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牛乳小唄

なぜ居酒屋に牛乳が置いてないのかと思う。私はいつでも「とりあえず生ビール」ではなく「とりあえず牛乳」が飲みたい。

牛乳が好きなのである。夏は冷やして、冬は燗をつけて飲む。今の季節はぬるめの燗が良い。肴はあぶったイカでいい。しみじみ飲めば、しみじみと思い出だけが行き過ぎるのである。

私の頃は給食といえば問答無用で牛乳だった。小学校の頃は200mlだったのが中学校に上がると250mlになった。50mlの差など誤差みたいなものだが当時は「大人として扱われている」と感動したものである。名前も「牛乳」から「スポーツ牛乳」に変わり、なんとはなしに「栄養満点」な感じがした。給食は年間200食くらい出たので、私は小中の9年間で400リットルの牛乳を飲んだことになる。それだけ飲んでいれば2メートルくらいの身長になっていそうだが、まあ結果は推して知るべしである。

両親は牛乳が嫌いだった。戦後の混乱期に子供時代を過ごした2人にとっては「牛乳=不味い脱脂粉乳」であり、嫌な思い出しかないようだった。父親に至っては「今更、なんでこんなもん飲まなきゃいけねえんだ」と親の仇のように牛乳を嫌い、牛乳が入っている料理には箸もつけなかったし「乳臭い」という理由で牛肉も食べなかった。そのくせ子供には「牛乳は不味くても栄養があるから飲みなさい」とやたらと牛乳を飲ませた。ここら辺の矛盾は彼にとって牛乳とは薬のようなものであり、栄養があることは認めていたからだろうと思う。

まあ、私は不味いと思ったことはない。

やたらと牛乳を飲まされたせいで、私は飲み物として水よりも牛乳に親近感を覚えている。オレンジジュースやコーラよりも牛乳である。ビールよりも牛乳である。

たぶん私の血管には牛乳が流れている。

なぜ居酒屋に牛乳が置いてないのかと思う。私はいつでも「とりあえず生ビール」ではなく「とりあえず牛乳」が飲みたい。たまに飲みすぎて腹を壊すが、酒と違って飲み過ぎてもそれ以外のものは壊れないのが牛乳の良い所である。

ぽつぽつ飲めばぽつぽつと
未練が胸に舞い戻る
夜更けて寂しくなったなら
歌い出すのさ牛乳小唄を

ルルルルルルルル、、、、

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