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図書館見聞録

日がな一日、図書館で過ごす以上の幸せがこの世にあるだろうか? 本は読み放題、ぼーっとし放題、机を借りれば勉強は好きなだけして良いし、映画まで観られる。そしてなんと本を無利子・無担保で借りられるのである。図書館に行くたびにその善意が怖くなる。ニコニコと笑っている司書さんは実は我々をロバに変えてサーカスに売り飛ばす気なんじゃないかと疑わしくなるが、30年近く通って耳や尻尾はまだ生えてないので一先ずは安心して図書館の善意に甘えている。

とりもなおさず図書館とは居場所である。門戸は誰にでも開かれている。様々な人たちがやって来て、時間を過ごし、去り、またやって来る。中には去らない者もいる。開館と共にやってきて閉館まで新聞を読んでたり、映画を観たりしている。途中で持参の弁当を食べ、また新聞を読む。図書館は彼らの居場所にもなっている。

私だってその一人だった。モラトリアムを拗らせて図書館で一年ばかり絵本を読み続けたことがある。特にやることもなかったので手当たり次第に絵本を読み、図書館に行かない日は野原で昆虫を追いかけていた。振り返ってみると、あの頃が一番幸せだった気がする。

図書館に通っていると顔馴染みが出来たりする。互いに「おう」とか「昨日、来なかったね」などとやっている。司書さんとも仲良くなり、たまに理不尽な客がカウンターでクレームをつけていたりすると「おい、どうしたんだ?」などと警備員よろしく風紀を取り締まる。

「そりゃあ、あんたが悪いよ。ここは本屋じゃないんだからさ」

などと、クレーマーをたしなめ、再び新聞を読む。もはや図書館に住む御隠居である。

また、変わった人を観察するなら図書館は絶好の場所である。やたらとイチャイチャしているカップル(と言っても中年)がよく来ていた。彼らは高確率でペアルックスで登場し、仲良く映像ブースで映画を観ていた。ある日、横を通り掛かると真剣な顔をしてアランレネの『夜と霧』を観ていた。それ以来、彼らのあだ名は「夜」と「霧」である。

私が高校生の時に自習室でずっとブツブツと独り言を呟きながら赤本(大学入試の過去問題集)で勉強していた男性は10年後もやはりブツブツと独り言を言いながら赤本で勉強していた。もはやライフワークとしての受験勉強である。私は彼を「赤本さん」と心の中で呼んでいた。

「赤本さん」と仲が良かったのは「電気さん」である。「電気さん」もやはり毎日、図書館の自習室で勉強しておられた。年齢は70代後半くらいだっただろうか。難しそうな分厚い電気関係の本を傍に置き、広告の裏に難解な数式を書き綴っておられた。

「赤本さん」と「電気さん」は歳の離れた友人だった。「赤本さん」はおそらく私とは大して変わらない年齢だったので、歳の差は50くらいだろうか。二人は昼になると図書館のベンチに並んで座って弁当を一緒に食べていた。この前、図書館に行ったら「赤本さん」だけがベンチに座って弁当を食べていた。

「小便おじさん」には閉口したものだ。彼はずっと時代小説を読んでいるのだが、トイレをひどく汚した。彼がトイレに行った後は小便器の周りがまるで池のようになっている。どういうことなのかと彼の後をつけてみると、彼は小便器から1.5メートルくらい離れた位置からオシッコをしていた。オシッコは初手から勢いがなく便器の中に入らずに床に墜落していた。

地元の図書館には、かのごとくたくさんの変わった人たちがいたが、もしかしたら図書館の呪いでロバにされかけている人たちだったのかもしれない。図書館に通い詰めた1年は私も図書館の魔力でロバにされかけている一人だったわけだがロバはロバなりに楽しかったので、完全に図書館という楽園のロバになるのも悪くないなと思う今日この頃である。

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