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部活⑥

なかなか脚の痛みは取れなかった。近所の病院でレントゲンを撮ったが異常は見当たらず、筋肉の炎症だろうという診断結果が出た。「休めば治る」ということだったので休むことにした。
だが、1ヵ月たち2ヵ月たっても症状はよくならない。チームメイトたちは練習に精を出し、僕だけが取り残されていた。

「少しでも練習しなければ」

患部に負担のかからないエアロバイクを漕ぐことにした。バイクの負荷(ペダルの重さ)を最大にし、心肺機能を鍛えるために2重にしたマスクで口と鼻を覆い、まともに練習できない鬱屈を払拭するように無心に漕ぎまくった。ただでさえ蒸し暑いトレーニングルームの中でバイクの下には汗の水溜りができる。まるで減量中のボクサーである。

やがて年が明けた。僕はまだエアロバイクを漕いでいた。学校には2台のエアロバイクがあったがよく使っていた1台が壊れた。僕の汗が原因かどうかは分からない。

4ヵ月たち、5ヵ月たち、春がやってきた。僕はひと冬を黙々とエアロバイクを漕いで過ごしたことになる。おそらく本州を1周するくらいの距離を漕ぎ抜き、風呂桶一杯分くらいの汗をかいた。半年たってようやく痛みはなくなり、走れるまでに回復した。

久々に走った日のことは今でも覚えている。花曇りの午後。ぬるい微風。覚束ない足取り。どんなに頑張っても出ないスピード。踏み込む力が弱くなっていたのでまるで地面の方が揺れているように感じる。半年で脚力はかなり衰えていた。それでも嬉しかった。

念のため医大で検査をしてもらった。もう痛みはなかったのだが本当に完治したのか気になったのである。一応レントゲンをとり、医者から衝撃的な一言を告げられた。

「二ヶ所、折れてましたね」

なにが? もちろん骨がである。筋肉の炎症も腰の神経も何も関係がなかった。既に完治はしていたが脚の骨が2ヶ所も疲労骨折していたのだ。おそらく修学旅行と駅伝で1ヶ所ずつ折れたのだろう。余談だが、誤診した近所の病院はそれからほどなくして潰れた。

まあ、なにはともあれ走れるようになった。もう夏の大会しか僕には残されていないが、そこに向けて全力を出そう。僕は人一倍の練習をすることを誓った。ときどき、人はこうして元気よく泥沼に足を踏み入れることとなる。

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