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【読切短編:文字の風景⑰】福岡

大きな振動を体に感じて、自分が地表に降り立った事を知る。窓から外を見やれば、福岡空港という大きな文字が目に入った。

ソンバーユのダイカット広告を見るともなく眺めながらエスカレーターを降りて、気づけば地下鉄のホームに居る。ウーバーイーツの広告がホームドア中にべたべた貼ってある。今夜わたしがいただくのは、どんなご飯にしよう。

博多も天神も、そこだけ見たら都心と大差無い発展を遂げた都市だが、なんとなく空間が広々した、妙な解放感がある。何度来ても私の中で都市の表情は変わらない、のんびりとしたほほえみ顔だ。少し歩くとドラッグイレブンののさばり方に地域の違いを感じる事も出来るが、暮らすには不便しない街だろう。櫛田神社にお参りをする。クシナダヒメはヤマタノオロチのもとへ送られる直前、スサノオのおかげで難を逃れた女性だ。スサノオは彼女と会う前、親族にそれはそれは煙たがられて地に落ちてきた神だ。でも、そんな事を知らないクシナダヒメからしたら、窮地を救ってくれたヒーローで、恋に落ちるのは造作もない事だっただろう。彼女とスサノオは結ばれる。

目に入った風景を片端から言葉にする。何も考えないように。ふと、思索にふけらないように。私に隙を見せた瞬間、私が顔を見せてしまう。そう気を張っていても、不意に無意識は忍び寄り、記憶のファスナーを開きだす。

中州のラーメン街。あれは値段ばかり高くて好きじゃないと、昔誰かが言っていた。だから私はあそこでラーメンを食べたことが無い。水炊きを食べるなら華味鳥。イカを食べるなら河太郎。教えてもらったお店はどれも美味しくて、今では私が誰かに紹介する店になった。昔誰かに聞いた店。

何度来ても、この都市は変わらない。私は刻一刻と変わっていく。それを嫌とも思わないし、変わり続けてここまでこれた。でも、この場所に来るたびに「帰ってきた」と思ってしまう。今の風景に、変わらない街並みに、過去の面影が重なり輪郭を歪めだす。

ヤマタノオロチは恐ろしい。でも彼自身は、そんな周囲の恐れに気付けていなかったのかもしれない。だからこそ、スサノオが用意した酒も警戒せず飲み干したのかもしれない。まさか私が。私はおかしくない。私は悪くない。そう思っている間に、あの蛇は首を切られて死んだ。

2つの時を彷徨いながら街を歩く。いつかごめんねと謝れたら、この都市は違う顔を見せてくれるだろうか。

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