ASOBIJOSの珍道中⑮:百花繚乱、オールドタウン
ジャック=カルティエ広場は、幅の広いゆるやかな斜面で、たおやかなサンローラン川の流れを見下ろし、今日も世界中の観光客を乗せ、虹色の巨大洗濯機のごとく、ごったがえした夢の渦です。左右には赤、紺、緑の大きな天幕を広げたオープンテラスのレストランが並び、蝶ネクタイをした給仕たちが担ぐお盆の上には、黒や金に輝くビールが泡立ち、ワイングラスが重なり合う音が鳴り響きます。
ガラガラガラと、その斜面を転がり落ちるように、私たちの片輪の台車が右に左に、よっと、よっと、と危なげに揺れながら、人の波を掻き分けていきます。人だかりが、サーッと、カーテンみたいに開けば、よれよれのジーンズにターバンを巻いた、毛むくじゃらのヒッピー風情のミュージシャンが、両手でアコースティックギターを弾きながら、口元にワイヤーで固定したパンフルートを器用に吹きこなしている姿が目に飛び込んできて、それからさらにガタゴトと行けば、これでもかと、軒先にも屋根にも壁にも一面、凛々しい花々を飾りつけたコーヒースタンドが見えてきて、その向こうの開けたところでは、真紅と黒のドレスを振り散らかして、カチャリカチャリと、フラメンコを踊る女性が、情熱的に、目をパチリと閉じて、そのくっきりとした目尻を聴衆に流しており、そこから下って、似顔絵屋のテントが一軒、二軒、あちらはだるまみたいにまんまる顔で、次のは、陰影深く、ロマンチックな肖像画で、と、バタバタと見本を並べていて、それから、お土産用の絵はがき屋に、天然石を使ったカラフルなネックレスをずらりと並べた屋台が並んで、おっと、っと、っと、と、台車をグルリと右に90度、曲がろうとする角にはいつもの、ケバケバしい蛍光色の黄緑色の帽子とバギーパンツを履いた、派手派手格好のピエロが、両手いっぱい風船を浮かべて、とんがり靴のつま先を立てて、ワアワァと両手を伸ばして群がる子供やベビーカーの幼児たちに向かって、真っ赤な鼻をぽんと弾ませ、ニッと口をU字に曲げて不気味に笑っています。
急げ急げ、と、袴をなびかせ、赤い鼻緒の雪駄(せった)をチョコマカと小刻みに走って、走って、ようやく、私たちの持ち場へと辿り着きました。
台車に結んだ紐を解いて、ひとまずアンプを取り出すと、スマホを繋いで、DJ Okawariというアーティストの『Luv Letter』という曲でMARCOさんに踊り始めてもらいます。こうして踊っている間に、私がマイクのセッティングやら、譜面台を立てたり、投げ銭を集めるための箱を用意したり、Instagramのページへ繋がるQRコードを印刷した看板やら、わらわらと用意をするのです。
”今日はちゃんと許可証を取ってきたんだね”
と、同業者のサックス吹きの男性が声を掛けに来てくれました。彼はいつも黒いハットをかぶって、黒縁メガネに蝶ネクタイをして、ベニー・グッドマンみたいな紳士風を吹かせています。彼のパフォーマンスは、いつもどうやって持ち運んでいるのかわからないほど、大掛かりなセットで、板作りのステージを作って、その上に大きな肘掛け付きの椅子を乗せて、小さなスピーカーでバック演奏の音源を流しながら、『枯れ葉』や『Summer Time』といったモダンジャズのスタンダードナンバーを、アルトサックスの、あの甘くほろ苦い香味を効かせながらポロポロと吹き鳴らすのでした。
黒地に白いドット柄の入った大きな大きなハットをひっくり返したものを自分の前に置いて、それに投げ銭を集めているのですが、これがまた、そんなハット、一体どこで手に入れたのでしょう、人が寝そべれるほど巨大なハットなのです!道ゆく人はみな、オールドタウンの風景によくマッチした、彼の甘美で品のある音色に心地よくなるのですが、よくよく近づいてみれば、この巨大なハットの奇妙さに目を奪われ、思わず、輪投げゲームに興じるかの如く、子供も大人もお金を投げたくなってしまうという、、、。
”君、この譜面台はもうちょっと重たいやつにしないと風に倒されるよ”
とまぁ、世のおじさまたちの例に漏れず、一々余計な口出しの多い人で、
”何その楽譜?”とロツレチで書かれた尺八譜にも目をつけると、
”インターナショナルスタンダード(国際標準)じゃないじゃん”
と見下してくるあたりが、またひとつ、うざったく。
”君たち、チャイナタウンでは演ってみた?チャイナに見えるからいいと思うけど”
と、この世間の狭い御紳士の口の悪さに、一発握り拳が出かったのを必死に抑えたこともありましたが、私たちの地唄『黒髪』の演奏を見ながら、”いいじゃないか、いいじゃないか”と拍手をしながら5ドル札を入れていってくれるあたり、やはり、良き紳士ではありました。
さて、セッティングも済むと、今度は、ルーパーに仕込んでおいた、ラテンのビートに合わせてMARCOさんがキーボードを即興で弾いて、あるところで、やや哀しげな響きのするコード進行を重ね合わせてループさせ、それに合わせて私がメロディや装飾的な音を尺八で吹くという即興演奏をして、それにまたMARCOさんが振袖をひらひらとなびかせて舞う、というようなパフォーマンスを繰り返しました。これは、この時期のオールドタウンの聴衆の好みと、私たちが持てる非常に限られた能力と、日本舞踊と尺八の魅力を折衷(せっちゅう)させようと、私たちなりに思案したなかで、生まれてきたものでした。
それからある程度すると、今度は私が単独で尺八を吹いたり、MARCOさんが自身で選んだ音源で踊ったり、ということを繰り返したのでした。
道ゆく老若男女が足を止め、写真を撮ったり動画を撮ったり、ありがたいことに、通りを埋め尽くすほどの人だかりができることも幾度かありましたが、中でも思い出深いのは、この年の3月に他界したばかりの坂本龍一氏の『A Flower is not a Flower』という曲でMARCOさんが舞っている時のこと。
通りがかった30歳くらいの巻き毛の女性が、足を止め、その場に立ち尽くすと、脇に抱えたトートバッグをぎゅっと握りしめたまま、微動だにせず、じっと、悠然とゆれる振袖に咲き乱れた藤の花に包まれたかのように、呆然として、それから途端に、うるりと、目に涙が浮かぶと、そっとまっすぐ、私のところに向かって歩いてくるなり、袖を掴んで、20ドル札をすっと手渡してたのです。
"感動した。わかるでしょう。何も言うことはないけれど、受け取って。”
と言いながら、濡れた瞳を拭うと、そのままスタスタと、群衆の中に消えていくのでした。
そんな調子で、最初の持ち時間に終わりがきて、片付けを始めると、向こうから、ガラガラと音を立てながら、スケートボードを駆ってやってくる二人組の若者の姿がありました。
"ヨゥ、この場所はいいよな。お前たち、そのまま、一つ向こうの角でやってもいいぜ。オレたち二つ名義を使って抽選に応募したらダブっちゃったからさ"
と、オレンジ色のキャップに手をやって微笑むのでした。
それからすぐに、スケートボードの上に座って古式のタイプライターを取り出すと、道ゆく人と対話しながら即興で詩を書いて渡すというパフォーマンスを始めるのでした。
礼を一つ言って、再び私たちは隣りの角でパフォーマンスを始めました。このオールドタウンでは大分顔馴染みも増えてきていて、いつも黒い自転車に乗って、指先の出た手袋と豹柄のスカーフを巻いた格好で声を掛けてくれる、背の低い初老の男性の姿もあれば、麦わらのカンカン帽を被って、ブリキのバケツパンパンに詰めた真っ赤なバラの花を売り歩いている紳士も、微笑んで手を振っていってくれました。
そんな昼下がり。突如、通りの向こうから、金や水色のワンピースのような民族衣装に身を包んだ大男たちと、豪華絢爛な光沢に満ちたドレスに身を包んだ婦人たちの、察するに、アフリカの王族のような集団が、長い列を成して歩いてきたのでした。赤や青のターバンを頭に巻いたり、腕や胸元にはピカピカに輝いた金色の時計やネックレスを付けていて、私も思わず、尺八を吹きながら、目を奪われてしまいました。
その長い列が、目の前の高級ステーキハウス店の中に、一人、また一人、と飲み込まれていっていた、その時です。
”待って、待って!"
と、女の叫び声が飛んでくるや、真っ赤な髪の毛でピンクのドレスに身を包んだ黒人の貴婦人が、手を伸ばして、何かを必死に追いかけています。泥棒か!と、その血相変わった視線の先を追っていくと、なんと、5、60個の、銀色の風船を両手に持った、黒人の少年が、全力疾走をしているではありませんか!いや、よく見れば、両足を曲げて、すいーっと水平に、かなりのスピードで滑りながら、浮いています。それを、きっとあの人は母親なのでしょう、両手を伸ばして、追いかけ、その手が、少年の足に届きかけた、その瞬間。少年は、ポンと、革靴を脱ぎ捨ててしまうと、そのまま、ふわぁーっと宙に浮き出したのです。
わっと見る間に、誰の手にも届かぬほどの高さまで飛んでいってしまうと、その4、5歳ほどの子どもは、ニコニコと真っ白な歯を剥き出しにしてこちらに笑顔を絶やさぬまま、大聖堂のドーム屋根もはるかに越えて、天の彼方へと消えていってしまうのでした。
私たちは、なにも語らず、目を合わせて眉をひとつ上げたきり、そのまま懸命に路上芸を続けたのでした。