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部活②

後ろからリズミカルな足音が聞こえてくる。それはだんだんと大きくなり、やがて砂埃を巻き上げながら僕を追い越して去っていく。

「また抜かれた」

下級生の女の子にやすやすと抜き去られ、僕はヨタヨタとした足取りでグラウンドを走っている。息は上がり、足は思うように動かない。汗は出ていない。汗は本当に辛い時は出ないと陸上部に入って知った。既に他のみんなはゴールしている。情けないったらない。

陸上部は短距離、長距離、投てきの3つの部門に分かれていて、僕は長距離部門に入った。部のみんなは新参者の僕にやさしかった。でも、練習では容赦なく僕を置いてきぼりにした。それはそれ、これはこれである。「一緒に走ろうよ」と言って、僕にペースを合わせてくれる部員などいない。僕は落ちこぼれだった。とはいえ、満足している自分がいるのも確かなことだった。ケガをして悶々と過ごした日々、何をしていいか分からず途方にくれた日々、それらの日々よりはるかに青春をしている実感があった。例え足が遅くとも自分の全力を出すことはできる。そう、ただ走ればいいのだ!

しかし、現状に甘えているわけにもいかない。少しでも、みんなに近づかなければ。僕は自主練を始めた。おかげで少しずつではあるが、タイムが早くなってきた。そして入部して3ヶ月くらいたつと、僕は他の部員と肩を並べて走れるくらいになっていた。

長距離部門はビッグイベントである駅伝大会を控え、だんだんと練習量が増えていった。僕も負けじと自主練の距離を少しづつ増やし、ヒーヒー言いながらもみんなについていった。

そんなこんなで駅伝の季節が近づき、僕は駅伝のメンバーに選ばれた。やったぜ! そして、僕は更に自主練に熱を入れるのだった。練習をすればするほどタイムは良くなっていった。

〈練習 → タイム良くなる〉

僕は解き放たれたパブロフの犬のようにグラウンドを、道路を、砂利道を、畦道を、山道を走りまくった。走れば走るほど結果がついてくる。駅伝を前に僕は偏執的になっていった。学校に行く前に走り、つまらない授業をサボって走り、部活が終わったあとも走り続けた。
だが、駅伝大会の3週間前に僕にとって忌むべきイベントが待ち構えていた。

〈沖縄への3泊4日の修学旅行〉

もちろんボイコットするつもりだった。どうして駅伝が近いというのに、青い海を泳いだり、白い砂浜に寝そべったり、夕日に染まる海を眺めながら女子と良い感じの雰囲気になったり、サーターアンダギーを頰張ったり、楽しい枕投げをしなくてはならない? 修学旅行の全てがチャラついた茶番のように思われた。だから「行かない」と教師に告げた。「僕は駅伝の練習がしたいんです」言下に却下された。

親にもどやされた。「親不孝者! おまえの修学旅行のために、幾ら積み立てたと思ってるんだ!」至極、まっとうな反応である。というわけで、修学旅行には参加することになった。もちろん旅行中も暇を見つけて走るつもりでいた。

沖縄での一泊目。僕は歓楽街にあったホテルを抜け出して走り始めた。秋の終わりにしては生暖かく、すぐにトレーニングシャツが汗で体に張り付いた。風は潮の香りをのせて心地よく吹き、波止場の船が波に揺られて軋んだ音を立てている。道端のゴキブリたちは我が物顔でノロノロと移動している。ゴキブリまでもが沖縄タイムで生きていた。気持ちが良かった。「こういうのもいいもんだ」いつも走っている環境とは違う沖縄の趣に、僕は少しだけ修学旅行に来て良かったと思い始めていた。

走っている限り、他の修学旅行のイベントも満喫できそうな気がした。好きなあの子と近づくこともできるかもしれない。いや、勢いで告白してもいいかもしれない。旅情による高揚は確実に僕にもやってきていた。妙な期待感。僕は走るスピードを上げた。そして異変は起きた。

「痛てえ、、、」

あの痛みを何に例えたら良いだろう。何か金属的な痛みとでも言おうか。それでも我慢して走った。

「まあ、よくなるだろう、、、」

こみあげてくる不安を楽観的なオブラートに無理やり包んで沖縄の街をヨタヨタと右脚を引きずりながら走り続けた。それ以降の修学旅行のことは、さっぱり覚えていない。痛みに悶えながら駅伝に参加するという使命に駆られて走り続けたことだけは記憶しているが、何を見ても、何を聴いても、脚の痛みのことしか頭になかった。おかげでお土産を買うのを忘れて、親に再び「親不孝者」と罵られた。

好きだった女子は、旅行中に別の男子に告白されて付き合い始めていた。ままならぬのが人生である。野球部のときは休んで3日で治った。今度のも、きっとその類のケガだろうと、顧問に事情を告げて1週間ほど練習を休んだ。だが、それでも痛みは全く引かなかった。駅伝大会は次の週に近づいていた。

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