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「自分の美的センスを他人に判断される」という体験は、高校の美術の授業が最後だった

デザインの良し悪しってどうやって判断するのでしょうか?
さっぱりわかりません。(最大公約数?売れるもの?ウケるもの?)
そもそも、自分の美的センスがいかほどのものであるかも判断しかねます。

自分の美的センスについて考える時(そんな時が訪れることの方が少ないと思いますが)、
なんとなく自分の美術の成績を思い出すことが多いのではないでしょうか。
義務教育下での美術の授業を思い出してみると、
なんとなく女の子のほうが絵が上手かったりだとか、あるいは性別関係なく個人のセンスが絵に表れていたりしていました。
そういう意味でのうまさ(それから、授業中の態度だとか云々)を加味して美術の成績がつけられます。そして、その成績を踏まえて、ふんわりと美術の得意な人・不得意な人というラベリングがされていきます。
この「自分の美的センスを他人に判断される」という体験、人によってはこれが最初で最後になるのかもしれません

さて、デザインを生業としている弊社Balloon inc.について考えて見ると、
「自分の美的センスを他人に判断される」経験の積み重ねです。
デザインって、誰にでも出来ると思われがちだから無料でお願いされやすい・・・なあんていう嘆きをよく見かけます。


「自分の美的センスを他人に判断される」経験の積み重ねなんて、前述の通り、人によっては中学や高校が最後の経験だったりします。


デザインを仕事にしているというのは、自分が美しいと思うものを作り続けて、それを他人に判断され続けるという経験を続けていくということなんだと思います。



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