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部活⑦(最終回)

ここから先は、だんだん笑えない話になってくる。なんとか陽気に話を着地させたい。無理なら仕方がない。割り切れないのが人生だ。

ケガが治ってからの僕は何かに取り憑かれたように走りまくった。1日、最低30キロは走った。雨が降る深夜3時から50キロを走ったこともある。そして、走ることと同時に僕は体重を落とすことに取り憑かれた。

最初は体重を落として軽くなれば足も速くなるという思い込みから始まった。だが段々、目的と手段が入れ替わり、体重を落とすために走るようになっていった。発掘されゆく化石のように僕の骨格が少しずつ体表に浮かび上がっていく。僕は暇さえあれば体重計に乗り、その目盛りの上下に一喜一憂した。過剰な精神は、コップ一杯の水を飲むことさえも躊躇させ、食事はゆで卵1個とかツナ1缶とかチクワ1本とか粗末で少量なもので我慢した。力石徹もかくや。減量というより緩やかな自殺である。

ある一定の体重まで落ちると、それ以上体重は落ちなくなった。限界値。どんなに走っても汗一つかかない。僕はその限界を越えようと、更に厳しいトレーニングと食事制限を自らに課した。完全なノイローゼである。

最後の大会が近づいていたが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。僕が更新すべき記録はランニングのタイムではなく、僕の体重の限界値だった。でも、残念ながら(もしくは幸いにも)、それは超えられなかった。

最後の大会のことはあまり覚えていない。確か5000メートルに出て、最後から数えた方が早い順位だった気がする。曖昧だ。

だけど、大会の後で陸上部のメンバーでご飯を食べに行ったことはよく覚えている。中華料理屋だった。大会がおわったのにも関わらず体重が増えるから食べるのは嫌だったけど、何も頼まずにサヨウナラという訳にもいかず、僕はチャーハンを注文した。渋々、それをレンゲですくって口に運ぶ。

美味い、美味すぎる!

僕はチャーハンをたいらげ、ラーメンを注文し、餃子をたいらげた。まだまだ食べられそうだった。

かけられていた呪いは別の呪いに取って代わる。それからの僕はありとあらゆるものを頬張っては胃に流し込んだ。ドーナツ、サンドウィッチ、カレー、おにぎり、ポテトチップス、アンパン、食パン、カレーパン。体重は急激に増加した。僕は死にかけの骸骨からプクプクとした脂肪をまとった体へと変身した。拒食から過食へ。たぶん摂食障害というやつだったのだろうけど、あまり深く踏み込んで書くと暗い気分になるばかりなので、ここらへんにしておこう。ただ、元の体型に戻るまで1年かかったとだけ記しておく。

こうして僕は陸上部を引退し、高校を卒業した。

高校時代の部活のことを長々と書いてきたが、とりあえずこれで終わりになる。

もし、ギター部に入っていれば、、、

もし、野球部に残っていれば、、、

もし、山岳部を再興していれば、、、

もし、陸上部で過度な練習をしていなければ、、、

それぞれの分岐点で違った選択をしたらどうなっていたかに想いを馳せることが時々あるが「間違った道を元気よく進む」ことも人生の大切な経験だったと思えば、僕の高校生活からも何かしらの意味を見出すことができるかもしれない。もしかしたら意味なんてないのかもしれない。

唯一、心残りなのが高校3年間を通して全く女子とイチャイチャできなかったことである。もう一度、高校生に戻れたら今度こそ、イチャイチャしたいと思う。

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