誤差みたいなものだが当時は「大人として扱われている」と感動したもので

          牛乳小唄